聖樹聖獣文様
「すぐわかる日本の仏教美術―彫刻・絵画・工芸・建築 仏教史に沿って解きあかす、美の秘密 」(守屋正彦著東京美術 改訂版2010)より
日本の仏教は、西暦538年(一説に552年)に百済の聖明王から欽明天皇へ仏像と経典が贈られたことに始まる(=仏教公伝)
その仏像は「金人(きんじん)」と呼ばれた。(金メッキを施した異国の神)
わが国古来の神がいて、そこへ異国の神。結果的には受け入れ、神様と仏様が共存する国家として歴史を作ってきた(p10)
いろいろな神仏の名前がごちゃごちゃしていて、何が何やらわからないので、少し見てみます。「天」がつくのはインドの神であったとして、「権現」というのは、日本の神との問題だったのですね・・ 権(かり)に日本の神々の姿をとってあらわれるという。
「すぐわかる日本の神像―あらわれた神々のすがたを読み解く
」によれば、
本地たる仏・菩薩が人々を救済するため、権(かり)に日本の神々の姿をとってあらわれること。平安末期に成立した考え
垂迹絵画・・・春日曼荼羅図 山王(さんのう)曼荼羅図 熊野曼陀羅図
垂迹彫刻・・・僧形八幡(そうぎょうはちまん)神像 雨宝童子(うほうどうじ)像 牛頭天王像(ごずてんのう) 蔵王権現(ざおうごんげん)像
垂迹工芸・・・御正体(みしょうたい) 鏡像 懸仏(かけぼとけ)
本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。wikipedia 閲覧20160219
神の正体とされる仏を本地仏という。
9世紀のころ、それぞれの神の権現号がみられるようになった
12世紀のころ、それぞれの神の本地仏が定められていった。『日本史B用語集―A併記
』 山川出版社wikipedia 閲覧20160219
あと、大日如来像は中心的な像にみえるが、仏教体系でどうなっているのかよくわからない。
「如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。」といわれましても・・見れば見るほど名前がある仏の一覧(wikipedia)
これについて、
日本仏教美術の大きな流れということで
日本の仏教美術はその性格から大きく二つに分類できる
1.顕教の美術: 釈迦中心
人間的な姿形の仏像が作られた
2.密教の美術: 大日如来中心
複数の顔や手の超人的な姿の仏像も作られた
やっと,わかりましたよという感じ(-_-;) 出典は「すぐわかる日本の仏教美術―彫刻・絵画・工芸・建築 仏教史に沿って解きあかす、美の秘密 」 ほんとによいシリーズですね~~
平安密教は毘盧舎那仏が昇格した大日如来を得て、顕教での釈迦中心の考え方はその一部として取り込まれる。
すべての仏は大日如来が姿を変えて現れたものとする。
根本の大日如来、その分身仏の釈迦如来、という考え方
日本では平安時代に浸透した密教において最高仏として位置づけられ、大日信仰が成立した。wikipedia 閲覧
柴門ふみさんが1年半ほど見て回って、サイモン度が高い仏像は、以下の順だそうだが、その1位である・・ (ぶつぞう入門)
(ちょっと古い2001年刊ですが)訪れた寺として挙げられているのは50で、「ぶつぞう」の絵は67ほどあり、 絵がかけるっていいですね~~としみじみ思いつつ 「あまりに抽象化された美には臆してしまう」というので、・・ふ~~ん、そうなのか、 そうなんだろうな??
まず、それは中宮寺や広隆寺の像
(弥勒菩薩、半跏思惟像 )のことだろうけど、それと、定朝が好きになれないようだ。
わかるけど~
ちなみに、広隆寺の弥勒菩薩(7世紀)は国宝第一号。定朝スタイルも平安時代を支配した主流。サイモンさん、へそ曲がりというか、いや、ルネッサンスリアリズムの写実派というか、私としては、家に置くフィギュア(みうらじゅんさんの言う念持仏)に、弥勒菩薩はいいかも~~ロダンの考える人!~~観光的に数あり入手し易そうだし^_^ 、もちろん、興福寺阿修羅像も、ピカ一ヒーロー!戒壇院広目天もヒーロー!・・
「すぐわかる日本の仏教美術」においては、
大日如来の造像は日本でだけ流行したという。あと、
仏像の
作者名が出てくるのは少ないが、
1.法隆寺金堂釈迦三尊像(国宝)、 飛鳥大仏鞍作止利作 623年
2.興福寺阿修羅像 将軍万福ら作 脱活乾漆造り 734年
3.平等院鳳凰堂 阿弥陀如来像 国宝 定朝作 寄木造 1053年
「日本初の本格的な仏像を造った天才」が鞍作止利、
同じく天才と冠されている、定朝が平安彫刻の典型といえる見事な和用の仏像様式を完成。
密教仏の尊厳な相貌から解放された「相好円満」な定朝スタイルは藤原遺族に愛され、仏師の地位を確立、定朝様式は長く続いた
脱定朝様式を示したのはようやく鎌倉時代に活躍する仏師たち
1.院尊を中心とした院派
2.明円の円派
3.定朝の正系である成朝とその弟の康慶(運慶の父)に始まる慶派
南都復興が慶派躍進のきっかけ
ポスト定朝様式の力強い表現へ
天平様式の復古から、写実的な新しい彫刻様式の誕生
鎌倉ルネサンス彫刻の例: 金剛峯寺 八大童子 国宝 運慶作 木造 1197年 像高103cm
平成元年~2年の切手
みうらじゅんさんの言う「スーパ^スター」
平城遷都1300年祭 2010年
薬師寺の葡萄唐草
薬師寺の忍冬唐草文ニッポンへ
四天王像インドから
ガンダーラ仏(世界美術全集4の5章)ギリシアから
仏像の光背ペルシアから