唐草図鑑
聖樹聖獣文様

「怪物―イメージの解読」

Decording Images

me『怪物―イメージの解読』の目次読書

怪物―イメージの解読』河出書房新社1991刊
吉田 敦彦 ,尾形 希和子, 西野 嘉章, 神原 正明 , 若桑 みどり (著)

内容(「BOOK」データベースより) 古代エジプト・ギリシャから、中世・ルネッサンスにいたるさまざまな怪物図像を解読しながら、隠された精神の古層に光をあてる、イメージの精神史。図版多数。怪物のイコノロジー。

■「知られざる土地、テラ・インコニータ」  吉田 敦彦

エジプト神話はギリシア神話同様怪物の宝庫であり、ヨーロッパの怪物表現に大きな影響を与えた。
40図→こちらへ

■「海の豊饒」  尾形 希和子

ロマネスク教会堂は聖なるものの図像とともに怪物図像も豊富だ。二又の人魚もその一例である。
14図→こちらへ

■「絵画的トポスとしての重体像」  西野 嘉章,

西欧における異形の図像の一つに二重体像がある。顔や胴体が二つ接合したこの表現は、その起源を古代にもち、古代の宇宙論的思考を反映したものである。
35図→こちらへ

■「聖アントニウスと怪物」  神原 正明

西欧美術における一大テーマである「聖アントニウスの誘惑」には、怪物が数多く登場する。
41図→こちらへ

■「三つ首怪物の普遍的生命について」  若桑 みどり

『春』の三美神にみられる聖なる数「三」は東西のイメージに形を変えて顕現する。この数「三」は古代のアニミスティックな想像力において重要な意味をにない、聖なる表現の源泉となるとともに、一方では三つ首の怪物像などに見られるさまざまな怪物表現の源泉ともなった。
40図→下に続く

meどれも丁寧に読みたい思うが、尾形希和子「海の豊饒 二股の人魚像をめぐって」は、『ロマネスクの図像学』を読むついでに読了していた。→ 2014k/romanesque_ogata32.html
続いては、ここでは若桑 みどりさん、それから、こちらに続く・・

 

「三つ首怪物の普遍的生命について」 若桑 みどり

序論 怪物的図像の二つの範疇

(p164-166 )

一 『賢明』の寓意

(p167-171)

二 古代ローマにおける多頭獣の系譜
その一 ―ヤヌス

(p172-178)

三 古代ローマにおける多頭獣の系譜
その二 ヤヌス―ヘカテとトリムルティ 

(p179-184)

四 古代における多頭図像
その三―サトウルヌス 

(p185-191)

五 セラピスの怪物

(p192-202)

六 新プラトン主義と異教の三幅対

(p203-212)

結び

(p212 -213)

序論 怪物的図像の二つの範疇

怪物的イメージの図像:
可視的な現実性を模倣するという美術活動の対極をなすもの
不可視なものを表現しようとする根本的に超現実的な表現意欲を代表するもの

.アニミステクな信仰からアントロポモフグィク(神人同型的)な進行への移行が、エジプトからギリシアへの文明の中心の移行の時期に行われた。
怪物的イメージは、人間の主神によって排撃され、あるいは征服された、下位のもしくは周辺の位置を与えられた。
(第一の怪物の範疇)世界の合法的秩序や人間の現実的体験を逸脱した神秘もしくは混沌の領域に”存在する”と信ぜられていたものたちの表象

(第二の怪物の範疇)ある抽象的観念の象徴

(論文の意図)
実際にヒエログリフとされていた古代エジプト起源の、三つの首を持つ生物の図像の系譜を示すこと。

この怪物的図像は15世紀から16世紀にきわめて頻繁に描かれた。

この、エジプトの神セラピスのアトリビュートである獣は、三つの首を持つ。
そこで、多くの首をもつ図像のいくつかを取り出してそれらに共通する意味を見出そうとした。

meこの後に、節ごとのレジュメ的分は下記の各節にてチェック。

第一の範疇、すなわちアニミスティックな古代世界の想像力によって生み出された「時間」の「生成」と「破壊」についての観念の表象としての多頭怪物が、第二の範疇つまり意識的論理的記号としてのルネサンスにおける怪物像に変容しつつ継承される長大なイメージの歴史を一瞥する。(p166)

