聖樹聖獣文様
「世界遺産で見る仏教入門 」島田裕巳著(世界文化社 2014)に「ガラパゴス仏教」という言葉があった。日本の仏教をいうようだが、インドでは仏教は13世紀に滅亡したという。そして今アジアの各国に残る世界遺産をみると、どの国の仏教も、ガラパゴス化してみえるのだった。
ここでまずインドにおいて、仏教にインドの宗教のヒンドゥー教の神が取り込まれたことだが、そのまとめは以下の通りであった。
創造神 ブラフマー神 | → 梵天 |
維持神ヴシュヌ神 | →毘紐天または那羅延天 |
破壊神・舞踏の神 シヴァ神 | →大自在天 |
(インドにおいて、世界は一定期間の間に創造と破壊を繰り返すとされる)
ヒンドゥー教の神 | 神格 | →大乗仏教(天部) |
シヴァ神 | 破壊と舞踏の神 | 大自在天(だいじざいてん) |
インドラ | 雷の神 | 帝釈天(たいしゃくてん)あ |
サラスヴァティー | 河の神、音楽の神 | 弁財天(べんざいてん) |
クベーラ | 富の神 | 毘沙門天(びしゃもんてん) |
スカンダ | 盗賊の守護神 | 韋駄天(いだてん) |
ヤマ | 冥界の神 | 閻魔天(えんまてん) |
マハーカーラ | 破壊の神、死の神 | 大黒天(だいこくてん) |
ラクシュミー | 福徳の女神 | 吉祥天(きっしょうてん) |
ガネーシャ | 商業の神・財運向上の神 | 歓喜天(かんきてん) |
ダーキニー | 夜叉・羅刹 | 荼吉尼天(だきにてん) |
マリーチ | 陽炎の神 | 摩利支天(まりしてん) |
アスラ | 悪鬼 | 阿修羅(あしゅら) |
その後のどの国においても、在来の信仰が取り込まれていくのがわかる・・
日本においては、 本地仏・権現ということになるが、そのほか、地獄・極楽の浄土というものが核心となる
10世紀の『往生要集』では地獄・極楽はたくさんあったようだが、結局現在は南無阿弥陀仏の西方浄土だけであろうか。
宮沢賢治の妹にささげる雪の碗が、妹の居る「兜率天の食となるように」という詩(『永訣の朝』)も浮かぶが・・
地獄 | 極楽 |
等活地獄 黒縄地獄 衆合地獄 叫喚地獄 大叫喚地獄 焦熱地獄 大焦熱地獄 阿鼻地獄 |
弥勒菩薩の兜率天(とそつてん) 観音菩薩の補陀落(ふだらく)浄土 薬師如来の東方瑠璃光世界 阿弥陀如来の西方極楽浄土 |
長岳寺 地獄絵図 | (観無量寿経)→当麻曼荼羅 |
地獄の図は、ダンテの想像よりすごいと、梅原猛 は言う。(下記で詳しく見る書で)
仏になったインドの神、仏教の天部についてに戻ると、先日見た、安倍文殊院(奈良の桜井市)騎獅文殊菩薩の従う像であるが、「てん」と読みが入り、装束も似ているので、これも天部かと勘違いした。
文殊菩薩の乗る獅子の幉(たずな)をとっている優填王像(うてんおう)は、 お寺のサイトには「 西域・優填酷の王子を意味する」とある。その国が「華厳経とは密接な関係にあることから、執り入れられたものと思われる。」とも。
王子というが、姿形は仏法の守護役の天部にしか見えない。頭上のは王冠だとしても、四天王も「4人の天の王」Four Heavenly Kingsであるが・・
国宝 渡海文殊(とかいもんじゅ)(高さ7㍍)@安倍文殊院
獅子 に乗り4人の脇侍を伴う渡海文殊(平成25年6月に5像全てが国宝に指定された。鎌倉時代・建仁3年(1203年) 快慶作)。
コトバンクによれば、優填王:うてんおう。
コーシャンビーの国王。妃の勧めで釈迦に帰依し、初めて仏像を造ったといわれる。「古代インド、紀元前五,六世紀,釈迦在世の頃のインド,コーシャンビーの国王。仏教信者。仏像の始まりとされる牛頭栴檀(ごずせんだん)の仏像を作らせたという。」
(←それはないだろうが、伝説。)
*図像検索
■竜門石窟の大量な優填王像
■興福寺東金堂 菩薩の眷属(けんぞく)である唐獅子と御者の優填王
梅原猛『続 仏像 心とかたち』の「諸天像に心を探る」をここで見ることにしたい。
その前に、「普賢、菩薩像に心を探る」のところを読むと・・
「知恵は獅子に乗り、海のあなたからやってくるのである」((p66)
文殊(智・知恵)像は獅子に乗り、普賢(理・慈悲)像は象に乗る。
釈迦の両脇侍普賢と文殊両菩薩であるが、日本以外では釈迦の脇侍としているものは少なく、おそらくインドではほとんど見られない.
