ティツィアーノはブロンズィーノと並ぶ、「イコノロジー入門絵画」作者!?であるか・・・
1565年 - 1570年頃
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
蔵
Titian and workshop - An Allegory of Prudence
Date between circa 1550 and circa 1565
Height: 75.5 cm ; Width: 68.4 cm
National Gallery
ティツィアーノの画である。パノフスキーによれば、老人の容貌はティツィアーノ自身のもの。
『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』(岡田温司監修ナツメ社2011年刊)で、「生と賢明の擬人像」として挙げられている。
その説明に明確には挙げられていないが、三つ頭の怪物は、地獄=死の入り口の怪物ケルベロス・・
青年の男性・犬
未来、予見を表わす。人間に忠実な犬は、未来への不安を鎮める。
壮年の男性・ライオン
現在を表わす。ライオンはその力と活動的性質から現在、知性をあらわす。
老年の男性・狼
過去・記憶を表す。狼は過去をむさぼる。
(『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』p176の解説)
(シンボルを読み解く)
過去・現在・未来を表す人間と3種の動物
『三世代の寓意』
西洋人にとってこの図像の主題である「賢明」とは過去の経験を記憶し、現在を賢く行動し、将来を予見することを意味する。したがって、前面の老年・壮年・青年期に属す3人の男性は、過去・現在。未来を象徴している。同時にその下にがかれた狼、ライオン、犬もこれら3つの時を表す。
3種の動物の起源は、古代末期の哲学者マクロビウス(✳)の記述にまでさかのぼる。本来、賢明の図像と動物の図像は別のものであったが、ルネサンス期に重ねられた。
『絵画を読む イコノロジー入門』 (NHKブックス 若桑 みどり著(1993))では、
「狼は悔恨を、ライオンは力を、犬は先見を表す。賢明な人間は過去の過ちから学び、未来の先見によって現在の行動を決定する。」とある。 (『絵画を読む』p167)
パノフスキーが『視覚芸術の意味』で(p262※)この怪物の時間的変化を追跡し、絵画と文学においてそれがどのように描かれてきたのかを歴史的に記述している。
パノフスキーの描くケルベロスはもはやセラピスの従者ではなく、アポローンの従者である。そこでもまたそれは時間を象徴するイメージなのである。(『動物シンボル事典』p144)
時間の象徴関係で、アイオン、蛇に巻かれた獅子を見ていた時、蛇に巻かれたセラピス(
Barbara Maria Stafford: Symbol and Myth (1979)をみていたが、
見ていただけであって、半可通で意味が分からないので今まで置いてきました。
また、「過去・現在・未来を表す人間と3種の動物は、ルネサンス期に重ねられた」とあるが、ティツィアーノ以外もこんな図像を描いたのかどうか?
リーパ以前の図像集(1556)
Giovanni Pierio Valeriano Bolzaniの「Hieroglyphica」の図
リーパ以前の図像集(『ヒエログリフィカ』)にも、三つ頭があった。(Dianaと書かれている)
パノフスキーの註によれば、これが、ティツィアーノのイコノグラフィ的典拠と思われる、とある。
ところでこのティツアーノの絵に関して、若桑みどりさんは、 ティツィアーノの遺書という・・?
テイツイアーノが《賢明の寓意》と題して、自分と息子と、その次の跡継ぎの三世代の肖像をトリプルフェイスとして表したことは有名であるが、ティツィアーノの芸術の中にいかほど反古典的な16世紀の精神が入り込んでいたかを示している。
(若桑みどり「太陽を持つ女―寓意と象徴の女性像」
(全集 『美術の中の裸婦』 第7巻の総論 1980集英社刊)のp19)
過去に自分の首を、現在に息子を、未来にそのあと次の顔を描き、自分の工房が栄誉ある事業を継続することを願った。
その子孫を通して永遠を信じることができた男性にとって、老齢は伝えるべき英知の象徴であった。だが、肉体だけを受け渡す女性たちの老齢は単なる滅びとして表現されたのである。
最後の部分(「肉体だけを受け渡す女性たちの老齢は単なる滅びとして表現された」)に関しては、女性論は別サイトにまとめてきましたので、話は飛んでいきますがこちら→3つ組の女神hekate.html
ちなみに、普通の一般的「賢明の擬人像」は女性で、後ろに老人の頭をつけている。当然のことながら(?)