基礎文献(訳書):

『ルネサンスの異教秘儀』晶文社 原著1958
E・パノフスキー原著1962『イコノロジー研究』美術出版社
『視覚芸術の意味』岩崎美術社
文献一覧

 

一 『賢明』の寓意

第1節.三つの人間の顔を持つ像がキリスト教の道徳哲学の中心となっている美徳の寓意像の一つである『賢明』の形象となっていることを見る(p166)

(p167-171)

1 《賢明》の寓意 
Titian and workshop - An Allegory of Prudence - Google Art Project
ティツィアーノ (ロンドン、フランシス・ハワード・コレクション)zusyo/titian.html


2 《賢明》の寓意 

チェザーレ・リーパ 『イコノロギア』より2015k/ripa.html


3 《賢明》の寓意 
Giotto di Bondone - No. 40 The Seven Virtues - Prudence - WGA09267
ジョット (パドヴァ、フレスコ画、十四世紀初頭)
4 《賢明》の寓意 


四つの美徳・部分 (フランス、ミニアチュール、中世末)
5 《賢明》の寓意 



ロッセッリーノ派、レリーフ、ロンドン、ヴィクトリア&アルバート美術館、15世紀
6  《賢明》の寓意 


(5.6=パノフスキーが挙げた三つ頭の図像は2つだけ)
シエナ大聖堂、床石の象嵌、14世紀

me このあたり→ティツィアーノの寓意画の頁へzusyo/titian.html

 

二 古代ローマにおける多頭獣の系譜
その一 ―ヤヌス

第2節:『賢明』の寓意像の原型になったと思われる二つの顔を持つ古代ローマの神ヤヌスについて。

(p172-178)

7 ヤヌス
 
ヴィンチェンツォ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』より1571年 
8 ヤヌス (『カオス』の神としての)ヴィンチェンツォ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』より 1571年  
9 時の踊り 
The dance to the music of time c. 1640
ニコラ・プサン、ロンドン、ウォレス・コレクション
10 ヤヌス フェッラーラ教会堂、レリーフ、ル・クール『聖ヨハネの秘教的福音書』より、17世紀 

ニコラ・プッサンの絵(時の象徴)


11 聖愛と俗愛 
Titien - Amour Sacré Amour Profane
ティツィアーノ (ローマ、ボルゲーゼ美術館、1515年)
2019k/m_wakakuwa.html


12.『コンコルディア(和合)』の標章
 
アンドレーア・アルチアーティ―『エンブレマータ」より


13、レオナルドの素描 
ロンドン、クライスト教会

レオナルドは見かけ上のリアリズムを超越したエンブレム的表現に興味を持っていた。
レオナルドのこの素描は、レオナルドのいくつかの論理的寓意像の中でももっとも名高いものの一つ。彼はこの素描のシートに、幸福は羨望を呼び、快楽は苦痛とともにあると書いている。(p178)


14.マルカントーニオ・バッセリのメダイヨン

トマンヌス『偉人箴言集』(1630年)より

新プラトン主義的な、またヒエログリフ的な教養を示す例
アリストパネスの寓話から出たシャム双生児を思わせる合体図 銘文:philosophia comite regredimur (我々は哲学を友として退く)


言及文献:
ジョルジュ・デュメジル『神々の構造―印欧語族三区分イデオロギー』(1952)
ヴィンチェンツィオ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』(1571年)
ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』河出書房新社

me2014k/yanusu.html

反対の方向を向く二つの顔を持つヤヌスは、およそあらゆるものの中に潜む二元性そのものの象徴である。(p172)

