「ゲーテ全集」読書中。
潮出版社の、生誕250周年記念の新装版の第11巻『イタリア紀行』であるが・・
まず、工匠パッラーディオ、それからヴィトルヴィウス、ヴィンケルマン・・
彼は言う、あまりに大きな学校に入学してしまったために、急には卒業が許されそうにないと。(ローマにて、 六月末(1787年))
37歳のゲーテは、1786年9月から1788年、約2年にわたりイタリアへ、1816-17、29年に旅行記としてまとめた
ティッシュバイン画 イタリアのゲーテ
「イタリア紀行」にはこの画家 ティッシュバインの話がたくさん出てきます
2010年3月26日大塚国際美術館にて
( 絵の大きさがわかるだけでもすごい、
感謝すべきと美術館)
(1786年)十一月二十八日、ぼくたちはシスティナ礼拝堂に戻り、天井が近く眺められる回廊を開いてもらった。(中略)ぼくはすっかりミケランジェロに心を奪われ、彼を見た後では自然さえも味わいを持たないほどだった。それもぼくには自然を彼ほど偉大な目を持ってみることができないからだ。 このような絵をしっかりと心にとどめる手段があればと思う!せめて、彼の絵の銅版画や模写でも、手に入るかぎりのものは持ってかえるつもりである。
ぼくらはそこからラファエロの歩廊(ロージエ)へ行ったが、これは見るべきではなかったといえるだろう。、絵が、先の絵の偉大な形姿と、あらゆる部分にわたる見事な感性によって拡大され慣らされているために、アラベスクの才気にあふれた戯れをみるのに適応できないのだ。
これらの両者の作品は、もっとたびたび見比べ、もっと時間を変えて比較すれば大きな喜びを与えられるに相違ない。
2021.01.21 関連として、 ドムス・アウレアの装飾の記事を追加しました(WordPress頁)
ゲーテの「イタリア紀行」を読むページ(詳細)は別にこちらに。(クラッシク)
ここでは、ゲーテがアラベスクについてどう思っていたかの一端を挙げてみた(20170303)
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