「原型となったと思われるのは古代ローマの神、ヤヌスであろう」という。
→ ダブルフェイス・トリプルフェイス
『ヤヌスの3面像について』
→2014k/yanusu.html、
→「教会の怪物たち」 を読む
パノフスキー自体をを読む前に『イメージの解読 怪物』若桑みどりさんの論考「三つ首怪物の普遍的生命について」に進みます‥(1991)
パノフスキーの研究『ティツィアーノの賢明の寓意について』によって論じつくされたかに見える。
この作品は、いかに象徴や寓意を語るとしても、表面上のリアリズムを決して破壊することのなかったティツィアーノとしては、非常に異例な作品
ルネサンスにおける最も常套的な寓意図像の集大成であるチェ―ザレ・リーパの『イコノロジア』には、ごく一般的にみられる《賢明》の寓意表現が次のように記述されている。
「ヤヌスに類似した二つの顔を持つ女。鏡をもってこれに自分を映し、一方の手に蛇を巻いている。 二つの顔は《賢明》が真実で確かな認識を持つことを意味する。しかも、その認識は二つの事柄すなわち過去の事柄と未来のそれとを考慮することに必要だからである。 」@チェ―ザレ・リーパ『イコノロジア』
チェ―ザレ・リーパ《賢明》
『イコノロジア』 (p19 図版)
ティツィアーノの作品は鏡、蛇などの伝統的アトリビュートを欠いている。(p168)
この絵のエンブレム的性格を一層確実にしているのが上部に書き込まれているインスクリプション
「過去に鑑みて、現在は未来の行為を駄目にしないように、慎重に行動する」
このようなモットーつきの謎めいた図柄は、当時流行のインブレーザと同じ形式(p170)
パノフスキーPanofskyによれば、
この寓意図は、過去と現在と未来を象徴する。
老人、壮年、青年像
この人生の三段階は、過去、現在、未来という時間の三つの型を示すとともに、賢明な人間が持つ三つの心的能力である、過去から学ぶ記憶、現在を判断する知性、未来を知る予見、をも象徴する。
パノフスキーによれれば、このような記憶、知性、先見の能力を賢明の美徳と結びつけたのは偽セネカの書物(実際は6世紀のプラハのマルティーノ司教の作
)
:「『賢明な思慮』は先例を与える過去、問題を提起する現在、結果を隠し持つ未来を斟酌する」(p171)
パノフスキーは三つの首を持った15世紀の図像例を二つだけあげている。(p171)→2019k/kaibutu_image.html
ここでようよう、パノフスキーの論考自体を読みます。(20191030)
パノフスキー『視覚芸術の意味』p168 図50)
ゲーテが『ファウスト』で
「なんじは、三回それをいわねばならない」という忠言をメフィストフェレスとに言わせたという。(p153)
パノフスキーは、この論考の初めに、「後記」を置いて、
「いくつかの重要な点を書き漏らしてしまったので、忠言に従うことを許されてもよいだろう」といってから、また書き改めている・・
30年前、キャンベル・ドッジソンから、ホルバインとティツアーノの絵(フランシス・ハウアード旧蔵)のイコノグラフィ的意味を尋ねられ、亡き友フリッツ・ザクスルとできる限りの回答をした。(1926英文)
1930その独逸語訳「岐路に立つヘラクレスと中世以後の美術における他の古典的主題」
(今回書き足し)
一
ティツィアーノの最晩年、1560‐1570の間に描かれた、
「寓意的」というよりは「象徴的」と呼んでよいただ一つの作品。
哲学的含蓄を帯びた視覚像というよりは視覚像により図解された哲学的格言である。
ティツィアーノの寓意画―ボルゲーゼ美術館の《キューピッドの教育》、ルーブル美術館の《ダヴァロス侯爵の寓意》、プラド美術館の《ヴィナスの饗宴》と《アンドレアン家のバッカスの酒宴》、ロンドンのナショナル・ギャラリーの《アリアドネの賛美》、
