蟲/虫の図像の文化誌
【説文解字】十三 下に「足あるもの、之(これ)を蟲と謂ふ。足無きもの、之を豸(ち)と謂ふ。三虫(き)に従ふ。」とあるが、【荘子】在宥では足の有無が逆だそう。「蟲は昆虫の総称、また毛羽鱗介(りんかい)の総称として用いる」と『字統』にある。
以前驚いたのは、その生物の表面・皮膚による分類の中に、人間を、裸虫(らちゅう)という、とあったこと。
人間も蟲であるかと、嘆息したものであった。(『古今事文類聚』による)
今回みたところでは、人間は「足があるから」、蟲であるという事になるだろうか・・【説文解字】の分類によれば・・(笑))
形・イメージ (文様/文化/象徴)
蟲
興味深い本がありました、『天翔(あまがけ)るシンボルたち 幻想動物の文化誌』張 競著
(図説中国文化百科002)農文協2002刊。まずは以下抜粋引用を。
中国の分類法
中国では『動物』という総称がない。
「幻想動物」は近代の「動物」という概念から派生したもので、『西洋文化にあっても比較的新しい観念である。
中国で「幻想動物」という言葉が使われるようになったのは、20世紀も80年代になってからで、それらもほとんど美術史の用語として用いられる。(はじめに p5)
古代では饕餮や麒麟、龍などは幻想動物というよりも、神か妖怪としてイメージされることが多かった。
時には幸運を、時には恐怖をもたらす超越的な存在はなぜ動物の外見をとらねばならなかったのか。
そもそも変形した動物のイメージをイコン(図像)とすること自体に注目しなければならない。
動植物の区分や、動物の分類に対する意識がまだなかったからこそ、かえってそこから古代人の生命観の一端をうかがい知ることができる(p6)
蟲(『字通』)
正字は蟲に作り、三虫(き)に従う。
この「三虫」であるが、検索すると道教の「三虫」ばかりが出てくるが、思想でなく、字形の話である。が三つ。「さんき」
豸は貍(り)・(びよう)の従うところで、明らかに足があり、〔説文〕のいうところは逆である。〔荘子、在宥〕「災ひ、木にび、ひ、止蟲にぶ」の止は豸の仮借。蟲は蛇や昆虫類、また羽毛介のものを含めていうこともある。
いま略字として用いる虫は別の字で、本音はキ、まむしをいう。
道教の「三虫(さんし)」
庚申信仰では、人の体内には「三尸(さんし)」という3匹の虫が潜んでいると考えられていました。 三尸とは、「上尸」(頭の中に潜み、首から上の病気を引き起こす虫)、「中尸」(腹の中に潜み、臓器の病気を引き起こす虫)、「下尸」(脚の中に潜み、腰から上の病気を引き起こす虫)とされていました。
出典:近大付属中学校長講話
この三尸は人が死ねば自由になることができるので、人を欲深くして悪いことをさせたりして、寿命を縮めようと常々隙を狙っているそうです。しかし普段は体内から出ることはできず、庚申の日だけ人が眠っている間に体内から出ていくと考えられました。人が眠った後に、三尸は天に昇って天帝(閻魔大王)にその人の悪行を報告し、報告を聞いた閻魔大王はその人の寿命を縮めるそうです
。出典八坂庚申堂
動物分類の変遷
古代中国の動物と人間の境界
人間は鍛錬によって神仙になれると思われており、呪いをかけられたら、動物の外見になるかもしれない、と信じられていた。
仏教では生死の介在を通したとはいえ、人間も動物も魂の宿る「殻(から)」にすぎず、輪廻を通して変わると考えられていたl。(p24)
『動物』という言葉は古くからあった、しかし現在のように生物の分類的総称、あるいは抽象名詞としてとして使用されることは全くない。(『天翔(あまがけ)るシンボルたち 幻想動物の文化誌』p25)
『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』 欧陽詢 624年
分類の二つの基準
1.外見の類似性
2.人間にとっての有用性
鳥部(鶴、雉、孔雀などとともに、鵬、精衛などの幻想動物もいれらている)
獣部
鱗介部
蟲豸部
祥瑞部(鳳凰、鸞、烏、雀の他、非生物の「鼎」
災異部(蝗(いなご)、螟(メイチュウ)など農作に有害な昆虫のほか、旱(日照り)などの自然災害も一緒に並べられている。
『古今事文類聚』南宋の祝穆 1264年
動物の五分類
鱗蟲部
介蟲部
毛蟲部
羽蟲部
蟲豸部
(蟲は、虫という意味でなく、、生き物の総称で、およそ現在でいう、「動物」)の意味に相当する。
動物を実在と空想に区別することがなかった。
「裸虫(らちゅう)」
羽や毛のない虫。また、特に、人間のこと。( デジタル大辞泉 )〘名〙 羽・毛など身をおおうもののない虫。人類をたとえてもいう。(コトバンク)
『古今事文類聚』南宋の祝穆
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