蝉の図像の歴史・文化
文様事典を見ると、西洋と冠した事典には、セミの項があるものは少ないようだが、
『中国の文様 (世界の文様)』(小学館)の
古代中国の青銅器では、重要な文様として見ることができる。(過去ページ→青銅器の文様)
『西洋装飾文様事典』では、ムシはないが、虫喰型(ムシクイガタ)あり、 昆虫の中に、蝉、てんとう虫はあるが、独立項目は、とんぼ、蝶、黄金虫、蜂、かまきり、蜘蛛の、世紀末の装飾モチーフの話がメインだった・・・・ここで、昆虫のうち、
蝉(セミ)単独を古代文化から見ることにしたい。
形・イメージ (文様/文化/象徴)
セミ
この図典には、
暮らしの中のシンボルとして、223項あり。
それを[動物・魚][鳥・蝶・虫][植物][人物・神・仙人][色・数字・事物]の5つに分けた。
[鳥・蝶・虫]には、24項目で、蝉、蜘蛛、蟋蟀、蜜蜂と蝶、の5つがあった。
(蝉は)不死あるいは死後の生を象徴する。
紀元前の春秋期に蝉を文様とした銅器が使われていたことが出土で分かっている。
死者の口に蝉の形をした玉が入れられた。「含蝉」という。
春秋期の斉の妃が死後、セミとなって再生したという伝説から、別名の一つが、「斉女」である。
南北朝期、晋代の古書には、蝉は頭上に冠があり、容姿正しく、早朝清露を飲み、廉潔で、至徳の虫、と記述している。
唐代のころから金銀の装飾品にも蝉が文様として施された。
冠という、と龍という象形文字は頭上に辛字形の冠飾をつけている。
→2013k/ryu_moji.html
蟬(蝉)、『字統』では声符が單(たん)
【説文解字】 十三上に「旁(ぼう)を以て鳴く者なり」とあり、胸を振動させてなくせみをいう。
相連なることが多いので蝉連といい、
脱皮するので蝉脱といい、
よく鳴くので、蝉噪・蝉吟といい、
羽が薄いので、薄い織物で作った冠を蝉冠という。
セミの生物学
カメムシ目(半翅目)・頸吻亜目・セミ上科(Cicadoidea)
鳴く昆虫
「鳴く昆虫」:オスの求愛の鳴き声で目立つ・一部の蝉は最大 120 dB (SPL)の音を発する
セミの寿命
幼虫として地下約 2.5 mで、地下生活する期間は3~17年(アブラゼミは6年)にも達し、昆虫としては寿命が長い、成虫として生きる期間は、1-2週間ほどという俗説がひろまったが、研究が進み1カ月程度と考えられるようになった。
民間伝承では、成虫は食べないとされるが、実際には吸う口器(口吻 sucking mouthparts.)を使って植物の樹液を飲む。
日本では、蝉は古来より「もののあはれ」の代表だったという。
また、「空蝉(うつせみ)」はセミの抜け殻の古語。
セミの鳴き声は、夏を連想させる背景音としてしばしば利用されるというのは。、まさしく。
成虫は、ほとんどの種で全長 2 ~ 5 cm (1 ~ 2 インチ)
不完全変態(hemimetabolism ):昆虫の発達様式で、卵→幼虫(若虫)→成虫という段階で成長する変態様式のことである。幼虫から脱皮によって直接に成虫へと羽化する。蛹の時期がない。
幼虫から成虫になる過程で、蛹(さなぎ)になるかどうかで分けるという事だが、
「 不完全変態の昆虫は、幼虫も成虫も見た目が似ている。イメージしやすいのは、バッタやコオロギでしょう。ただ、不完全変態の昆虫にも、セミやトンボのように幼虫から成虫になるときに見た目が変わる虫がいます。」(https://katekyo.mynavi.jp/juken/9661
.ここで、困ったことが出来した。『イメージ・シンボル事典』の
chrysalis(サナギ) で、形姿を変えてセミとなると言っている。
これであるが、セミの訳語の選択の問題か、あるいは、古代の生物学の限界からか、
現代でも単に(硬い皮で包まれた)サナギとせず、
「蛾のサナギまたは繭の中の蝶」の事とする例もある。
例示とするなら同様の行き過ぎなのか、問題の個所。
昆虫の羽(はね・翅(し))はほぼ全ての昆虫に見られる、昆虫独自の構造である。昆虫において完成した翅は成虫にしか見られないことから、成虫になるときの脱皮を特に羽化という。 前翅の表面は超疎水性。
分類学
カメムシ目(半翅目)・頸吻亜目・セミ上科(Cicadoidea)
カメムシ目は従来、大きくヨコバイ亜目(同翅亜目)とカメムシ亜目(異翅亜目)に分類されてきた。しかしヨコバイ亜目は近年では側系統と判明しているため、分類群として使われることは少なく、いくつかの亜目に分割され、カメムシ目は3-5の亜目に分けられる。
ヨコバイ亜目(同翅亜目) 翅が全体に膜状で、静止時には後翅の上に前翅を屋根形に重ねて収納する。上から見ると、体の左には左側の前翅が、右側には右側の前翅があって、両側の翅は正中線上で屋根形に触れあう。翅が透明ならば、後翅が各側の前翅の下に見える。その形状は一部のガの止まるときの形状に似ている。セミ、ウンカ、アブラムシ、カイガラムシなどがこれに含まれる。
セミファイナル!?