特に《天の愛と地の愛》―に対するとき、:具体的で特別な光景の背後に、ある抽象的・普遍的な意味を、強制されなくとも探求してみたい気持ちに誘われる。
このハウアード所蔵の絵は、 シンボル、パズル、警句、ことわざなどの性質を帯びた「象徴」、真の「モットー」すなわち「題名(テイトウルス)」をつけているティツィアーノの唯一の作品
E PRAETERITO/PRAESENS PRVDENTER AGIT/NI EVTVRA ACTIONE DETVRPET
「過去の経験に鑑みて、現在は未来の行為をだめにしないように、慎重に行動するのである」
二
PRAESENS PRVDENTER AGITという節は「大見出し」風
この三つの顔は、人生の三段階(青春時代・壮年期・老年期)を代表するとともに、概して時間の型または形式、すなわち過去・現在・未來を象徴することが意図されている。
賢明という美徳が成立するために、同時に作用する三つの心的能力、すなわち、過去を覚え過去から学ぶ記憶、現在を判断し現在に行動する知性、それに未来を予知し未来に備える先見、と結びつけられることを求められる。
ペトルス・べりコリウス『倫理の宝庫』:「賢明とは、過去の記憶、現在の秩序化、未来の思索よりなる」=韻を踏んだ決まり文句。6世紀につくられた。
中世及びルネサンスの美術は、このような賢明の三分割を視覚像で表わす多くの方法を見出した。(p155)
三頭像の意義は、叡知、すなわち蛇『マタイ伝』(第10章第十節)という伝統的な持物によって、さらに明確にされている。(p156)
三
「人間型の」部分は、連続する純西欧の伝統によって、16世紀まで伝えられたテキストや像に由来している。しかしながら、三獣頭を理解するには、エジプトまたは偽エジプトの神秘的宗教という、ほの暗い遥かな領域まで遡らなければならない。
1419年のオルボッロの『象形文字(イエログリフイカ)』の発見後は、熱烈な興味の対象となった。
ブリュアクシスBryaxisの作とされるセラピス像はアレクサンドレイアのセラピス神殿Serapaeumでおおいに称賛された。
笏を手に、持物である穀物のます(モデイクス)を頭に載せユピテルの如き威厳を以て王座についている姿を表す。彼の最も目立つ特徴は、彼の連れ、すなわち三頭の怪物であり、それは蛇に巻かれ、肩に載っているのが犬・狼・獅子である。
土産物のテラコッタの小彫像
プルタルコスがセルピスの怪獣を「ケルベロス」と簡単に同一視したことは、本質的に正しいかもしれない。しかしながら、蛇はセラピス自身の本来の化身であると考えられる。(p157)
マクロビウスはセラピスの連れを「時間」の象徴と解釈した。
コペルニクス以前の人々は、当然のことながら、時間は太陽の永遠不変の運行によって支配され、いや生み出されさえすると考える傾向があった。そして、蛇―自分の尾を貪り食う性向があると思われ、時間の、または時間の中にいくたびも生ずる一定期間の、伝統的象徴であった―を描いていることは、マクロビウスの解釈を更に支持するように思われた。
「時間」と「賢明」は、イコノグラフィの伝統では、蛇という共通分母によって結ばれている。
(※マクロビウス(399~422)en.wikipedia/Macrobius ) 四
900年以上の間、この魅惑的な生物は、マクロビウスの写本に幽閉されたままであった。それがペトラルカ―いわゆるルネサンスに他の誰よりも多く貢献したと考えられる人物―によって再発見され解放された。
ペトラルカの「アフリカ」の第三歌(1338年執筆)六歩格の詩
神の側に坐すは、巨大なる奇妙な怪物、
その三頭の顔が見上げるは 神なり
しかも親しげに。右から見れば
犬であり、左には、狼がとびかからんとす、
中間にあるは獅子。しかしてとぐろ巻くへびが
