インキュナブラ(incunabula、単数形はincunabulum)は、「西欧で作られた最初期の活字印刷物のことであり、15世紀(グーテンベルク聖書以降、1500年まで)に活版印刷術を用いて印刷されたもの
https://www.kufs.ac.jp/toshokan/german0506/ger_frame3.htm:
[揺籃期本(インキュナビュラ)とは、15世紀の半ばにドイツ人のヨハネス・グーテンベルク(Johannes Gutenberg, 1394-1468)が鉛鋳造活字による印刷術を発明してから、15世紀中の約50年のあいだに印行された本の総称である。]
ヨハネス・ゲンスフライシュ・ツア・ラーデン・ツム・グーテンベルク(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg、1398年頃 - 1468年2月3日)は、ドイツ出身の金細工師、印刷業者である。欧州における活版印刷技術の開始者といわれ、広く知られている。
活版印刷技術は中国において発明され、活字を並べた組版による印刷では、11世紀に北宋の工人畢昇が行っていたことが記録に残っている。
グーテンベルクは1445年までに活版印刷を開始し、自ら印刷業・印刷物出版業を創設したといわれる。
グーテンベルクは商業的には成功しなかったが、彼が発明した活版印刷技術は急速に普及し、ニュースや書籍の流通速度を劇的に速めた。印刷技術はルネサンスの拡大につながったとみなされる。(wikipedia閲覧日20251103)
グーテンベルク聖書の印刷は、1455年2月23日に開始された。初め羊皮紙に45部印刷されたといわれる。羊皮紙版のうち、現存するものは完全なものが4部と不完全なものが8部の合計12部である。次に紙に135部印刷されたと考えられているが、紙版は完全なものが17部、不完全なものが19部現存している。(wikipedia)
ほとんどのページが42行の行組みであることから「四十二行聖書(42-line Bible、42B)」とも呼ばれる。

"Bucheinband.15.Jh.r.Inkunabel"ウィキメディア・コモンズ.
出版学者箕輪 成男著『紙と羊皮紙・写本の社会史』ではインキュナブラは
7万5千冊という話だ
「箕輪 成男著『紙と羊皮紙・写本の社会史』publishing.html(出版学)
ギュンター・ツァイナー(英語版)がこの街に移住したことが、アウクスブルクの印刷業隆盛の端緒であった。エルハルト・ラートドルト(ドイツ語版)はヴェネツィアから移入したアンティーク体を洗練させた。この他に、15世紀から16世紀への変わり目頃に印刷工場も造られ、アウクスブルクはヨーロッパで最も名高い出版都市に数えられるようになった。
この帝国都市には大学がなく、科学や宗教以外の世俗の大衆に市場を求めたことから、1480年から1500年までの間にアウクスブルクで出版された書物の75%がこの地方の方言で書かれていた。
ドイツ語版イソップ寓話集は22版と版を重ねた。ヨハン・シェーンスペルガーもこれに貢献した。
シェーンスペルガーの Theuerdank はルネッサンスに出版された書物で最大の成功を収めた作品である。(Wikipedia)

教室にいる子供たちと修道士(トマス・アクィナス)
『カトーによる道徳と道徳』の木版画
ヨハン・シェーンスペルガー作、アウクスブルク、1497年
イシドールスの『語源』の世界地図は1472年にアウグスブルクで印刷された。Guntherus ZainerのOrigins世界地図は
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