聖樹聖獣文様
20190609 photo byM.N.
エミール・マールの『ロマネスクの図像学』は、彫刻は11世紀に南フランスで復活したといい、大浮き彫り彫刻の図像学的起源の歴史として、そのトゥルーズの彫刻家たちがモワサックに招かれたことが説かれている。ここで、聖堂の ファサードに彫刻された聖人・修道院回廊の角柱の彫刻された聖人をまとめます。
・・2019年6月9日の旅の写真
モワサックの聖堂 南正面の聖人
エレミアJeremiah(預言者)
Michelangelo
システィナ礼拝堂の天井画
1511
Fresco, 390 x 380 cm
Cappella Sistina, Vatican
Mosaics of Jeremiah
サン・ビターレ聖堂のモザイク(ラベンナ)
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旧約聖書の人物、エレミア書(※口語訳)の著者
古代イスラエルの大予言者
古代イスラエルの預言者。紀元前七世紀後半から六世紀初めにかけてユダ王国で活躍した。
ヨシュア王の12年(前626)、預言者として召され、ゼデキアの11年まで41年間にわたり活躍した。(コトバンク)
古代イスラエルの代表的預言者の一人。その預言の多くは詩型をとり,《エレミヤ書》に残されている。(世界大百科事典 第2版の解説)
エレミヤは、捕囚期前の預言者である。「人々は、イエスとエレミヤの間に類似点があることを認識していた」( 60分でわかる旧約聖書(24))
「涙の預言者」イスラエルの歴史において、大きな曲り角に当たる、最も悲劇的な時代を生きた預言者(※)
「苦悩する預言者」 「預言者エレミヤの迫害と苦難」
Lorch (Enns/Upper Austria). Basilica of Saint Lawrence: Gothic stained glass windows (1330) showing prophet Jeremiah and biblical quotation in Latin: "HIC EST ET NON ALIUS".(ラテン語「これはALIUSではありません)
The scroll reads HIC EST D[OMINU]
S N[OSTE]R, ET NON ESTIMABIT ALIUS ABSQ[UE] ILLO, "Here is our Lord, and no one but he shall be counted his equal" (Baruch 3:6). これが私たちの主であり、彼以外にだれも彼に及ばない。
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同看板の解説:
左から
1.Peter holding the keys to Heaven.天国へのカギを持つ
ペトロ=聖ピエール(寺院名になる)
中央柱(トリュモー)には2人
2.Most often,Paul is depidted at bald.(
パウロはほとんどの場合禿げている)
3.Probably Jeremiah often shown with Isaiah in depictiiones of the Propherts
.
(おそらく
エレミヤ 預言者の描写の中でイザヤと共にしばしば示された)
Isaiah in holding a scroll upon which are written from his Book.
"ecce virgo concipiet":"Behold virgin shall conceive.彼の本から書かれているスクロールを持っている。"ecce virgo concipiet": "処女を見よ。
4.
イザヤ
MOISSAC ABBATIALE SAINT-PIERRE
abbatialeはフランス語で修道院
Une abbaye bénédictine .
サン・ピエール(ペトロ)
モアサック修道院回廊
小円柱に交じって重厚な角柱がたつ・・
十二使徒の彫りの浅い浮彫で飾られている
(1100年以前のもの)→2014k/moissac.html
回廊の角柱の聖人
十二使徒
新約聖書に登場するイエスの弟子、
Wikipedia(十二使徒)
「十二使徒たちはなぜ死を選んだのか」 http://www.vivonet.co.jp/rekisi/b04_christ/apostles.html
Leonardo da Vinci (1452-1519) - The Last Supper (1495-1498)
左から バルトロマイ(ナタナエル)、アルファイの子ヤコブ、アンデレ、ユダ、シモン・ペトロ、ヨハネ。
イエスを越して、トマス、ゼベダイの子ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、熱心党のシモン。
全員が殉教していることを見ると改めてこの晩餐図に感慨を覚える・・
PILLER Ⅵ(パウロ)
PILLER Ⅶ(ペトロ)
Saint Philipフィリポ(ピリポ)
--磔の刑(@トルコ)
Philip the Apostle Hierapolis(トルコ)の墓
Cross of St Philip
Saint Simon熱心党のシモン(シメオン)
--のこぎり刑(伝@ペルシャ)
Simon_the_Zealot Death_by_sawing
Saint Bartholomew
バルトロマイ(バーソロミュー)
--皮剥ぎの刑? 磔の刑@アルメニア
Bartholomew_the_Apostleアルメニアの
アルバノポリス
Saint Matthew
マタイ
--槍で刺し通される@エチオピアまたはペルシアのヘリオポリス
Matthew_the_Apostle 墓は
サレルノ大聖堂@南イタリア
St. Paul
パウロ
斬首刑 皇帝ネロのとき@ローマ
※
新約聖書の著者の一人
(Wikipedia) Paul_the_Apostle(c. 5 – c. 64 or 67)
イエス死後に信仰の道に入ってきたためイエスの直弟子ではなく、
「
最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられない。
墓はサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂@ローマ
St Peter
ペトロ--逆さ磔の刑 ネロ帝の迫害
(生年不明 - 67年?)
本名シモン・・「ケファ」(=岩 ギリシア語でペトロス」という呼び名で知られる)
;イエスが「私はこの岩の上に私の教会を建てる」と言ったことに由来
カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなす。これは「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすから
(ja.wikipedia)「
Quo vadis?(
クォ・ヴァディス)」
墓はサン・ピエトロ聖堂@ヴァチカン(創建324年)
天国への鍵(教皇)の印
Saint Peters cross(逆さ十字)
Durand de Bredons
PILLER Ⅷ(ドゥランド・デ・ブレドン)
Cluny Abbeyの Benedictine修道士、モワサック修道院の修道院長、
および1059年から1070年の間 トゥールーズの司教 1071年没 (fr.wikipedia)
St.James大ヤコブ サンチアゴ
ヤコブ--斬首の刑
最初の殉教者44年
@エルサレム
使徒ヨハネの兄弟
聖ヤコブはスペイン語で「サンティアゴ(
Santiago)」
9世紀ヤコブの遺体とされるものが、遥か遠くスペインの、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地(ガルシア)で”奇跡的に発見された”とされる
(巡礼路)
PILLER Ⅸ(St.Jams大ヤコブ)
St.John
ヨハネ--流罪
John_the_Apostle (
C AD 6 -
C 100@エフェソス)
「最愛の弟子」使徒の末っ子 中世後、セントジョンの女性化描写がなされ続けた
ギリシャの
パトモス島に追放
Basilica_of_St._John(埋葬地?)
St Andrew
アンデレ--磔の刑
ペテロ(シモン)の兄弟
The Martyrdom of Saint Andrew
Très Riches Heures du duc de Berry@コンデ美術館
聖アンドリューの十字架
斜めの十字架
聖人=殉教・・・
磔刑を検索していて、明治時代の日本人の磔刑写真に驚いた・・ https://en.wikipedia.org/wiki/Crucifixion
以上、モワサックと聖人
モワサック(1)サン・ピエール修道院 エクステリア
モワサック(2)インテリア
モワサック(3)柱頭・獣頭人身
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