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美術様式論


リーグル美術様式論―装飾史の基本問題」
長広敏雄訳 岩崎美術社、1970新版)

リーグル(ギリシア美術における植物文様)

9 アカントス文様の出現


me アカントス(ギリシア語発音)→アカンサス(一般的表記)であるが、

例えばこのような形で、格調高く使われますね。
この文様について、この「西洋古典学辞典」では、
項目立てはなく
コリントスの項で、

ドーリス式、イオニア―式と並んで名高い、アカントス(アカンサス)の葉を重ねた華麗なるコリントス式柱頭Corinthian Order は、前5世紀後半の彫刻家カッリマコスの発明によるという。

とだけあります。
また カッリマコスの項では、

アッティケ―派の彫刻家で、優美、繊細な作風で知られ、「凝り性の細工屋(カタテークシテノクス」という異名をとる。ある少女の墓におかれた花籠にヒントを得て、アカントス(アカンサス)の装飾をほどこした華麗な「コリントス式柱頭」を案出したと言われる。浮彫技術の改良者、大理石穿孔器の発明者としても有名。 アテ―ナイのアクロポリスに建てられたエレクテイオンの装飾にも参加した。

このあたり、リーグルの見解は図111のあたりに。
なお、当方のこれまでのアカンサスモチーフのページはこちらに


「美術様式論」p231

ペルシア戦役に至る古代ギリシアで、主として装飾に用いられた植物文様は、三叉のロータス花文様とパルメットだけであった。
これに伴って、副次的な役割ではあるが、2,3の文様(古代オリエントにもあった)━ロータス蕾文様、常春藤の葉文様、「柘榴の実」文様━があった。

※ペルシア戦役:紀元前8499年から紀元前449年の三度にわたるアケメネス朝ペルシア帝国のギリシア遠征をいう。ペルシャ戦争とも呼ぶ。 戦争の経緯についてはヘロドトスの『歴史』がほぼ唯一の資料で、プルタルコスは戦争の歴史的事実がヘロドトス個人の戦争観に歪められていると批判している。(Wikipedia 20150927参照)

これら文様のすべては、前7世紀より5世紀にかけて、その固有の歴史をもっていた。 

われわれは原動力として、構成力として、ただ形式美を目指す狙いのみを認めることができる。
二つの基本形━三叉にして尖葉形の萼と渦巻型萼上の扇形とが与えられた。 

既にこの傾向にはほのかな写実化が含まれていた。なぜかならば、この写実化は原形の堅い幾何学的図形をはぎ取るのではなく、なよやかな生き生きしさを原形に与えたいと望んでいたからである。

「美術様式論」p232

その時代全体に最も重要な花形装飾文様はパルメットであった。
赤絵陶器群では、パルメットは、古い起源をもつ諸文様をほとんど駆逐したのである。
(詳しい説明はフルトヴェングレルFurtwanglerやブリュックネルBrucknerの議論に詳らかである) 

ギリシア式パルメットを形作る細部は、前5世紀に至るまで、古エジプトの成分━渦巻型萼、地間充填用ののどひこ、冠頭部の扇形━と同一であった。


ただ細部の取り扱い、細部と細部との相互関係において、ギリシア美術は決定的に変化した。
前5世紀後半において植物質文様にふさわしい写実的傾向がおこり、それは植物唐草の自由な発展をつよく助長した。
ここに二つの現象が起こった。

一つはパルメットの変形であった。
しかし、この変形は決してパルメットそのものが誤認されることのない変形であった。
もう一つは実際のアカントス(ハナウド)の写生として久しく世間に通用された植物文様の出現である。

ふくらみパルメット

「美術様式論」p232

図109 パルテノンのふくらみパルメット 

前5世紀後半でのパルメットの変形は、冠頭部の扇形、下部の渦巻型萼およびのどひこに現れた  :パルメット扇形は一般に長い細い各葉の独立性を保っていた。
しかしエジプト原型では各葉の方向は、中心から放射状(あたかもロゼットの部分のごとく)であったのに反し、しだいになよやかに揺らぎだした。