大乗仏教自身が作りだした仏といいうる。(p50‐51)
獅子と象は仏を運ぶもの、という。
(高野山には、孔雀に乗る仏の像があったが、あれは孔雀明王。)他に東寺講堂の帝釈天像(平安前期)も象に乗っている
→このテーマは、ゆっくり見たい
日本最古の普賢・文殊菩薩像:法隆寺壁画
普賢菩薩は東から西に向かう象に乗り、文殊菩薩は方形の台座に腰をかけ、維摩経の形式で、都会文殊とは違うもの。
奈良時代はほとんど制作されず、現存最古の
白象に乗る普賢菩薩は12世紀になってから、平安後期に優品が多く、美しい女性的な菩薩像として表現され、美人の代名詞ともなる。(p57)
文殊菩薩単独の信仰は平安時代初期に比叡山において始められた。(p60)
知恵移入の理想的人物像
文殊の知恵は、日本文化を貫いている大きな原理である(p67)
また、引用が長くなるが、日本において四天王から、七福神へ変わっていく問題であるが、『続 仏像 心とかたち』(梅原猛)の「諸天像に心を探る」から抜き書き
バラモン教(のちのヒンズー教などが仏教化した諸天=古代宗教の神々=自然神、具体的な神格を持った喪の天部像の最も古いもの:前2世紀半ばのバールハット(バールフト)塔の周囲の石の玉垣門を守護するや神として、他の種々な薬叉男女神と並んで造られている。
:合掌した貴人の姿
仏教世界の四方(東西南北)を守護する神として、釈迦像の周りに配置される :鎧を着けた武人の姿
力強く怒りを爆発させる表現に向かう。その頂点は、東寺講堂の四天王像のうち、持国天と増長天。長袖の端を結んでいる
→平安時代の密教流行以後においては
方位を守護する天部としては、十二天像が一般的になった。
四天王より高い神格を持つ、天上界に君臨する、帝釈天、梵天も四天王と同じように釈迦像の周囲に配置される、奈良時代に、重要な仏殿には護法神として安置されていて、遺品も多い。
奈良時代の像容は、端正なが顔容で、唐風な長袖の衣を着た姿であるが、その長袖の下には鎧を着けている。
平安時代には、重要性を失い、あまりつくられなくなった。
→インド的な、東寺講堂の象に乗る帝釈天、鵞鳥に乗った梵天が重要。
*ヒンドゥー教の3大神の乗り物(聖獣・聖鳥)→水鳥ハンサ、ガルーダ鳥、牡牛のナンディン→「ヒンドゥー教の神の乗り物」
奈良時代の護法神:
門を守護する金剛力士
釈迦を守護する八部衆
薬師を守護十二神将
金剛力士像:上半身裸で(インド的)たくましく怒号する;古いもの:法隆寺中門像・長谷寺法華説相銅盤像
東大寺法華堂執金剛神像もこの部類だが、武装した姿で特殊な形で日本では異例 (→ヘラクレス by田辺勝美先生)
独立して信仰される毘沙門(多聞)天=諸天の中で大衆的信仰を得るようになった最初の武神(p118)
この像が日本で最初に作られたのは西大寺(残っていない)
毘沙門天信仰は西域のコータンで盛んであった(北方向の守護神)
742年に敵に包囲された西域の安西都護府に出現し、その直前に幾万もの鼠が敵の弓の弦を噛み切ったという。その伝説から、西域では鼠をもった毘沙門天像が作られている。
財宝神のクベラ(俱吠羅)神の性格も加わってから。(p119)
東寺金堂の兜跋毘沙門天像・・唐から持ち帰ったとみられる
王城を守護する 鞍馬寺の異形の像、東北のいくつかの像
平安後期になると、武神としての性格のほかに、福神としての信仰が深まリ、大衆信仰の対象となる‥
日本の絵巻物の最高傑作:信貴山縁起第三巻尼公巻・・山崎長者の宅から鉢に乗って飛んできた飛倉の木材をとって毘沙門天像を作り福徳を授かる
恐ろしいものから守護することを祈る対象は明王に移る
憤怒神から福徳神への他の例は大黒天
大自在天(シバ神)・・象の皮を両手で背後に広げた形に作られたのが始め
ラマ教三面六臂黒色憤怒の相:厨房の守護神
日本で:大黒天は信者に食事の不自由をさせない神→部蔵せず、江戸時代に打ち出の小槌を持ち、俵を踏んだ姿に
福神信仰は鎌倉時代に日本化した
大黒天は大国主命と同じという信仰、毘沙門天と弁財天とを号した三面大黒天という信仰までで見る
庶民の間の福神信仰の流行は江戸時代の七福神信仰を生み出す
