聖樹聖獣文様
世界美術大全集 西洋編7・西欧初期中世の美術(小学館1997)の巻末(vol.7-p456) 資料では、キリストのモノグラム(組み合わせ文字)は、クリスモンとも呼ばれる、という説明であるが、
キリストを意味するモノグラム(組合せ文字)。ギリシア語のΧΡΙΣΤΟΣ(クリストス)の最初の2文字Χ(キー)とΡ(ロー)を組み合わせたもので,さまざまな形をとる。312年,コンスタンティヌス大帝は夢に告知を受けて,このモノグラムをラバルム(軍旗)に掲げ,マクセンティウスとの戦いに勝利をえたという。
Α(アルファ)とΩ(オメガ)を伴ったり,円輪に組みこまれるなどして,勝利のキリストの象徴的表現として,初期キリスト教時代を中心に中世まで広く用いられた。 出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版(コトバンク.(閲覧20200806)
皇帝に即位したコンスタンティヌスは、正規軍を改編し、円形中にキリストのギリシャ語綴りΧριστοςの最初の2文字から、ギリシア文字のΧ(キー)およびΡ(ロー)をかたどった旗印を定めた。これが「ラバルム」または「キー・ロー」とよばれるものである。(Wikipedia)
ラバルムのイメージ、
ギリシア文字のアルファとオメガが内部に書かれている。
これはヨハネの黙示録の一節による。
ラバルム(Labarum)とは、ローマ帝国正規軍の紋章の一つ。コンスタンティヌス1世により制定された。ギリシア文字のΧ・Ρを重ね合わせた形が特徴。この紋章をかたどったXPの組み文字は、今日でもイエス・キリストの象徴となっている。
1963年発見のイングランドの住宅跡地の床面モザイク
四隅の四季の擬人像、四辺の樹木や狩猟にまつわる表現に囲まれ、
XPを組み合わせたニンブス(頭光)を頭部にいただく男性胸像、頭部の左右に石榴の小枝
(小学館世界美術大全集 西洋編7・西欧初期中世の美術1997)p74
"Roundel mosaic christ hinton st mary british museum edit"
以下「大英博物館のAからZまで」(Marjorie Caygill編 2006)より引用
ブリテンで発見された最も古いキリストの表現で、このような床モザイクのキリスト像はローマ帝国内で唯一のもの、
中央の人物は髪を整え髭をそった男で、目は黒く鋭い。チュニックをつけその上にパリウムというマントを羽織っている。
彼の背後にはギリシア語のキリストという文字の頭文字からつくられたシンボルマークchi-rho(X,P)が描かれている。若い男の髪は前面を櫛でなでつけ巻き毛が垂れており、あごはわずかに割れている。
男の両側に表現されるのはザクロの実で、不死のシンボルとされる。
このモザイクは1963年にドーセット州のヒントン・セント・メリー村の畑から発見された。おそらく410年のローマ軍撤退の後に壊されたのであろう。(「大英博物館のAからZまで」)
地中海学会 // Collegium Mediterranistarum 『地中海学会月報 350』 (2012年5月号) 表紙説明: 地中海世界と植物 27 柘榴/小池 寿子
==以下引用===========
イランからインドにかけての原産とされる柘榴は,西南アジア地域で栽培されていた最古の果樹のひとつだ。熟すとはじけるように固い皮を破り,まるで傷口のようにぱっくりとひらくその亀裂からのぞく丸く真っ赤な多くの種子。種子を取り囲む半透明の仮種皮は,淡紅色で甘酸っぱく,水を渇望しながら生死のあわいを生きるこの地域の人々に豊かな果汁と薬用効果をもたらす。柘榴は,その出自から,生死の象徴性を帯びて巣立っていった。
ここでは柘榴揺籃の地から遥か北に上った島に種を落とした柘榴を見たい。地中海の波頭を思わせる波形文に囲まれたじつに見事な円形の中に,上質の油で丹念に金髪を後ろに撫でつけ,きれいに髭を剃った男の肖像がある。チュニックを着て,肩にローブを巻きつけたこの端正な顔立ちの男は,古代神の像かと思いきや,頭部の後ろにはΧ(キー)とΡ(ロー)を組み合わせた文字があり,紛れもなくキリストのイメージであると知れる。やや憂いを感じさせる思慮深い顔立ちと円形枠のバランスもさることながら,彼を讃えるようにシンメトリカルに配置された果実こそ,古代以来もっとも神聖視され,神々のアトリビュートとして華麗な歴史を歩んだ柘榴だ。
この舗床モザイクは,神話上の英雄ベレロフォンがペガサスに乗ってキマイラを退治する場面などを控えて,帝国時代の個人の大邸宅の奥の間の床を飾っていた。それ以前の時代なら,こうした奥座敷にはバッカスやオルフェウスなど秘教秘儀の生と再生の神が飾られるところだが,家主がキリスト像をなんと心得ていたかはわからないものの,ΧΡを頭にもつ新しいイメージを自らの守護神として選んだのであろう。柘榴の死と再生のイメージは,現存する限りここで初めて,キリストの人像イメージと結びついたのである。
古代ローマ帝国がその版図をブリテン島にまで伸ばし,都市をも築いて定着した頃,土着の神々や遥か地中海世界から上ってきた神々がキリストとあい混じり,やがて訪れる破局も知らずに,柘榴の汁をしたたらせながら健気に暮らしていたことを物語っている。