葉の尖は直線的に硬直化しないで、中央のまっすぐな一葉の左右に、
その尖端を揺りながら緩い波状を示している。
この図形をふくらみパルメットと名付ける。

撒水パルメット

「美術様式論」p233


図110 アッチカ墓碑の撒水パルメット

前5世紀後半でのパルメットの変形は、冠頭部の扇形、下部の渦巻型萼およびのどひこに現れた → 後者の二つが直接アカントス風に変わった

扇形の各葉が波型にくねり、
その葉の尖が扇形中心に振り返っているタイプを
撒水パルメットと名付ける

後者は(その反らされた尖葉が特色だが)地中海東地方に、
後代、著しい発展を示す出発点をなしたもの
よりしばしば使用せられたのは、前4世紀になってから。
この文様は その基本においては、
オリエントのパルメットを二つの半パルメットに分割したものである。

伝承的なオリエント流によるパルメットの合成は、それ自身、幾何学的図式的な性質を完全に克服しえないものをもっている。
その巻き込む渦巻型萼は対の渦文のままであり、その間の空間には、のどひこがわずかに外側に扇形と結びついている。山水パルメットは、上下に(扇形と萼に)分離しておらず左右に(二つの半パルメットに)わかれている。

「美術様式論」p234

二つのフォークよう蔓草が指摘できる

「美術様式論」p234


図111 リシクラテス遺物のコリント式柱頭
(ヤコブシュタールによる)

パルメットの変形よりっももっと重要なのは、
アカントスの出現であった。

一般に行われている意見に従て、アカントス文様の成立を自然の植物原型からまねたものだと考えるならば、その結果、アカントスの最初の出現の主因を、その意義からいって、かの古代エジプロ美術でのロータス文様出現の主因と並べておかざるをえなくなる。
アカントスを、自然の写生によって新たにつくられた装飾モチーフとしてでなく、むしろ装飾師的形成過程の結果とみなす時ですら、次のような主因を過小評価したくない。
すなわち、古代の伝承によれば、アカントスはコリント式柱頭の成立と密接に結びついている
このことは、ヴィトゥルヴィウスVitruv(Ⅳ.19,10)がコリント柱頭成立を彼の同時代人がいかにに考えていたかを物語ったあの話の中に出てくる。

地面におかれた籠と、籠の下から生えあがったアカントスとが、偶然結び付けられ、この結合の装飾的効果をコリントの彫刻家カッリマコスKalimachosが認めて、コリント風彫刻を作り上げるチャンスをつかんだという。

物語全体に寓話化(ほほえましさのある寓話化)の痕跡が明らかに印づけられている。

※ここでいう カ(ッ)リマコスは無論紀元前5世紀の彫刻家Callimachus (sculptor)。他にも有名なカリマコスがいて、日本のWikipediaでは紀元前3世紀のヘレニズム時代を代表する詩人学者しか出ていない、といった扱いである。


「美術様式論」p236


図112 アカントス・スピノザの葉(オーエン・ジョーンズによる)

フルトヴェングレルは、アカントスの最初の出現は、コリント柱頭の立証しえなかった時代に相当する、パルメット破風頂からだと論証した。
ブリュックネルも同様の見解で、アカントスを墓碑石の破風頂に起因させている。
しかし、コリント式柱頭の特徴である、独自の鋸歯状植物モチーフが実際、ヴィトゥルヴィウスの話により、アカントス・スピノザの直接的模倣に帰着されることは━私の知るかぎり━今日まで、だれも疑っていないのである。

アカントスのはっきりしない初期の発展史については、全く準備的な研究が果たされていない。ただ疑えないことは、柱頭をアカンサス文様成立の点から、一度、根本的に研究せねばならないという必然性である。

