聖樹聖獣文様
東大寺戒壇院の四天王は小林秀雄経由で特に横顔が好きになり、日常的に飾っている。
wikimediaをみると、この写真があって、パブリックドメインという表示だが、これだけで、像の一部分しか出ていないので残念。右のポストカードには、撮影松山志良とあります。(鹿鳴園)
小学館世界美術大全集(1997)4
ギリシア・クラシックとヘレニズム(水田徹編、1995年10月)の5章:
「ガンダーラのギリシア式仏教美術」 (田辺勝美)では、 「商業の神ヘルメス神は、ガンダーラの仏教彫刻にも取り入れられ、北方の守護をつかさどる毘沙門天(多聞天)を表すことになった」(vol.4-331)
・・ということで、四天王の中で毘沙門天が唯一取り上げら、
特に特異な兜跋毘沙門天という形があげられている。(ギリシアの神との対比、詳しくはガンダーラのギリシア式仏教美術に戻る)
毘沙門天(びしゃもんてん、梵名: ヴァイシュラヴァナ)は、仏教における天部の仏神で、持国天・増長天・広目天と共に四天王の一尊に数えられる「武神」であると(wikipedia (閲覧20160217)に。
しかし、こういう四天王像とはイメージが違う、法隆寺の国宝 四天王像(日本最古)も興味深い→こちらへ
また
逆に、時代が下って、平安時代の鞍馬寺の毘沙門天もユニーク→こちらへ。
それとは別に、「他の国では問題にされない特殊な大問題」(田辺勝美)兜跋毘沙門天という像がある。
国宝 兜跋毘沙門天像(教王護国寺=東寺)
かつて羅城門の楼上に安置されていたという
唐代(9世紀)木 高さ189.4cm
Vaisravana. Kyowogokokuji Monastery Tobatsu Bishamonten
この、女神の両掌の上に立つという像には、びっくりです。それは、柴門ふみさんの「ぶつぞう入門 」(2002)でも描かれている。
踏みつけているのでなく、掌に立っている。西遊記の釈迦如来の手の上の孫悟空をちょっと思い浮かべた。関係はないが・・
サイモンさんのそれは、多くの中(訪れた寺は50、ぶつぞうの絵は67ほど)の一つで「サイモン度」が高いわけでなかったので、図は鳥翼冠でも毘沙門亀甲(?)でもなかったが、「注目」点はよくわかる。(なので、図書を返して古書購入)
そして、興奮したことに、みうらじゅんさんといとうせいこうさんでは、一番初めの「見仏記」の表紙であった。
「西域起源とみられる異形の毘沙門天像」をさし、単独で崇拝される
金鎖甲(きんさこう)ないし毘沙門亀甲の鎧と海老籠手(えびこて)を着け、
四面形の天冠を戴き、
左手に宝塔捧げ、
右手に戟(げき)を持ち、
地天(女神)の両掌上に立つ、
極めて異国風な顔貌・服飾の像
敦煌画にいくつかの遺品をみるほか、ホータンにも断片の出土があり、日本では教王護国寺(東寺)像とこれに模した彫像数例がある。
新潮世界美術辞典によれば、
亀甲文を3個盛った形の単位文様=三盛(みつもり)亀甲、またはそれを転回したY字形を 互(ぐ)の目に並べて構成した、厳(いか)つい感じの連続文様
毘沙門天が着用している鎧にこの文様が付けられているため、この名称で呼ばれる
なんだか、テトラブロック(消波ブロック)みたいな感じがします・・中国・朝鮮のカラフルな(したがってどうしても精神性が薄く感じられてしまう)四天王の衣装には、毘沙門だけでなくすべての四天王に、テトラポット模様発見!?・・してみると、この文様では毘沙門の名はたんなる代表?(→不明なので、のちほど)
ちなみに朝鮮の古き仏像を破壊した豊臣秀吉は遺憾いかん
By Miguelwang2010, パブリック・ドメイン, 北京大觉寺多闻天
韓国梵魚寺、修徳寺の四天王
「
兜跋」とは西域兜跋国(現在のトゥルファン)とする説が一般的 (wikipedia )
→ただし、下記の研究書で田辺勝美さんはそれは単なる語呂合わせに過ぎないと言っている。