https://kekelab.com/semi-final/
【なぜ仰向けで死ぬ?】
今年もついに蝉が鳴き始めましたね。道端に落ちてる蝉が突然動く現象「セミファイナル」の画像ですが、元ネタはこちらの漫画です。よろしければご覧下さい。
— 凸ノ高秀 (@totsuno) July 22, 2014
お暇つぶし漫画 「 蝉の恋 」|オモコロ http://t.co/TcmJlINZdJ pic.twitter.com/NgsP3go6zh
人間の文化
古代
蝉は、ホメロスの『イリアス』の時代から文学に登場し、中国の殷王朝 (紀元前 1766 年 - 1122 年) の装飾芸術のモチーフとしても取り上げられてきた。
アリストテレスは動物史で、大プリニウスは博物誌で記述している。
音生成のメカニズムは、ヘシオドスの詩「作品と日々」で言及されている。(en.wikipedia)
念のためプリニウスの博物誌を参照した。
第11巻が昆虫の種類の巻で、虫は、「自然は最も小さな創造物において、自己の完全な姿を表現している」と。自然の奥深さ、目覚ましい妙技を絶賛している。
しかし セミという語はなくコオロギのすだく声という一語は出ているが、蜜蜂の話がメイン。
(中野定雄・中野里美・中野美代訳、雄山閣出版(1986)第Ⅰ巻p479)
イリアスについては、ティトノスのギリシア神話後述
含蝉
翡翠に彫刻された蝉:玉蝉(ギョクセン)
古代中国ではこれを死者の口に含ませて納棺した。
玉蝉
人間の体の孔から霊魂が逃げないように塞ぐために死者の口に入れる。人間の体には9つの孔がある。(目・鼻・耳と口にその他2つ。)
日本人は霊と魂の区別つけないが、古代エジプトでも中国でも区別する。
古代中国では、天(父)と地(母)から霊をもらって誕生するが、死によって2つのたましいは分離し、魂は天にのぼるが、魄は肉体にとどまり、墓の中で生きている。肉体を自由に出入りできる。死者の魂がお墓の近くの神殿で、霊魂の世話をする。 (
「NHKスペシャル 四大文明 中国」(NHK出版 2000)
甲骨文字のセミ
「單(単)」の原形で、後年虫偏が付いて「蝉」になった。(※この説は違う!?後述)
紀元前後の漢代には、 死者の口に玉製のセミを含ませて
魂の抜けるのを防ぐ「含蝉」の習俗が王侯貴族に流行した。
出典: https://www.jataff.or.jp/konchu/obj/obj09.htm
甲骨文字の單だが、これは、白川静によれば、盾の象形である。
楕円形の盾の形で、上部に二本の羽飾りを付けている盾の形としている。
「古くは狩猟と軍事に関するもので、ともに盾を用いて身を防ぎながら、行動する。」
たたかうの戰の字は、単(たて)と戈(ほこ)にしたがう、等々の例が『字統』にあり。
また、「魂が抜けるのを防ぐため」なのかどうか?