アカンサスが自然物の直接写生からでなく、
芸術的、装飾師的発展のプロセスから成立したのであることを
少なくとも専門家の一部にでも確認させたい。

彫刻的な装飾としてのアカントス、例えば111図とか、または前4世紀初頭の墓碑石破風頂の飾りは、まぎれもなくアカントス・スピノザの葉に似ている、。
両者に共通な特色は、葉の一ひとつの凸起が数個のギザギザに分かれていることであり、また、葉の凸起と凸起との間が、深く丸く括られていることである。(彫刻の場合のアカントスでは「管形(くだがた)」 にぬけている。
このような葉のギザギザの細部は、アカントス装飾の初期の例では、全く欠けている。

http://blogs.yahoo.co.jp/elromanicoes/12779218.html 

彫刻的な装飾としてのアカンサスと、植物文様の頂点であるアカンサス文様の発生との関係・・

「美術様式論」p237


図113 エレクテイオン北部前室の柱頭頸部装飾 

側面形アカントスの葉脈は、パルメットの放射状の葉形と同じく各々が等値的に並んでいる。 

エレクティオンのイオニア式柱頭

http://www.unc.edu/depts/classics/courses/clar244/ErechEpikDt.jpgdetail of wall crown (epikranitis)

AteneEretteoCapitelloIonico
Ionic capital on Acropolis from North Porch of the Erechtheum

Erechteion - chapiteau.jpg

"Erechteion - chapiteau" by © Guillaume Piolle / . Licensed under CC 表示-継承 3.0 via Wikimedia Commons.

http://www.unc.edu/depts/classics/courses/clar244/ErechEPCap.jpgeast porch, drawing of capital

meエレクテイオンの装飾文様は非常に興味深い・・・後ほど別にみたい。(115図下に続く)

アカントス・スピノザと様式化したアカントス文様との二つの相違点

「美術様式論」p238


図114 アッチカ式レキトスの彩画
(ベンドルフ図版15による)碑柱の頂部の平面描写

カクトスの葉または芦薈(ロカイ)の葉の如く葉型はいくつかの片に切れていて鋸歯状をなしている。 しかし、アカントス・スピノザそっくりの輪郭線を示していない

※カクトス→カクタスサボテン、ロカイ→アロエのこと

アカントス葉型は中央葉脈に沿って枝分かれしているのに対し、共通の下部の基底から起こされ、中央の葉から枝分かれするのでなく、それに平行して並んでいる。 

「美術様式論」p240

私の考えでは、アカントス文様こそは、もともと彫刻丸彫りに移しとられた パルメットまたは半パルメットに他ならぬ。(113図・114図は半パルメット)

 平面的なパルメット扇形に対して、アカントスの葉の独自な性質は、外にむかって伸びた葉の先の弾力的な曲線である。

「美術様式論」p238

伝習的なまっすぐな葉のパルメット(パルテノン流の)も、墓碑石において、 尖端が前にかぶさった形で、曲がっていることがある。この傾向は、撒水パルメットの基礎をなしており、このことと結びついて、アカントス文様の曲線形はパルメットから引き出されたとする解釈が成り立ちうるのである。

全形パルメット及び半パルメットから類推して、アカントス前葉形とアカントス半葉形とが区別される。 

パルメット扇形の立体的、植物的形象への変形

植物の習性に自然であるやり方・さやからの脱出を施す

パルメットの本質には扇形に並んで、なお、のどひこおよび渦巻形萼がある。
渦舞形萼については、113図の如く、アカンサス半葉形がおかれたいたるところで、唐草蔓のサヤ形のふくらみが施されていることを以て例証できる。 

第113図は、半パルメットの立体化され、天然植物に似せて変形されたものに他ならない。大きなパルメットの作法に波状をなして上で巻いている唐草が見える。枝分かれがなされるところ━ただそこでのみ━常に、アカントス半葉形が描き出される。
まるい萼にまでなり果てている。

立体的なパルメット=アカンサス

「美術様式論」p242


図115 ロータス花・パルメット帯文様
(エレクテイオン長押の蛇腹)
有名なエレクティオンの戸口の框の装飾

立体的なパルメット(つまりアカントス)における渦巻形萼が脱落したこと

基部にはS字形渦文があって、それがぶつかり合って萼を作る
この萼と萼の間に、交互に三叉の側面形ロータス花とパルメットとが挿入されている。 しかし、ロータス花においてのみ渦巻蔓が実際の萼をなす。
パルメット(それには渦巻型萼が本来的に妥当するのだが) では、その端は萼の形でつつむのではなく、直接にパルメットの中央葉脈に突き入っている。