田辺勝美著『毘沙門天像の誕生―シルクロードの東西文化交流 (歴史文化ライブラリー) 』(吉川弘文館,1999年)(『歴史文化ライブラリー』;81)
内容(「BOOK」データベースより)
七福神の一人として著名な毘沙門天像は、シルクロードの東西文化交流によって生まれたことを初めて解明。従来の定説を超越し、わが国の古代文化の源流の一つがギリシア・ローマ文化までさかのぼることを実証する。
毘沙門天の成立および像の誕生にまつわる歴史的事実はインド起源で片づけられるほど単純でないという。特にインド・中国では問題にされない兜跋毘沙門天の問題や、毘沙門天が七福神の一人であるという問題についてなど面白い→もう少しじっくりよみたい(ガンダーラの美術に戻って続く)
双獣胸飾、というものだが、東大寺の二組の四天王像にはないのだが、(力士像の乳首のようなものが見えるが)、兜跋毘沙門天にはそれがある。獅子関連・・
「すぐわかる東洋の美術―絵画・仏像・やきもの アジアの暮らしと美術」(p49)で京都・藤井斉成会有鄰館蔵のサンダル履きの銅造菩薩立像について、長い髪を肩に垂らして口もとにひげを生やし、「胸には二匹の獣が垂れ下がる胸飾(きょうしょく)が表現されている」・・とあるが・・獣なのかはよくわからない。神は細部に宿るというわけでよく見たが、 菩薩のただのネックレスもどきに見える。「飾り板の首飾り」(http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site56/)であるか・・
*新潮世界西洋美術用語辞典に、馬具の一部として、「雲珠」などという名の図が出ている。 四天王像の胸にある、獅子ではなくて、乳首みたいなものが、この辞典をみていると、これかと思うと面白い・・・^_^;
*奈良国立博物館の収蔵品データベースの 毘沙門天http://www.narahaku.go.jp/collection/754-0.html
おさらいであるが、四天王というと天平文様も・・
「天平文様」という言葉からただちに想起されるのは、正倉院宝物の文様であろうが、正倉院の宝物は八世紀半ば過ぎの時点での伝来を異にする品々の集合。
それに対して、
それより少し前の時期に属する東大寺法華堂、戒壇院の天平彫刻は、各像の建立時点における文様を把握することが可能で、「天平文様」の秘められた宝庫である。
・・・日本の国宝―朝日百科 5-60~64 小田誠太郎)
一般には、「ところどころに彩色された、宝相華の文様が残っているのが見られる」というくらいの表現だが、この本には「六弁花文を連ねて括る団花文」等などの説明つきの写真がある。さらに詳しく
年に一度だけ開扉される執金剛神像の金張りの鎧は、胸当てに瑞雲文、下甲に宝相華唐草文、下半身の下甲は対葉花文と孔雀の羽根を交互に配した小札(こざね)を連ね、縁取りは団花文を、それぞれ繧繝彩色(うんげんざいしき)で描いている.
覆輪(周縁部の保護を兼ねた装飾)は、肩当が対葉花文で、それ以外は透かし彫り金具風の蕨手唐草文とする。
戒壇院の四天王像は、剥落が著しいが幸いなことに文様の下当りの輪郭線が残されており、執金剛神像を同じ様式の文様が確認できる。ただし、この像には本格的な切金文が、腕着や袴の団花文の地として用いられている。
ここで切金文というのを一瞬例の「テトラブロック」のことかもしれないと思ったが
、
切金文とは金箔を細く切って装飾に用いる手法で、大陸に起源があり、その早い用例が戒壇院の四天王という。
朝日百科日本の国宝」では5-57で、東大寺戒壇院の四天王立像は迫真の写実表現とたたえられている。
・・・また会いに行きたい・・
ヒンドゥー教の神格と仏教の天部
日本の四天王像法隆寺他(飛鳥時代) 鞍馬寺の毘沙門(平安時代)
ガンダーラのギリシア式仏像(ヘルメス、ヘラクレス‥)