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美術史家

美術史家

ヨーハン・ヨハネス・ヴィンケルマンの『古代美術史』は、古典考古学と美術史学の先駆的作品で、「高貴な単純さと静かな偉大さ」を美の本質として、ヨーロッパの新古典主義を先導した、と水田徹。(「世界美術大全集」 第4巻「ギリシア・クラシックとヘレニズム」序論)

me「世界美術大全集」 第4巻「ギリシア・クラシックとヘレニズム」目次読書中。
この全集は、いままで 第7巻(中世初期)、第3巻(エーゲ海)とみてきたのだが、・・ギリシアの核心はこの4巻あたり・・
そしてまさに、「序論」に、ヴィンケルマンの下記の像(パブリックドメイン)が出ていました・・

 

ヨーハン・ヨハネス・ヴィンケルマン
(Johann Joachim Winckelmann, 1717- 1768)、
18世紀ドイツの美術史家
1768年6月8日に 殺害された時、ゲーテ(1749- 1832)は19歳で非常に衝撃を受けたという話が「詩と真実」に

ヴィンケルマン

wikipedia 閲覧20151213

『ギリシア芸術模倣論』(1755年)や『古代美術史』(1764年)を著して古代の芸術を賛美し、大きな反響を呼んだ。ヴィンケルマンは、芸術は自然を理想化すべきもの(美のイデアを表すもの)であり、それは古代ギリシアにおいて達成されている、従って我々が目指すべきは古代ギリシアの模倣である、と説いた。ヴィンケルマンの著作は新古典主義の理論的支柱となり、ゲーテ、レッシングにも影響を与えた。

ギリシア美術摸倣論 (1976年) ヴィンケルマン (著), 沢柳 大五郎 (翻訳) 座右宝刊行会 (1976)*https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp//q1122584316
古代美術史

近代ドイツの美学思想

https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-15073-9.html

古典主義からロマン主義への移行期に、近代ドイツの美学的思考はどのように成立したのか。レッシング、ヘルダー、ゲーテ、シュレーゲル兄弟らを中心とする思想家たちが、ラオコーオン像などの古代彫刻作品やイタリア・ルネサンス美術の批評をめぐって展開した論争をつぶさに追い、ギリシア的理想がドイツの思想空間にもたらした文化的・宗教的革新の本質に迫る。掲載図版多数。  


ゲーテの『ヴィンケルマン』


グランドツアー――18世紀イタリアへの旅 (岩波新書) 岡田温司著
https://www.iwanami.co.jp/hensyu//sin_k548.html「ヴィンケルマンが、折しも始まったばかりのポンペイ遺跡発掘に熱狂的に参加」

ゲーテ全集〈9〉自伝―詩と真実第1部・第2部

ゲーテの自伝の方でなく、『イタリア紀行』の方であるが、 ヴィンケルマンが殺されたのが、1768年6月8日、ゲーテは1786年の11月1日にローマに入る。11月24日のところに初めてヴィンケルマンの名が出てくる。

12月2日
「フェアの翻訳になるヴィンケルマンの美術史の新版は大変有益な書物で、ぼくはそれをすぐに手に入れたが、このローマの地で、親切に解説し教示してくれる仲間たちのなかで、この書は非常に役に立っている。」(高木久雄訳 :『ゲーテ全集』潮出版社、新版2003年)

12月13日
ヴィンケルマンがイタリアから書き送った書簡集が今朝、手に入った。これを読み始めて何という感動をおぼえたことか!三十一年前のちょうど同じ季節に、ぼくよりもっと哀れな痴者として彼はこの地にやって来た。古代の遺物や芸術のことを根本的に確実に究めることは、彼にとって文字通り真剣事であった。何と立派に彼はそれをやりおおせたことであろう!そしてまた、この地にあって手に入ったこの人の記念は、ぼくにとって何と尊いものであろう!

フランケにあてたヴィンケルマンの手紙の一節は、とくにぼくを喜ばせた。「ローマでは、すべての事物をいくぶんかの鈍重さをもって求めなくてはならぬ。さもないと、われわれはフランス人と受けとられる。ローマには、あらゆる世界にとっても最高学府があるものと私は信ずる。そしてわたしもまたそこで純化された試練を受けたものである。」

訳注では「ヴィンケルマン この有名な古代美術史の研究家は、1768年6月8日、イタリアからの帰途 トリエステの宿で、イタリア人フランチェスコ・アルカンジェリによって殺害された。」

翌年1月13日になると、いくぶん調子が変る。著書のためにも早世を悼んでいる。

ヴィンケルマンでもなしえなかったこと、それに、彼にたいして文句をつけたくなることの、なんと多いことか!彼は自分のものにした材料を使って、自分の仕事の完成をあまりに急いだのだ。もし彼がなお生存中であれば、まだまだ元気でかくしゃくとしているだろうし、まっさきに自分の著作の改定を行っているであろう。他の人々が彼の原理にしたがってなした事、観察したこと、近頃になって発掘し発見したことを、すべて彼は自ら観察し整理し利用したことであろう。アルバーニ枢機卿もそのころには亡くなっているだろう。この人のために彼は幾多のことを書きもしたが、たぶんこの人のために言わずに黙っていたことお身靴かあるだろう。

1月28日
この都市の巨大な、しかも廃墟でしかないおびただしい遺蹟や、あらゆる美術品に接して先ず最初に求められるのは、それらが成立した年代を尋ねることである。ヴィンケルマンを通じてぼくたちは、時代を区分し、各民族が採用し時代の経過とともに徐々に発展させ、ついにはふたたび形を崩してしまったところのそれぞれ違った様式を認識することを、切に求められてる。
(中略)どのようにしてその洞察に到達するのか?必要なのは、長年にわたって眼を確実に修練することである。

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