輪郭の内孤形はアカントス全葉と関係しうることを教える

「美術様式論」p243

わたくしは、第115図のパルメットをアカントス文様の平面化と名付けた。

だが、パルメットは決して平面にあるのではなく曲面であり、純アカントス用の面にはめ込まれたのであった

このエレクティオンの上框に同じ様式による半アカントス・パルメット(アカントス葉の半分)が示されている
この様式化は 絵画的投影画的見地による立体的パルメットの平面化

エレクティオン建築は前421~407年ギリシア本土におけるイオーニア―式神殿の代表的遺跡の一つ、ミュケーナイ時代のアテ―ナイの古王エレクテウスの館の跡に立つ:(西洋古典学辞典)
Erechtheion(Wikipedia)
アクロポリス博物館

Erechtheum, Acropolis (3473092774)

http://www.unc.edu/depts/classics/courses/clar244/index.html も見たが、 この「有名なエレクティオンの戸口の框の装飾」というのが、見当たらない・・戸口はporch、框はかまちで、その場所はweblio:① 戸・窓・障子などの周囲の枠。 ② 床の間や床などの端にわたす化粧横木。上がり框・床框・縁框など。//というが。

フレッチャー原著「建築歴史」:世界建築の歴史 : 建築・美術・デザインの変遷(1886)より抜粋のイラスト資料「世界の建築」(1996マール社)p55にギリシアとローマの戸口の比較というものがあるのだが・・この文様があるように見えず、よくわからないままである。もしかしたらp57で「裏反曲」で「葉と矢の根」と記述されているものか?
因みに表反曲は「アルテミオンあるいは忍冬模様」
あるいは、パンテオンの戸口の方?
エレクティオンの文様では、Wikimediaからでは卵舌文様が多いようだ。
テーマは植物文様であり、 フレッチャーの方では「忍冬文様」とあるもの気になるが、 そのほか「オージー葉模様」「オリーブ葉飾り」が出ている。(p57)

Fletcher, Banister, 1833-1899

「美術様式論」p244

115図ではアカンサスとパルメットと等価値として、つまりパルメットそのものとして使用せられた。このことはわれわれの遺物史料では一つの例外。他のほとんどすべての場合に、アカントスは、一つのまとまった機能、すなわちアカントス半葉形としての機能がしめされている。 

「美術様式論」p245

これらの文様は、いまでまでの叙述に関わらず、一応アカントス・スピノザ原型から出たと確認しうるが、しかしギリシア美術家がそれによって蔓の萼や花の萼に、アカントスの形態を与えることができた誘因とはならない。

me(>_<)
蔓の萼や花の萼に、アカントスの形態を与えることができた誘因・・?

われわれは少なくとも蔓の萼については、その説明を陶器での平面的唐草文様の、地間充填用半パルメットとの類推を以て、与えたのである。
ロータス花のアカントス化した萼形成については、説明の直接の根拠は見出しがたい。 なぜかなれば、その二つの萼葉は、立体的に行われたまま、のこりえたからである。

墓碑石の頂飾りとしてのパルメットは、その上端を前に屈している。しかしこの曲線は、はなはだ柔らかすぎたので、先の時代(4世紀)では、頂飾りパルメットが普通平面図形のままである。その撒水状形式によってのみ、当時の写実的特性に順応するのである。

だから彫刻的(立体的)パルメットのアカントス化形成は、パルメットの完全形からでなく、 むしろ半パルメット、つまり萼形のそれに、まず求められうるだろう。
このことはフルトヴェングレルの説明(最初のアカントスの出現をカリストスやヴェネチアのそれの如く墓碑石に見ようとする)と一致する。

※カリストス(Sammlung Sabouroff.Skulpt.Taf.Ⅳ)