巻き合わせるは、三つの頭にして、移ろう時を表わせり。
マクロビウスとペトラルカの言語的曖昧さのために、われわれは奇妙な発展を見ることになる。どちらも三頭獣が体をとぐろ巻く蛇によって「結ばれている」とか、「巻き合わされている」とか言っている。
依然として、セラピスと彼の連れとの実際の姿に親しんでいる者の場合には、これらの語句は、おのずから蛇を一種の首飾りにしている三頭の四足獣―本来のケルベロス―の像を思い浮かべる。
中世の読者にとっては、 蛇の体から生じた三つの頭、いいかえれば三頭の爬虫類を暗示することができた。
15世紀の芸術家が、時代の一般基準にかないながら、しかも知的上流階級の人々を満足させるようなアポロン像を作り出すように求められた時はいつも、この爬虫類の姿(古代からある、あの「時の蛇」ともいうべきものの像に変えられつつあった)で現れた。
それがあらわれる作品《オウィディウス説話集》《神像の書》
クリスティーヌ・ド・ピサンの《オテアの手紙》《エノー年代記》《恋の敗北》の註解など
最後に、フランキーノ・ガフリョの1497年《音楽の練習》があり、それによると、
蛇体(コルプス・セルペンティルム)はアポロンの足許から沈黙の地球まで、八つの天球を通って伸びている。
このあたりの図像は若桑みどりの論考ですべて取り上げられている→2019k/kaibutu_image.html
このいつまでも続く伝統の魔力を破るには、1500年代の間に成就された「古典的形式と古典的内容の再統合」が必要であった。
16世紀後半にいたって初めて、ジョヴァンニ・ストラダーノが、明らかに真の古代後期の適齢に寄っり、我々の怪物に、その本来の犬の胴体をとりもどし、同時にその主人―ここでは惑星軍における太陽の役を演じている―に,ふたたび真のアポロンの美を授けることができた。しかしながら、このアポロンの太陽神が、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァにおけるミケランジェロの《復活のキリスト》に倣ったものであることに注目すべきである。
五
1419年のオルボッロの『象形文字(イエログリフイカ)』の発見は、エジプト的ないしえせエジプト的なあらゆるものに対する、激しい熱狂ぶりを作り出したばかりでなく、16・17世紀の特色である「象徴的な」精神を生み出した。
オルボッロの『象形文字(イエログリフイカ)』の影響下に、象徴を扱った無数の本が出現したのであり、
これらの本は、
中世の絵画化が複雑なものを単純化し、むずかしいものを容易にしようとしたのに対し、
単純なものを複雑化し、明白なものを不明瞭にするのを目的としたアンドレア・アルチアティの『寓意画(エンブレマタ)』(1531年)の中にとりいれられた。
( ̄∇ ̄;)
エジプト熱と象徴主義の同時発生はセラピス怪物の、いうなればイコノグラフィ的解放という結果になった。
ルネサンス美術において、セラピスの連れとして現れるのはヴィンチェンツォ・カルターリの《古代の神々の像》(1571年初版)の挿絵だけである。
1556年のピエリョ・ヴァレリアーノ『象形文字』ではセラピスの怪物について二回述べている。第一は「太陽」で、マクロビウスの文が詳細に引用され、第二は「賢明」
約3.40年後、この「三頭」は独立した象徴として確立された。
1585年刊『英雄の激情』 空間と時間の無限性という形而上的・感情的意味で占められているジョルダーノ・ブルーノGiordano Brunoの有尾十四行詩Opere itarane
狼と獅子と犬とが現われるは、
夜明けと真昼と薄暗き夕べなり、
そわわれが、費やせしもの、保持せるもの、得んとするもの、
そはわれが、かってもち、今ももち、これよりもたんとするもの。
過ぎし時、此の時、迎える時に、
わが成せしこと、成すこと、成さんとすることをば、