前述の『中国シンボル・イメージ図典』では理由が明記されていない。
思うに、
羽化登仙というように、セミのように羽が生えて、天国に登るように願うというイメージを思う、どうだろう。
『図説世界シンボル事典』には、「セミは不死ないし死後の生のシンボルであった。
そのため、蝉の形をした翡翠の護符が死者口に入れられた」と、『中国シンボル・イメージ図典』と同様の記述。
様式化されたセミの文様は、信念に忠実であることのしるしとなった。
別文献であるが、柿沼洋平教授の中公新書『古代中国の24時間』(2021年11月刊)、
話は中国の日常誌という事であったが、
高潔の証として、蝉文金璫が好まれた、とある。(P67)
唐朝絵画のタイムカプセル 長安の陵墓壁画
「観鳥捕蝉図」 (唐代・陜西省西安 章懐太子墓壁画)1971年発掘(コトバンク李賢(りけん)(654―684)の墓。李賢は唐3代皇帝高宗と則天武后の次子。)
石室内部写真→陝西歴史博物館(西安市)
https://abc0120.net/words/abc2007072801.html
「章懐・懿徳両太子墓と高松塚とは、その築造時期がほぼ同じころと推定されている。
しかもこの両太子墓には、中国でもまれな、また高松塚をはるかに上廻る大規模な四十面以上の彩色壁画が、それぞれ発見されたのであった。」
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/W/rokucyo/rok14.htm
「中央の男性が木にとまる蝉を捕えようとしている」
その意味は?
古代遺物
蝉文(ぜんもん) - 鼎などの文様に使われる蝉形の文様
出典:「故宮博物院〈12〉青銅器」
樋口 隆康 (監修), 飯島 武次, 日本放送出版協会 (編集) 1998
刊
動物文 蝉
出典:
『日本・中国の文様事典』p254
早坂優子著 視覚デザイン研究所(2000)
中国文様の歴史。(p307)
「殷・周時代は青銅器文様が発達、紀元前2000 年頃より現われた青銅には複雑怪奇な動物文様が施されている。
ほとんどは雷文を地文として・・・動物文が複雑に入り組み、器面のひときわ目立つところに饕餮文が現れる。」
⇒過去ページ龍文の饕餮
き鳳蝉文鼎(MOA美術館蔵)
⇒過去ページ龍文の虁龍文
古代中国の装飾文様に見える蝉
不死のシンボル。前1200年頃
(出典:『図説世界シンボル事典』p226)
イメージ・シンボル事典
『イメージ・シンボル事典』(アト・ド・フリース原著 山下主一郎 大修館書店創元社1984)
1.旋律とおしゃべりを表す、全ての昆虫の中で一番音楽的であることから、ティノス(※)は、セミ(またはバッタ)に変えられた。
2.復活、不死、変身を表す。
3.暁の神との関連で、永遠の若さ、幸福を表す。
4.移ろいやすさ、現世のはかない栄光、また好色と悪徳の抑制を意味する。
5.ギリシアではアポロ(アポローン)の持ち物であり、この場合は「黄金のセミ」である。セミは夜明けに鳴きだし、その時刻に一番活動するところから、エオスEos-暁の女神アウロラの持ち物となる。
ティトス(※ティトノスか?)の持ち物:エオスはティトノスと恋に落ちた時、彼に不死を与えるようにゼウスにに願い、許される。しかし(セレネがエンデュミオンのために願ってやったような)永遠の若さを彼のために求めるのを忘れたために、ティトノスはよぼよぼになり、甲高い声ばかり発し、エオスはこの老人の世話にくたびれ果て、彼を自分の部屋に監禁してしまう。
6.へぼ詩人の持ち物
7.捨てられた恋人を意味する
8.[文学]
a.