アカントス化された萼

「美術様式論」p246


図116 エレクテイオン東部 前室の壁柱文様

  エレクティオンの装飾紋様は、アカントス初期の発達に大きな意義をもつものである。

この文様の施されるところはどこでも、特別の説明を要する変種を少しずつ示し、しかも全体的には、いままで述べてきたことで尽きている。

変種の一例だけ特別に述べてみたい。(図116)
ロータス花文が113図の如く、二つの葉形から成る。アカントス化された側面萼をもっているだけでなく、この二葉形の下に、なお三つのアカントス葉形から成る透視画風の萼形をもっている。
この文様の出現した初期に、めざましい特徴となったのは、この透視画風の図法である。

中間の葉は、純粋の下向きパルメット扇形として表されたのであって、決してアカントス・スピノザの葉(112図)と同一ではない。
これに対し両側の葉はわれわれの期待するような半(アカントス)パルメットではなく、透視画風の短縮化を示すアカントス・パルメット全体形である。

大体、自然の植物に非常に近似しながらも、純芸術的な産物として特記すべきもの

※透視画

コリント式柱頭の最古の例

「美術様式論」p247


図117 フィガリア柱頭(線描模写図)スタッケルベルグの復元図
(Stackelberg Apollotempel zu Bassae S.44)

今日まで、一致してコリント式柱頭の最古の例とみられ、いろんな点からアカントス文様発達の出発点とみなされてきた遺品、すなわちフィガリヤ柱頭。
フィガリヤのコリント式柱頭は、それが普通常識的となっているほどには、周知のものではない。今日現物は消滅して存在しない。かってその存在が確かであった時すら、すでにそれは損壊の状態であった。

アカントス全体葉形が柱頭の基部を取り巻き、更にそれが伸びあがっている渦巻型の茎の下部を覆っている。個々のアカントス葉は立体的に反った小葉を綜合した扇形を示す。

「柱頭の葉型は、オリーブの木の葉でもアカントスの葉でもない。むしろ伝習的な形によって一種の水草を模して石彫(Steinsinn)に彫ったものである」
(スタッケルベルグの著p42)

水草を以て説明することは正しい。なぜならばパルメットはロータス(水草なる)にもどづくからである。

フィガリヤ柱頭には、アカントス・パルメット全葉形が用いられている。しかしアカントスはこの建築物には、ほかに萼形式において━エレクテイオンに見られたように━用いられている。
萼形式はこの際、パルメットを基礎とすることはすでにエレクテイオンの場合に見たところである。

※スタッケルベルグOtto Magnus Freiherr von Stackelberg
(1787 - 1837ドイツ考古学研究所のメンバー)
http://www.von-stackelberg.de/personen/otto-magnus-archaeologe.htm

※フィガリアhttp://www.arch.kumamoto-u.ac.jp/itoj_lab/srf.html

「美術様式論」p250


図118アッチカ式レキトスの彩画
埋葬用品

アカントス初期の歴史にとっては、絵模様あるアッチカ式レキトスが主たる考察対象である 

画の中央に墓碑が描かれ、その左右に情景が展開する。墓碑は頂飾りを上にいただく。
(Bendorf,Griech.und sicil.Vasenbilder Taf.14)

一般にパルメットの傍にアカントス葉が示され、石造の頂飾りには見られない一つの配置を示している。
「古風に形作られた渦巻の下と横に独立的に又有機的結びつきなく、施されたものとすること」ができる(フルトヴェングレル)

しかしこれらの多数の描画の墓碑について、現存のパルメット頂飾りをもつ四角平板状の石造り墓碑をその原型として考えてよいかどうかは疑わしいと思う。114図は円柱であることが分かる。

114図の墓碑の頭飾は明らかに透視画(パースぺクチブ)に柱頭の5つの文様が半円の基本形をもちつつ、ぐるりと取巻いて並べてある。
アカントス葉の増加と、一見非有機的な並列とが示されている。
アッチカ式レキトスにおけるアカントス文様を有するこの種の墓碑柱頭が、まずフィガリヤ柱頭に応用されたのだろう。ここに、コリント式柱頭の起源について、一般的な目安を定める有力な補助手段が見出されるであろう。

その点もそれだけの特殊研究が加わって初めて完全な解明が見出されるが、われわれの現時点の場合問題はパルメットアカントスとの関係を解明するに限られている(p251)