失い、苦しみ、懸念して、
悔い、また悲しみ、また請け合わん。
過ぎにし体験、実りある現在、はるけき希望とが
われをば脅かし、われを苦しめ、しかして和らげるなり
わが心をば苦みと酸味と甘味にて。
かって生き、今や生き、これより生きんとする年月が
われを震わし、ゆさぶり、抱きしめる
ときに影なく、ときに現われ、またどちらともなく。
十分に、余りあるほど、たくさんに
「あの時」、「この時」、「くる時」が
恐れと悩みと望みとで、かくもわれをばくるしめぬ。
三頭像=「17・18世紀寓意の鍵」
ピェリョ(ペリオ)・ヴァレリアーノの出現とともに、要約すれば「胸像のセラピス怪物」は従来のあらゆる「三頭作りの賢明」の肖像にとって代わる新しい「象形的表現」となった。(p168)
アムステルダムの「市公会堂」(※)のフリーズ アルトゥス・クェルリヌス作
リ(ー)パの「良き思慮」:のあらゆる持物が、それぞれ独立したモティーフとして配列されていて、一つ一つはつは人物像から切り離されながらもの見事なアカンサスの唐草装飾(ランソー)と、陽気で活発な裸童像(プッティ)との統一的リズムによって、お互いに動的に結ばれている(図版52)(p169)
Artus Quellinus (1609-1668)fr.wikipedia/Artus_Quellinus
六
この長い脱線のあとで、ティツィアーノの寓意の来歴がはっきりしてくる。
彼はエジプトの三頭像の知識を
ピェリョ・ヴァレリアーノから得たようである。ジョルダーノ・ブルーノとは異なって、彼は
ピェリョの象徴の合理的道徳的解釈を固守した。
イコノグラフィ的見地からすれば、ハウアード所蔵の絵は、それぞれ世代を異にした三人頭の姿をした《賢明》の旧式の像二しかすぎず、それが、「胸像のセラピス怪物」の形をした近代の《賢明》像の上に付加されたのである。
しかし、この付加―これに訴えた美術家は他にいなかった―は、一つの問題を提起している。いったい、なぜにこのもっとも偉大な画家が、一見同じことを言ってはいるが、実は全く異質な二つのもティールフを結合し、このように複雑なものをさらに複雑にするようなことをしたのであろうか。
この絵の発見者は別の絵を保護している装飾カバーとして役立ったのではないかと言いだした。
1560年代後期、ティツィアーノは90歳以上少なくとも80歳近くであった。
これは老巨匠であり、一門の長でもあった彼が、一門のために何かを用意しなければならない時期が来たと感じた時期であった。
もし浪漫的推測にふけることが許されるとすれば、重要な文書類や貴重品が納められる壁(repositiglio)につくられた小さな戸棚を隠すつもりであったと想像することさえできよう。(p171)
1569年溺愛した息子オラツィョ(45歳くらい、兄がいた)を正式な相続人に指定
中央の
オラッツィョは《慈悲の聖母》(ティツィアーノの工房最後の作品の一つ)で描かれ同じ容貌をもつ。
孫がおらす、遠縁のマルコ・ヴェッチェリを引き取る(20歳ほど)
ティツィアーノの絵―近年、賢明の観念と関係づけられた三獣頭を、彼自身と彼の法定相続人と推定相続人との肖像に結び付けている―は、現代の鑑賞者によって「深遠な寓意」として片付けられてしまいがちである。しかし、これが感動的な人間記録であることは少しも変わらない。(p172)
主により「あなたの家を整えよ」と命じられ、次に「あなたのよわいを増さん」と告げられた、第二のヒゼキヤ(ユダヤの王 BC726-725)ともいうべき偉大な王の誇らしき退位である。
芸術作品では「形式」と「内容」は分離できない 。
追記であるが、ティツィアーノの三面像が遺書だとすると、自分の墓のために描いたともいうのがこのピエタだという。
、来年見に行く予定でいる(20190916)