ヤヌスの話は、更に、
ヴィンチェンツォ・カルタ―リの新プラトン主義的解釈に続く・・2019k/zuzou_cartari.html

三 古代ローマにおける多頭獣の系譜
その二 ヤヌス―ヘカテとトリムルティ 

第3節.三つの顔もつ古代女神ヘカテと、その図像と関連があると思われる、インドの三大宇宙神トリムルティについて考察し、おそらくこれを通して伝来した日本の『阿修羅』図像についても考察(p166)

(p179-184) 

15.ヘカテ 

ヴィンチェンツォ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』より(1571年)
→大橋善之訳(カルタ―リⅢディアーナ p147【三頭のヘカテ】
三頭の女神ヘカテの姿。また冥界の女王でプルトーンの妻であるプロセルピーナとも称される。これは月(ルナ)の三相及び諸元素に対する月の力能をあらわしている。

Dea Triforme(三体の女神)と呼ばれる女神にはディアナとヘカテがいる。

カルタ―リの説明によると、これらの冥界の女王らが三つの首を与えられたのは絶えず変化する『月』の象徴であるからであり、万物に潜む月の力を示すものであるという。(p180)

セルウィウスによると、誕生、生そして死という三つの運命を示す。Cirlotはこれらを、過去、現在、未来の象徴とも考える。 

 

16.ヘカテ(『月』の象徴として) ヴィンチェンツォ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』より 1571年

二つの頭の図像が二元性の象徴であったとすれば、三つの頭によって表されるシステムは対立する二者のダイナミックな均衡を統一する、いわば矛盾とその統一の原理の象徴である。(p179)

グエノンは、二つ頭はいわば、”永遠の現在”を示すものであて、それは真相に迫り得ないと述べている。(p180)

Guenon,Rene,Symbols Fondamentaux de la Sciene Sacree
inJ.E.Cirlot,A Dictionary of Symbols,London,1967

Cirlotによれば、ヤヌスによっては表現されえない高次の統一の象徴を作り出す必要から、三つの頭をもつ身体の表現が生み出されたのであると分析している。

meこのあたりがいわゆるキモ!かも・・

ジョルジュ・デュメジルは『神々の構造―印欧語族三区分イデオロギー』(1952)において、インド、イラン、ローマの宇宙観と社会構造上の三区分思想、三機能イデオロギーが普遍的に存在することを包括的に論じている。(p184)

 

17.ヘカテ ローマ、パラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリ、ブロンズ
18. シヴァ
19.阿修羅王
20.ブラ―マ

 

四 古代における多頭図像
その三―サトウルヌス

(※大橋善之訳カルタ―リでの表記はサトゥルヌス)

第4節:動物の首をもった古代の図像『時』の神サトウルヌスについて考察(p166)

 

(p185-191)

→大橋善之訳カルタ―リp56「現在、過去、未来を意味するサトゥルヌスの姿。この惑星の悪しき自然本性である寒冷、すべてを消尽し破壊する時」


21.サルトウルヌス ヴィンチェンツォ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』より1571年

ヘカテの図像にもトリムルティのそれにも「時間」の観念が包含されていた。
この図像は、停止した時間の尺度によっては測りえない観念―継続、連続、生成の観念を伝えるにも有効な形式であった。(p183)

「時間」のイコノロジカルな伝統についてはパノフスキーの「時の老人」についてのあまりにも有名な論文があり、この大鎌と砂時計と髭と翼を松葉杖をもった図像の起源であるローマの神サトウルヌスについての研究ももはややりつくされた感がある。(パノフスキー『イコノロジー研究』p65ー84)

(確認)
《時間》の老人に翼と砂時計を加えたのは初期ルネサンスの写本作家であること、
古代ギリシアでは速く走る抜ける『カイロス(機会)』と永遠性を表す『アイオン』(イラン起源)しか知らなかったこと。
彼らは時を表すchronosという言葉を、農耕神であるKronosと混同したので、そこから大鎌を持つ老人が出てきたとパノフスキーは指摘する。

農耕神クロノスはローマではサトウルヌスと呼ばれた。
そこから、陰気な土星の力とその影響を受けた憂鬱質の人間と『時間』の総合体であるサトウルヌスのイメージが出てきたというのがウォールバーグ派の代表作『土星とメランコリー』の教えである。(p186)