七福神=恵比寿、大黒、毘沙門、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人
(繁栄、長寿、財宝‥宝船)
勇壮な仏法守護の男神→個人守護、男性の福神
女性神の発足―吉祥天、弁才天
日本仏教において明らかな女神として表現されているのは、天部の中の女神像だけ
奈良時代後期:東大寺法華堂 吉祥天女、弁才天j女
法隆寺吉祥天女、薬師寺吉祥天女
鎌倉時代の浄瑠璃寺吉祥天女は天平彫刻の模刻
吉祥天女(功徳天)=鬼子母神と徳叉迦の娘、毘沙門天の妃とされる(インドでは幸福の女神、ヴィシュヌ神の妃)
平安時代以後、女神信仰は弁才天に移る
鎌倉時代末期以降の作品がほとんど:鶴岡八幡宮の像、江の島の像
人身象頭の抱擁像:歓喜天(聖天)
ガネーシャ、大自在天(シヴァ神)の子、同じくシヴァ神の子の女神(観音)との愛によって悪行を封じられた神
京都等持院の木彫り像
以下、まだ続くのであるが、平安時代末期からはすっかり「仏の世界の庶民」というまでに至り、そして江戸時代には、七福神が成立したということであった
仏の世界の庶民 天部のほとけ:
彼らの出身が異教であるためでもなく、衆生救済のために、わざと巳を落としているという倫理的な理由のためでもない。
お顔と態度があまりに人間的すぎるから。(p130)
厳粛な単調さを破る天部のほとけ
仏像芸術における唯一のユーモアの源:邪鬼(p132)
この庶民の仏、天部のほとけは、平安時代の末からむしろ単独崇拝を受けるようになるが、それには、鳥獣戯画で有名な鳥羽僧正が関係しているのではないかと佐和先生(佐和隆研)は言われる。
鳥羽僧正は当時の貴族や僧侶を、猿や鬼に比して、偽善や愚行を嘲笑した。とりすました貴族や僧侶を笑うように、取り澄ました仏、如来、菩薩の崇拝を笑いつつ、庶民は天部のほとけの中に己の神を見つけたのかもしれない。(p133)
天部のほとけの特徴は、その自由さ気楽さのみでなく、同時に現世利益の能力の卓抜さにもある。
平安末期から天部信仰は強くなり、時代とともに盛んになっていく。
今日でもお賽銭だけで生活していける仏様には天部が多い。宗派としては、浄土真宗だの全集だの日蓮宗だのである。それらの信仰は信仰で、別に弁天様や、大黒様や、お稲荷さんにお参りする。(p134)
守護のほとけの中から毘沙門天様だけが単独崇拝を受けるが、その役目はかわっていない。:
魔よけ、厄よけ、禍いよけ。禍から守る守護の仏。
庶民のもう一つの要求は、美。
天部に現れた人間の欲望の意味:いかなる人間の心の微妙さも、地上的欲望と地上的欲望の変種によって説明するのが現代の人間研究の常識となった。
三面大黒は七福神の基礎をなす。
七福神:
インド3(毘沙門、大黒、弁天)、中国3(寿老人、福禄寿、布袋)、日本1(恵比寿‥辺境の海辺の神であったらしい):曼荼羅思想の一つ、日本の民衆が生み出したもの、主神がいない;平和共存遊び曼荼羅、神々としてはアウトロー、笑う神、極めて日本的、竹林の七賢人からヒントを得たのかもしれないがインナーナショナルな平和共存
天部に現れた人間の欲望:人間存在の三基本様相(安全、食、性)
19世紀以来の世界の思想的傾向は今までのように人間理性とか精神とかいう高級な能力から考えずに肉体から人間を考えようという哲学の主張
天部は欲望の乱舞する国
天部の仏像に見る「人生の肯定と生の快楽の謳歌」と言ってしまうと、それって釈迦の思想とは違うものではないか・・確かに「仏教は一つの宗教であるか、疑問」(p224)である。
仏教の特色は寛容であることという。
「仏像の多種多様は、仏教の寛容さと、豊かな生に値する虚心な受容性による」という。著者は美術史家ではなくて哲学者であり、「仏像の中に全人生を見る思いがする」とあるのは、この本の結語かもしれない。
日本文化は価値多元的でマンダラ型である・・ともあった・・
ここで美術史に戻り、仏教美術入門おさらい篇として
ギリシア・インド的四天王像(戒壇院の四天王と天平文様)
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