「美術様式論」p252

中央には正面系の平板的パルメット全形があり、その両側には透視画風の(だから正面向きの全体形でなく、側面形でもない)平板的パルメットがあり、最外翼には純側面向きがあり、したがってアカントス化したパルメットがある。

このことから次のことが明らかになる
アカントスはまず側面形への特別な偏愛でもって、半パルメット形であらわされる。そしてこれは建築装飾での立体的萼形式と並んでいる。輪郭に見る尖った刺は、刳り形を透視画風に写すことによって作られ、実際の葉のギザギザを複写したものでないことは、114図が証明する。

こうして、彩画アカントスについてのわれわれの考察の結果は、まったく、初期時代の彫刻的アカントス遺品の考察の結果と符合する。

「美術様式論」p251


図119 アッチカ式レキトスのど胴部彩画


114図では側面形のアカントス半葉形と中央に一ヶ所だけ正面型のアカントス全葉形を見た
これに対し、119図では二つのアカントス半葉形の中間に、伝習的な平板に様式化したパルメットが示されている。

「美術様式論」p252


図120 アッチカ式レキトスの胴部彩画
(Stackelerg,Graber der Hellenen,XLⅣ)

側面的半葉も、ときには、平板な半パルメットで表されている。

ここから生ずる結論は、
一つ、平板的パルメットとアカントス・パルメットとは等価値として用いられた。
一つ、したがって、それらは元来、同じ意味合いのもの、および同一のものであったに違いない。

「美術様式論」p253

事実上、アカントス文様がアカントス・スピノザに外観が似ていることは、すでに、ギリシア人さえも指摘していた。前3世紀の詩人テオクリストTheokritがよく引用される文献中で(Idyl I.55)一つの文様のことを述べている。━彼がアカントスを「湿れるもの」と名付けていることに照らしても、それは肝要な事象ではないが━

石彫りの文様としてアカントスをまねるチャンスを生むには、
どんな重要な原因があったのだろうか

なぜならば、ペルシア戦役以後のギリシア人の美術感覚で萌えでた自然主義の実態があまりにも理解されていないので、人々はあえて自然物の直接模写を無理に想像するに至るのである。

伝承の美術の形は生気を吹きこまれたと言えるが、しかし生きた自然物を無生の材料に変造したのではなかった。、つまり数ある植物的表現形式の一つに、アカントスを加えるべき外部的な刺激が存在したに違いない。━あたかもエジプト人がロータス形式の作成を機会づけられたのと同じ刺激原因である。

そのような証明が必要であること認識し解明を試みた第一人者は、ブリュックネルである。

今日でも、寺院や墓の周りに、アカントス葉繁茂している。墓の例については白地レキトス彩画(ベンドルフ図版Benndolf Ⅱ,Griech.und sicil.Vasenb.taf.14)が証明している。
前5世紀の彫刻が古風なパルメット文様に、それの元気づけの要素として、アカントスを展開したし、墓碑はそれを囲む景色と密接な関係ができた。つまり、アカントスはそれとともに成長した。」

「繁茂せるアカントス」という前提は適切でない。ブリュックネルがレキトス彩画において「繁茂せるアカントス」と見たものは、実は「技術的」必要から施行された円柱下部のアカントス装飾である。・・ この機能は92ページ(19図20図)に詳細に論ぜられた方式にならうものであり、陶器期待の下部にある(葉)萼形の機能とまったく一致する

円柱下部のアカントスは、「頂飾」上のそれと全く等価値のもの、つまり単なる文様であって植物の描写ではない。

自然の植物に新たな装飾紋様を求めることは、近代的芸術感覚の、部分的には
近代的な芸術的無策主義の産物 である。
古代における装飾的美術作品は、自然の(多少とも)無精神な模写であるより名、全く別な、真により芸術的な道をすすんだのである。

アカントス文様におけるアカントス。スピノザとの類似性を基礎づけるものは、より一層発展したプロセスで初めて、現れてきた。もちろん、この発展は墓碑の頂飾りが示す如く、比較的速やかに完成した。
それが絵画においてでなく、彫刻においてであったことは偶然ではない。

meまだまだ半可通なのだが、先に進みます

 

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