だが、ヴィンチェンツォ・カルタ―リが掲げるサトウルヌスの図像はこれとは全く異質のものである。

ここではサトウルヌスはイノシシとライオンと蛇の頭をもった怪物として表される。(p186)

ウエルギリウスによると、天上において最高の神だったサトウルヌスは息子のユピテルに追われてイタリアに逃げた。その時イタリアの王であったヤヌスは彼を迎えたがだ、そこでサトウルヌスはローマ人にはじめて農耕を教えたのである。それを記念して、ローマのコインには二つの顔をもった王の顔が彫られた。1人はヤヌスで、一人はサトウルヌスである

カルタ―リの解釈によるサトウルヌスとヤヌスとの結びつきは、パノフスキーによって建てられた通説を疑わせる。

農耕神サトウルヌスと、始まりと時間の地方神であるヤヌスとの結びつきは、人々が「混同」によってchronosとKronosuととり違えたということでなく、かれらにとって時の意識が農耕とともに始まったことを意味するのであろう、


22.わが子を食らう ヴィンチェンツォ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』より1571年
→※大橋喜之訳八坂書房刊のp53「サトゥルヌスあるいは時の姿。自らの息子たちを貪る。つまり破壊されることのない四元素である火、気、水、土を表すユピテル、ユーノー、ヌプトゥーヌス、プルトーンを別に、その他のすべてを消尽するもの。」

23. 子供を食らうサトウルヌス 14世紀


24.セラピス ヴィンチェンツォ・カルタ―リ『古代の神々の真実の新しき姿について』より1571年
→※大橋喜之訳八坂書房刊のp105「エジプト人たちが太陽と観じた神セラピスの姿と三頭の神像をもってあらわしたナイル。これは過去、現在、未来の三つの時をあらわす一方、太陽はけして逸脱することのない秩序と尺度を以て進むことを意味している。」

「時間」のイコノロジカルな伝統についてはパノフスキーの「時の老人」についてのあまりにも有名な論文があり、この大鎌と砂時計と髭と翼を松葉杖をもった図像の起源であるローマの神サトウルヌスについての研究ももはややりつくされた感がある。(パノフスキー『イコノロジー研究』p65ー84)


一方 Cirlotは、サトウルヌスの図像はペルシアのミトラ教の経典Zervan Akaranaに由来したものであり、そこで彼はライオンの頭を持ち、胴体に巨大な蛇を巻いた人物として表されていると述べている。
蛇は時間の持つ二元性を象徴するもので、時間の経過とその無限の循環を示すものである。 ライオンは一般的に太陽崇拝に由来するものであり、ミトラ教では、万物を消耗させ、破壊する時間のエンブレムであったと彼は指摘する。(p190)

25.ファネス 古典期の浮彫、モーデナ聖堂roma/cumont_modena.html


26.ジローラモ・オルジァーテイ『錬金術の寓意』Allegoria dell'Alchimia1569年
Girolamo Olgiati https://cesareborgia.html

この古代オリエントの図像を中世以降に伝えたのはやはりマクロビウスである。

古代についての、画期的な見直し、ラテン文明に先立つ、より古く、遥かに神秘的な古代すなわちオリエント文明の再発見を成し遂げたのが、マルシーリオ・フィチーノおよびピコ・デッラ・ミランドらを代表とするルネサンス新プラトン主義者。
彼らがその当時エジプトの神トトにつかえる神官と信じられていたヘルメス・トリスメギトスの著作と信じられていたいわゆるヘルメス文書から、キリストやプラトンより古く、人類最古の英知とされるエジプト人の知識を学ぶことによって、中世哲学の桎梏を破ろうとしていたことについては、すべてのルネサンス思想史が語るところである。(注 アンドレ・シャステル「ルネサンスの深層」(『マルシリオ・フィチーノと芸術』平凡社 1989)

1520年から70年に生きた図合像作家カルタ―リは、まさにこのようなプラトン主義の思想に基づいて、古代の神々に新しく、真実の意味を付与したのであった。(p191)