《キリスト》舗床モザイク 350年頃 ヒントン・セントメアリー,ドーセット州,イギリス 大英博物館蔵
世界美術大全集 西洋編7・西欧初期中世の美術(小学館1997)の巻末 資料の続きであるが、時代は4世紀だけではないが、キリストのモノグラムの図が9つ挙げられているので、みておきたい。
(vol.7-p456 この1pのみ)
a.部分 キリスト教徒皇帝の盾の表象:
ユスティニアヌス帝の盾にも宝石細工によってクリスモンがあらわされている。6世紀(532‐547 )
b.聖母子部分
(右側のは反転されているようだ) 4世紀前半
c.勝利の十字架 石棺浮き彫り イェルサレム 4世紀末
聖書の土地博物館蔵(Bible Lands Museum Jerusalem)
d.玉座のキリスト部分 頭光に組み込まれている 4世紀末
この聖堂に関するWikiCategory:Cathedral (Naples) は、画像が充実していた。それによれば、左の図のように神の右手が見えるようだ。また右の図のように、他の部分で杖の先がPである。
The Baptistery of Albenga.(it.wikipedia)6世紀
7世紀後半
「写本装飾では、頭文字のXをページの天地一杯に大きく描き、続く二文字PとI を組み合わせた『ケルズの書』のような例もある」800年頃
(後期古代略年表)
306年 コンスタンティヌス一一世、ローマ皇帝になる(~337)
313年 キリスト教公認
330年 ローマからコンスタンティノポリスへの遷都
375年 西ゴート族、ドナウ川の南に移る(ゲルマン民族大移動の始まり)
395年 ローマ帝国、東西分裂
418年 南ガリアに西ゴート王国成立
493年 テオドリック、ラヴェンナを首都として東ゴート王国を建国(~553)
507年 西ゴート王国、ガリアを撤退しトレドを首都に
527年 ユスティアヌス帝即位(~565)
569年 北イタリアにランゴバルド王国成立(~774)
610年頃 イスラム教成立 →初期中世(600~1000年)
※コンスタンティヌス1世(Gaius Flavius Valerius Constantinus 、270年代前半-337)ローマ帝国皇帝として初めてキリスト教を信仰した。自らの名を冠してコンスタンティノープル(現:イスタンブル)を建設した。
※ユスティアヌス帝(Justinianus I, 482or483 - 565)『ローマ法大全』編纂。(「現存する法律の主流をつくった人物」) 525年頃に20歳年下の踊り子・女傑テオドラ(500年頃 - 548)と結婚。
アルファとオメガをキリストのモノグラムに入れた 形であるが、アルファとオメガは黙示録の言葉なので、、別にこちらのまとめを参照ください。
テオドシウス帝時代の 市門型石棺
孔雀ではないが鳥が左右にいて、両端の二羽はコルヌこピア風の蒲萄の房をついばんでいる。
※テオドシウス1世(フラウィウス・テオドシウス、Flavius Theodosius, 347- 395)は、古代ローマ帝国の皇帝(在位 379 - 395)(Wikipedia)
以下は、この「 世界美術大全集 西洋編7・西欧初期中世の美術」の責任編集者辻佐保子氏(1930-2011)の研究テーマから、初期キリスト教美術の遺品をおまけでちょっと見ておきます ・・・
預言者エリヤにちなんで、列王記下2章1-18節に記される彼の昇天の出来事を描く図
十字架上のキリストの最後の7つの言葉のうち第四の言葉が、見物人にはエリヤを呼んでいると誤解された言葉として残る。
(wikipedia20200806閲覧)
そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。 — マルコによる福音書第15章第34節-第39節
「エリヤ」とはヘブライ語で「ヤハウェ(主)は我が神なり」の意
エリヤの昇天 ローマ、サンタ・サビーナ聖堂 木彫り扉
Ascension of Elijah. Roma ,Santa Sabina wooden door
『ローマサンタ・サビーナ教会木彫扉の研究』辻 佐保子 (著)
中央公論美術出版 (2003/12)、
初期キリスト教美術の遺品である18点の木彫扉パネル1点1点について、末期・初期にわたる多数の諸作例と比較し、根拠となるキリスト教文献を探索した研究論文に、写真家・岡村崔による木彫パネルの写真を口絵として収録する。 https://www.chukobi.co.jp/0446.pdf
Category:Doors_of_Santa_Sabina_(Rome)
→小学館美術全集(世界美術大全集 西洋編7・西欧初期中世の美術1997)に関係のこれまでの他のまとめは
目次読書から。
辻 佐保子・邦生 月報対談、
「柱頭から見る西洋中世」
聖堂装飾プログラムの発生と展開
この後、安發 和彰さんの論考の部分(3か所)を読むことにしたい。
第2章初期中世の建築と平面装飾から「西ゴート・モサラベ美術」 (vol.7‐231~240 10p)
第3章の西欧初期中世の写本と工芸から「スペインの写本と工芸」(vol.7‐339~348 10p)
テーマ 特集「写字生の祈り―写本制作の現場をめぐって」(vol.7‐366~368 3p)
→西ゴート・モサラベ美術