セミの大きな鳴き声をいくらキツネがほめそやしても、だまされないことから、抜け目なさを表す。(イソップ)
b.先見の無さ、怠惰を表す。冬になってセミがアリに穀物を分けてほしいと頼むと、アリは答えた。「夏の間あなたは歌っていた。冬の今はダンスをするのがいいでしょう>(イソップ)
c.セミは露を飲んで生きている。(ベルギリウス『田園詩』5,77)
d.岩も水もない砂漠にすむ、宗教、情緒などの硬直を表す(T.S.エリオット「荒地」)
- 暁の女神エーオースEOS(wikipedia)
夜明けの擬人化「定型修飾称ばら色の指をした」
聖鳥、聖虫は雄鶏、蝉
美少年のティトノスをエチオピアに拉致し、 メムノ-ンを生む - ウエルギリウス(ヴェルギリウス)(wikipedia)
悲劇の詩神、ダンテに影響 - T.S.エリオットの詩「荒地」
Web 検索
バッタ目(キリギリス、コオロギ・・)
バッタ目(バッタもく、Orthoptera)は、昆虫類の分類群の一つ。バッタ、キリギリス、コオロギ、ケラ、カマドウマなどが属するグループである。直翅目(ちょくしもく)ともいう。(wikipedia)https://en.wikipedia.org/wiki/Caelifera
(「死者の埋葬」2(壺齋散人訳)「コオロギの声も聞こえない」 「コオロギの声」は聖書からの引用。
A heap of broken images, where the sun beats,
And the dead tree gives no shelter, the cricket no relief,…
「伝道の書」12章5節
Also they are afraid of height, And of terrors in the way; When the almond tree blossoms, The grasshopper is a burden, And desire fails. For man goes to his eternal home, And the mourners go about the streets.伝道の書(新欽定訳)
ecc12:5 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。[新改訳3版]
「人々はまた高いところを恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、バッタは足取り重く歩き、風鳥木は花を開く。人はその永遠の家に向かって行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。」
(そのころの人々の平均寿命は40歳だった)
「アーモンドの花は咲き」とは、頭が白くなることです。アーモンドは白い花を咲かせるのですが、それが満開に咲くように、頭が白くなります。
「バッタは足取り重く歩き」とは、老人の歩き方を表現しています。風鳥木は花を開くとは、食欲や性欲が減退することを意味しているのではないか。
http://otawara-church.com/
いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる。https://www.bible.com/
見たところでは、伝道の書では、セミと言っていないようだ。後ほど、コオロギ、バッタを見てみます。
学名 Grylloidea
セミ、キリギリス
「インターネットで蝉を追う」http://web.kyoto-inet.or.jp/
「アリとキリギリス」→ギリシア語原文では「アリとセミ」(「イソップ寓話集)
「ギリシア語の蝉(tettix)
は、ラテン語では"cicada"として登場するが、ラテン文学の長い歴史を通じて、これがはたして変わることなく蝉を意味したかどうかには、いまだ不明な点もある。
」
「セミがどうしてキリギリスになったのかということは曖昧模糊、西洋文化史2000年の謎」、と。
ギリシア神話
Eos adbucting Tithonos
悲劇的結末
(wikipedia 20230312閲覧)
老いが深まるとともにエーオースの足は遠のいて行った。それでも館の中で神々の飲食物で世話をしていたが、身体を動かすことが出来なくなったとき、ティートーノスを奥深い部屋に移して扉を閉ざし、2度と近づかなかった。しかしティートーノスは今も生きていて、その声は扉の向こうから聞こえてくるという。
(『ホメーロス風讃歌』第5歌「アプロディーテー讃歌」)
別の話によると老いさらばえたティートーノスは最後には声だけの存在となり、エーオースによってセミの姿に変えられたとされる[『イーリアス』11巻1行への古註(カール・ケレーニイ『ギリシアの神話 英雄の時代』邦訳、p.248)
『世界大百科事典』
【セミ(蟬)】ギリシアでは〈黄金のセミ〉がアポロンの持物であり,また日の出とともに鳴き始めるので暁の女神エオス(ローマではアウロラ)の持物ともされる。
キリギリスとバッタの違い
キリギリスとバッタの違いは「触角の長さ」と「耳の位置」
WEB図鑑
直翅類.jp|バッタ・コオロギ・キリギリス・カマキリのWeb図鑑
https://www.orthoptera-jp.com/
”セミは文化昆虫学的論点を欠く虫”
「文化昆虫学」なる分野を知り、『文化昆虫学の教科書 神話から現代サブカルチャーまで』(保科英人他著八坂書房2021)をチェックしたところ、第Ⅱ部第3章のタイトルが、”セミは文化昆虫学的論点を欠く虫”であった。
ちなみに、目次であるが、
第 I 部:文化昆虫学とは何か
第1章:文化昆虫学の定義
第2章:文化昆虫学の研究における注意点
第II部:文化のなかの虫たち~神話から現代サブカルチャーまで
第1章:トンボーー近代以降に創られた郷愁の虫
第2章:バッタとコオロギーー文化的に二分されるバッタ目昆虫
第3章:セミーー文化昆虫学的論点を欠く虫
第4章:カブトムシとクワガタムシーー日本文化史の新顔
第5章:ホタルーー近代日本人の大罪
第6章:テントウムシーー日用品グッズ最強のモチーフ
第7章:蝶と蛾ーー霊性と火取り虫
第8章:クモーー著しい文化的な断絶
第 III 部:文化昆虫学の諸相
第1章:神話の文化昆虫学
第2章:令和新時代の文化昆虫学
第3章:日本文化史における虫たちの覇権争い
・参考文献一覧
・重要文献紹介
第2章文化昆虫学における注意点で、
『古今和歌集』ではホタルが詠まれ、室町時代には多くの虫が登場する御伽草子が書かれ、江戸時代にはスズムシがペットとして売られ、大正時代には、セミの名所が新聞に掲載され、現在の日本のカブトムシとクワガタムシの市場規模は大きいものがある。
このようにあるものだけを並べて行けば、「日本人は虫好き」「日本人は昔からセミを愛してきた」との結論を誘導するのは容易い」 しかしこの論法は、ゼロデータを無視したものである。(『文化昆虫学の教科書』第3章(保科英人)p29)
ゼロデータがわからないので、検索したが、ゼロパーティデータしか出てこない。意味は無いもののデータという事であるようだ?