 

五 セラピスの怪物

(p192-202)

第5節:『時』の寓意を示すヒエログリフとして最も流布したセラピス怪物について論ずる。

me
『ヒエログリフ』というので、実際に、象形文字のヒエログリフに何かあったかと思いうかべたのだが・・・
意味がちがっていたようだ。 

「時間」の持つ図像はエジプトの神セラピスにその起源をもつ(カルタ―リ)
セラピスを太陽と結びつけたカルタ―リの記述は,マクロビウス『サトウルナリア』一巻―20)をもとにしたものである。
マクロビウスはヘレニズム的エジプトで大きな信仰を集め、信者たちから大いに好まれていた奇怪なテラコッタ像(図27.28)を、ラテン世界において初めて『時』の象徴であると解釈した。

パノフスキーによると、マクロビウス以後、900年間もセラピスは姿を隠していた。
それを再生したのは、1338年執筆のペトラルカの『アフリカ』
で、セラピスを太陽神アポロンに使えるものとした。またこの三頭の獣については、「逃げ去る時を示す」とうたっている。(p194)

セラピスからアポロンへの置き換えと、もともとセラピスについていた三頭獣の主替えは、パノフスキーやウインとの主眼点である。

異教古代とルネサンスの特別なつながり ―形式は踏襲するが、意味を変える、もしくはその逆に意味は踏襲するが形式は変えるという形、あるいは細部を入れ替えるもしくはつぎはぎをするということによって、意味も作用も古代とは全く違う働きを古い形態に入れるというやり方での― 一つの典型である。

パノフスキーは、このような歪んだ伝承が、ルネサンス初期の特徴であって、真のルネサンスとは「古典的形式と古典の内容との再統合」であるという説を持っている。

27.三頭のセラピス B・ド・モンフォーコンの『古代解明』によるギリシア=エジプト彫像、パリ1722年以降

  

28.三頭のセラピス L・ペゲルス『ルケルナエ…イコニカエ』にもとづくギリシア=エジプト彫像、ベルリン、1702年 

ペトラルカがセラピスを復活させてから以後のこの怪物の隆盛は尋常なものではなかった。(p195)

   ルネサンスとマニエリスムの大部分は、セラピスの怪物のmさに主人抜きの奇怪な、きわめて非古典的形姿に熱狂を示したのである。

29.太陽神アポロン ジョヴァンニ・ストラダーノによる版画  
30.ケルベロス ロレンツォ・ベルニーニ、プロセルピーナの略奪・部分、ローマ、ボルゲーゼ・ギャラリー、1621-2


31.天体の音楽 ガフリウス『音楽演習』より、1496年

セラピス怪物の頭部が沈黙の冥界にあること、また、それによって天と地をつなぐ秩序の根幹となっていることも、この怪物が音楽の届かぬ闇の世界を支配していると考えられていたことを理解させる。これらを根拠としてウイントは、パノフスキーのティツィアーノの『賢明』についての解釈に反対する。ウイントにとっては、この三つの動物は紺紙リウムである、また、ウイントは上にいる三つの人間の首は『賢明』の寓意であるとする。上に「健美」下の「紺紙リウム」を並べtら極めてエンブレム的な構図を、ウイントはティツィアーノ的でないと考えてその作品であることを否定し、これをチェーザレ・ヴェチェッリの、ティツィアーノ風の作品であるとする。(p202)


