いよいよエレガントなギリシア唐草に到達!
なんというか、リーグルの言わんということをきっちり理解するために、虫眼鏡拡大・逐語読書中・・
「美術様式論」p221
図99 コリント式陶壺
舞踊形を描く皿
植物性唐草が、ただその長さの方向、すなわち帯状やフリーズ状に発展している限りでは、その完全な運動の自由は否定される。
幅の方向へもひろがりうるとき、初めてこの自由は与えられる。
陶壺━残念ながら、目下のところこれしかわれわれの研究材料はない━でこういうことが行われるのは、把手の下か、まわりでしかない。
そこでは完全な自由によって、リズムと左右相称の装飾の基本本則に従い、任意に限られた平面を満たすため、植物性唐草がとった道程がはっきりと跡づけられる。
この終点と目的地には、一見関係することころの少ないように見える一装飾法
それはコリント陶壺の基本的デザイン法である
大部分、画像描写によって飾られている
地を埋めるために用いられる散らし文様の基本はアッシリアのそれのようにローゼットである。コリント式独特のローゼット使用法は、ローセットの外郭は、多くそれと隣接する人像や器物などの輪郭と密着する。この過程がとことんまで行き着くと、ローゼットの特性はこの人像やその他の文様に吸収されて消失し、全く別の形(コンフィギュレーション)を生ずる。
コリント陶壺には、最古の時代から、主として画像的、対象的装飾が施されていたという決定的な傾向がある(p222)
「美術様式論」p223
図100 コリント式陶鉢の把手文様
オ-ストリア博物館蔵(目録番号第108)
把手の下部にほどこされたごく簡略な形の唐草絡み文
(中央部)対蹠的なロータスとパルメットをもった唐草
ロータスは、第一の蔓に絡む第二の蔓をつけている
唐草の両端は渦巻型になっている(p225)
植物性唐草文様が、どういう風に、陶壺の把手の周りに広がったか
把手下部の唐草の使用については、把手付属物がパルメット型に様式化したことが、影響したということもできよう。
把手の付属物としてのパルメットには、エジプトやアッシリア用具などのロータス的様式化のごとき、同じ感覚同じ方式がある。
ギリシア陶壺では、早くから把手部分に描かれていたが、把手付け根を引き立てるための、広がりを持った風ではなく、むしろそれは把手の両側付け根の中間部に描かれた。ベーラウ 『初期アッチカ陶器』Arch.Jahrb.1887,Taf.4参照)
第89図の把手のパルメットは水平で横向きである。
植物性唐草がいかに応用されるか
88図で説明した唐草絡み文は、その基本構図において、唐草装飾の広い標準的なひとつの━黒絵時代では把手の上下にほどこされ、赤絵時代に至って非常に自由な描写を遂げた━装飾法の出発点をなしている。
※ベーラウJ.Böhlauは ミケネ美術における連続波状唐草の出現に注目した唯一の人(p151再掲)
ドイツ考古学研究所
「美術様式論」p224
図101 ギリシア式アムフォラ(黒絵式)の把手文様
オーストリア博物館蔵陶器(第227))
88図カルキディケ唐草絡み文と同じ精神による厳正シムメトリーの配分を示す集中デザイン
デリケートな花、長くしなやかな蔓。一層繊細でエレガントな取り扱い
「美術様式論」p224
図102 アムフォラの把手文様
頸部が黒絵式で、胴部が赤絵式の混合した陶壺から
明らかに101図のタイプをしめす
「美術様式論」p224
図103 後期黒絵式陶壺(ニコステネス群)
まったく新しいものが出現。前に見られた集中的配置は消失、またシムメトリー(左右相称)も見られない。
あちこちと動き、三つの渦巻を示す一本の唐草があるばかりである。
渦巻からワカかれて、二つの渦巻き型唐草と、ゆたかにしなやかな分枝をもつ三つのロータス花とができる。
外側の両渦巻きの間の左にある、やや広い空間には、飛鳥が挿入されている。