セミとヒグラシ
セミの鳴き声に夏の到来を感じ、その消失を以て過ぎ去りし夏を惜しむのが平均的日本人である」(p95)「蝉」と「蜩」」の用語上の関係
万葉集の蝉と蜩
「空蝉」の変遷史
ヒグラシ雑話
薄い蝉の羽
蝉の声にて故郷を思う
はかない蝉
墓地の蟬
蝉の殻を贈呈
近代以前は文化昆虫学的な論点が少ない蝉
季節が夏であれば、場所を問わす出没するアニメ世界の蟬
明けたてば蝉のをりなきはへなきくらし夜は蛍の燃えこそわたれ 『古今和歌集』
セミの和歌をとりあげるとキリがない(p97)
「セミは和歌や近世文学より、現代サブカルチャ―を材料にした文化昆虫学向いている虫なのである」(p124)
『蝉の生物学』
我々は「セミ」はセミ科昆虫の総称であり、その中にアブラザゼミやヒグラシが含まれていると考えている。
しかし日本最古の歌集『万葉集』の中では、セミは種類を問わず、すべて、「ひぐらし」と呼ばれていた。
加藤正世1981『蝉の生物学』サイエンテスト社
東京大学総合研究博物館
蝉學 加藤正世の博物誌
加藤正世博士(1898?1967年)は、昭和初期の昆虫分類学の黄金期を支えた著名な昆虫学者であり、セミやツノゼミ、ウンカが属する半翅目昆虫を中心に研究され、セミ博士と称されるほどのセミ研究の権威として知られる。
セミの家(日本昆虫学会の賞を受けたサイト)のセミの参考文献page
「素数ゼミの謎」 吉村 仁 著 文藝春秋2005 [アメリカに、13年、あるいは17年に一度だけ何億匹も大量発生し、数週間だけ凄い声で鳴き交わして死んでゆく、へんてこなセミがいます]以下抜粋引用
2億年前のものとされるセミの化石がある。
祖先ゼミの受難は氷河期の到来。
3000万年前、周期ゼミの祖先は、氷河期の寒さが原因で、成長スピ―ドが遅くなり、点々とある、偶然が残した避難所(レフュージア)で細々と生き残った。その状態が何万年も続き、発生年のぴったりそろった子孫だけが生き残った。羽化するスィッチが温度でなく、時間にかわり、もう後戻りができなくなった。交尾のチャンスのため、定住性と集合性を身につけた。
発生周期の異なるセミが同じ年に発生して交雑すると、交雑回数の多い蝉は絶滅する。
発生する周期の、最小公倍数が大きい程絶滅の危険性が少ない。それが、素数、13と17の秘密。この13年と17年の発生周期をもったセミを
「素数ゼミ(Magicicada)」と呼ぶ。
長い歴史の末に、素数ゼミはみんなと同時に、同じ場所に出てくるというライフスタイルを完成させた。圧倒的な数のおかげで、囮などに多少食べられてもものともしない。
アメリカ北部のものが17年、南部のものが13年ゼミに。人間の活動による現代の変化に、今度こそ力が尽きてしまうか?不思議の運命を握る人間・・。