32.『時』の寓意、 子ハンス・ホルバイン、J・エック『石の優越性について』の口絵、パリ、1521年


me『時』の寓意・・・蛇に巻かれた獅子(+犬、狼?)
課題はこれであるな~


33.『助言』の寓意 大クエリヌス、アムステルダム市議会議事堂のフリーズ


34.『ヒエログリフィカ』挿絵 デューラー、ピルクマイアーによるマックシミリアン皇帝への献呈版(写本)より、ウィーン図書館、1514年 

この怪物的形象の、15・16世紀の隆盛はいかにして起こったのであろうか。
パノフスキーはその原因として、1419年のホルス・アポロ(オラポッロ)の著書『ヒエログリフィカ』の発見をあげている。(p196)
フィレンツェの司教クリスト―フォロ・デ・ブオンデルモンテイがギリシア語の写本を手に入れた。その源泉はプリニウス、アプレイウス、プルタルコス、ルキアのサウなどである。 すでにアレクサンドリアでは、エウセビウス、イアムブリコス、マクロビウスらによって、エジプトの秘密文字(ヒエログリフ)には世界の秘密を解き明かす秘密のコードがあると信じられていた
(注 この中には三頭の怪物についての解説は存在しない )
この偽書は発見から二百年の間、その真正さを疑われたことがなかった。

ここには真にエジプト的なものは存在せず、ヘレニズム的に誤解された象徴的なまたアレゴリカルな形象の集積であった。
だが、重要なことは、人文主義者たちが、ヒエログリフ的表現の有効性を、古代の権威に力を借りることによって、確認したことに縁って、彼らの求める象徴化へと芸術を開放したことである。

ヒエログリフ的表現のもたらした革新とは、第一にきわめて高い思想は秘匿された絵文字の中にあるという、観念を彼らにもたらしたことであり、そこから、逆に、アレゴリカルな表現によってのみ、不可視の観念の本質が示されるということを教えたことであった。(p200)

このような脈絡の中で。「ヒエログリフィカ」に続いて。フランチェスコ・コロンナの『ヒプネロトマキア・ポリフィーリ』(1499年)、アンドレ―ア・アルチアーティの『エンブレマータ』(1531年)、ピエリオ・ヴァレリアーノの『ヒエログリフィカ』(1556年)、ヴィンチェンツォ・カルタ―リの『古代の神々の像』(1571年)が出版された。これらのいずれもが、セラピスの連れの怪物を『時』の象形文字として紹介している。

ついに最も影響力の大きかったチェーザレ・リーパの『イコノロギア』(1593年)が出るころまでには、セラピスの怪物は洗練された秘密文字として定着していた。

しかしながらリーパはこの怪物を『時』。もしくは『賢明』のなかに入れず、『良き助言』の項目の中に入れている。

この相違に、ウイントは重大な意味を見出した。
このセラピスの怪物は『時』の三相を残したまま、《賢明》とは異なった、倫理的にも神学的にもより深刻な意味を持つ『良き助言』の寓意の意味を帯びるようになったいた。(ウイント『ルネサンスの異教秘儀』晶文社)
これはアリストテレスが『二コマコス倫理学』で、エウプーリアすなわち『思慮』と呼んだものであり、ラテン語ではコンシリウムと言われる。これは事物の行方に関する確実で実際的な本能をさす。過去の記憶を頼りに未来を予測し、現在を正確に判断する直感は、ある程度の年齢を要するという点で『賢明』と区別される。『コンシリウム』は神の介入する事柄であり、人間の理解を超えたものであるため、ありえざる、矛盾をはらんだ表象を得たのであるとウイントは考える。

六 新プラトン主義と異教の三幅対

最後に:この太古の怪物図像がどのようにしてキリスト教中世に伝えられ、その道徳哲学の表象に変形されたかを示す。

セズネックやゴンブリッチ、パノフスキーそしてウイントにならって、異形の形象がキリスト教に改宗させられる経過をたどる事になる事に注目。
それはキリスト教の中心をなす三位一体の象徴に流れ込み、形を変えていく。

(p203-212)
35. 春 ボッティチェッリ、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館、1478年頃


キリスト教の最大の秘儀である三位一体が実は宇宙普遍の原理であることが、非キリスト教世界のさまざまな事象にも示されていたという説は、すでにアウグスティヌスが唱えたもので『三位一体の痕跡』と呼ばれている。
フィチーノもまた、美、快楽、愛を三美神の群像をテーマとして「いかにして神が三なるもののよって事物を支配するか」を論じた。(『饗宴注解』)
第一の美は神から発し、第二の快楽は現世に入り、魅了されて天へと向きを変え、第三段階の愛は喜びに満ちて創造主のもとへ回帰すると解釈した。
三世紀の新プラトン主義の創始者プロティノスが唱え、ルネサンス新プラトン主義者が継承した、神の愛の「流出」と「回帰」という万物の運動の原理を三美神によって表現したもの。