「美術様式論」p226
図104 スタムノスの把手文様
唐草蔓を花冠状に作り、把手のぐるりを巡らしている (稀なもの)
「美術様式論」p227
図105 ノーラン陶器の把手文様
非シムメトリックな外見で、103図のデザインと類似 、例外を作っている
装飾的構図の拘束を遥かに抜け出した自由化
「美術様式論」p227
図106 アッチカ陶壺の把手文様
把手部分の唐草文様の厳正シムメトリーを少し(目立たないほどに)破ることは、赤絵時代ではしょっちゅう見る。
装飾はある定点から━しかし円の中心というようなものではなく━展開する。
唐草は上に下に伸びつつ、自由な形でその定点に対し左右均整をとりながら展開する。あたかもそこに文様が描かれ、文様が満たされるべき空間そのものが、すすんで、それを要求するが如く。
106図は下部に、戯れたように(キャプリチオ―ズ)つけられた花によって、厳正シムメトリーは打ち破られている。
「美術様式論」p228
図107 ギリシア陶壺文様(Brunnn=LOau,Ⅺ,4
103図の飛鳥の挿入
動物は、四足獣であろうと鳥類であろうと、古代装飾にとって珍しいことではない、しかし唐草の蔓形の中に鳥を遊戯的に挿入することは、新しい効果的な着想であって、これは後代の装飾にも広く伝播した。
動物像と植物文との結合がまったく新しいことだったとは言えない。
古代すなわちメロス陶壺、初期アッチカ陶壺、カルキディケ陶壺にも見出される。
後二者では、絶対シムメトリー配置(紋章風様式)による「オリエント」的なかたい図様が示され、またメロス陶壺では、鳥形は個々唐草の地間充填をなしている。
従って、両者の統合の形のこころよく、真に効果的な結果は動物像が唐草装飾のより大きい構図の中におかれた時、初めて生ずる。
107図はこの種も最も古い例の一つ。黒絵時代のものとしては驚嘆に値する。しかもそれは把手の下の窮屈な空間にではなく、アムフォーラの頸部にある。
二匹のカモシカが地間充填風に挿入され、しかも相互には決して厳正シムメトリックではない・
「美術様式論」p229
図108 アッチカ式レキトス肩部装飾 (Archol.Zeitung 1880 Taf.Ⅺ)前5世紀
唐草装飾のうちに動物形を挿入することは、
そののち、赤絵時代において、決定的でかつ有意義なる後継者を見出した。
唐草蔓がほぼ環状をなしており、宙に浮かんだエロス神が唐草の蔓に戯れている。
この種モチーフが完全に発展し、広く使用されたのはヘレニズム時代であった。(たとえばヒルデスハイム銀製クラテール)
ギリシア予期装飾法発展の研究に用いた偏った材料が、、一つの、より一般的な結論を出すことが許されるとして、植物唐草装飾はほぼ前5世紀前半にその目標に伊藤到達したとみられる。
つまり、与えられた平面を、唐草
を用いてきやすく処理できた
「美術様式論」p230
フィジアスは装飾紋様を比較的軽視したことは、既にしばしば論及された。
しかし美術全般の上昇的発展がその頂点に一度到達するや、再び、装飾を喜ぶ精神は自己の権利を主張すべく立ち現れた。
例えばポムペイ装飾で特徴的であるように、画像の類型を純装飾の目的に利用することにまず現れた。
続いて、せいぜい画像形を挿入した上で、純文様が平面全体上の装飾に利用された。
これはフィジアス以前およびフィジアスまでの時代では無価値のものと考えられていたのである。
これこそ植物唐草がその内在的な特質を完全に展開しえた時期であった。
前4世紀に先立つ時代にすでに植物唐草がその可能性の萌芽をもちきたしていたことは十分に例証されたと思う。
それ以後、植物唐草は、まったく自由に使用されるにいたった。
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