エドガー・ウイントは、ボッティチェリの『春』を宇宙的オクターヴで説明した。もっと明確に、

中央のヴィナスは統一体であり、左右の三幅対は、いずれもその三重の姿である。 
画面左のヘルメスは天へと魂を運ぶ、すなわち天へと回帰する運動の表象である。(p206)

36. 『信頼の象徴』アンドレーア・アルチアーティ―『エンブレマータ」より、1542年

アルチアーティの注解者クロード・ミニョー(1571) ・・
古代サビニ人の土着の神の図像から出たもの: 真理と愛と信仰が三人手を結んでいる図


37. 『信頼の象徴』アンドレーア・アルチアーティ―『エンブレマータ」より、1542年
38.異教の三位一体 トリトニアス・ツェルテス『メロポイアイ』より、1507年

1678年の図像集『象徴の世界』
新プラトン主義者によって作られた観念が17世紀にはすでに一般化していたことを示す :アントーニオ・トリウルティオの紋章に三つの顔を持つ人物、 知識と意思とのコンコルディア(和合)を示したもの

異教世界に既に存在していた三位一体の図像は、容易にキリスト教の中に流れ込んでいった:経外典に現れた数々の表象

中世、ルネサンスの宗教図像には、アンナとマリアとキリストの三幅対が一般的なものとなった。
キリスト教徒にとて「地上における三位一体」と考えられていたヨセフ、マリア、キリストの三幅対『聖家族』として盛んに描かれた。
『最後の審判』の教義を示す重要な三体、デエシスと呼ばれるキリスト、マリア、ヨハネの三対も同様に形成された。


Disputa del Sacramento (Rafael)
39.聖三位一体 ラッファエッロ、「聖体の論議」より、ヴァティカン宮、署名の間 

40.三つ頭の思慮 ミケロッツォ、フィレンツェの浮彫、・部分、ロンドン、ヴィクトリア&アルバート美術館、15世紀
ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ(Michelozzo di Bartolommeo、1396- 1472)

キリストと父なる神と聖霊というキリスト教の中心をなす教義の三幅対が古代の思想と図像によって意味づけられ、普遍的真理の頂点に位するものとしての根拠が作られた。

ラファエッロの「聖体の論議」の中の三位一体は、垂直に神、キリスト、鳩を並べたものであり極めて一般的な例である。
しかし、ミケロッツォの手になる浮彫は驚くほど三つ首の怪物に似ている。

カエリウス・ロディギヌスは『古代文選』に置いて三位一体の秘儀は「セラピスの神託」由来すると述べている。
このセラピスとは、パノフスキーによれば、キリスト教によって駆逐された古代イラン起源の『永遠』の観念アイオンのアトリビュートであった。

結び

キリスト教中世は、その初期の教父時代に、古代異教世界に形成された図像伝統のうち、最も重要で多義的なものとして三重のシステムを受け継ぎ、これにキリスト教の秘儀を包含させたものであった。(p212)

ルネサンス人文主義とは、古代をも含めてラテン世界における文明の合流点であり、”すべての形態と思想、キリスト教の寓意と異教の古代的象徴とを融合させた” (Seznec,Jean.La Survivance des Dieux antiques,London 1940 ラ・サバイバルデデューアンティーク)
このような流れの中でヒエログリフが果たした思想上の叉芸術上の役割は著しいものがあった。

それは三つの首によって、過去、現在、未來という時間の三相を表すばかりでなく、時間ももたらす変化、創造、生成、破壊という、万物の逃れがたい運命を象徴する記号であった。

三という数の持つ力が、この特異な図像を不朽ならしめた。

me一応ここまでで、アイオンに戻りたいところである・・・・

この『怪物イメージの解読』の参考文献はこちらへ


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