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神話

ギリシア・ローマ神話の美術表現

 以下平凡社世界百科事典(1988年版)の 鈴木 杜幾子 解説より

   異なるレベルの神話解釈としては次の三つがセズネックによって指摘されている。
第 1 は,神々や英雄は人類の過去の歴史に実在した支配者たちで,同時代の人々の盲目的崇拝によって神格化されたとする説 (歴史的伝統),
第 2 は,神々や英雄を宇宙の諸力,すなわち星々や黄道十二宮が地上に及ぼすと考えられていた力と同一視する説 (自然的伝統),
そして第 3 は,神々や英雄を美徳,悪徳,真理などの抽象的観念の寓意 (アレゴリー) と考える説 (道徳的伝統) である。
この三者の総合として百科全書的伝統がある。

ジャン・セズネックJean Seznec

ジャン・セズネックJean Seznec(1905-1983)
『神々は死なず ルネサンス芸術における異教神』(1977年美術出版社)

代表的著作となった博士論文《異教の神々の系譜(神々は死なず)》(1940)においては,ギリシア・ローマの神々が中世の美術や著述の中に姿を変えて残存し,イタリア・ルネサンス期に,古典古代に彼らが有していた姿と意味とを再び結合しつつ復活した,とする説を展開した。

Friedrich "Fritz" Saxl (January 8, 1890, Vienna – March 22, 1948, Dulwich, London) was the art historian who was the guiding light of the Warburg Institute, especially during the long mental breakdown of its founder, Aby Warburg, whom he succeeded as director.

この人については知らなかったのだが、 https://en.wikipedia.org/wiki/Jean_Seznecには、ワールブルグやパノフスキーだけでなく、エミール・マール、ディドロ2014k/bigaku.htmlの名が出ています。その他に、あの『キルヒャーの世界図鑑』のジョスリン・ゴドウィンJoscelyn Godwin の名まで。

Jean Seznec (19 March 1905, Morlaix – 22 November 1983, Oxford) was a historian and mythographer whose most influential book, for English-speaking readers, has been La Survivance des dieux antiques, 1940, translated as The Survival of the Pagan Gods: Mythological Tradition in Renaissance Humanism and Art, 1953. Expanding the scope of work by Warburg Institute scholars Fritz Saxl and Erwin Panofsky, Seznec presented a broad view of the transmission of classical representation in Western Art.
He edited exhibition catalogues and the edition of Paris Salon art criticism written by the Encyclopédiste Denis Diderot between 1759–81, an important primary resource for understanding the history of taste.
Seznec won a place at the French Academy in Rome in 1929, where he studied under Émile Mâle, whose methodology influenced his own work.
Godwin further explores Seznec's theme, how pagan deities captivated the European imagination during the Renaissance, taking their place side-by-side with Christian symbols and doctrines.

話を平凡社政界百科辞典の項目、「ギリシア・ローマ神話の美術表現」に戻します。

  このような弾力的解釈のために,古代の神々や英雄は中世を通じてキリスト教文明と密接に絡み合い,ルネサンス以降に継承された。
とはいえ,中世において諸概念の媒介物の働きをしていた神々や英雄は,長い伝承の経過のうちにしばしば古代におけるそれとはまったく異なった外見的特質をもつものになった。
そのため,古代の伝統をもっぱら形式的な見地からのみ考察する傾向にあった近代美術史学においては,ギリシア・ローマの神々や英雄はその古典的な形姿を失うと同時に消滅したものとみなされ,そしてそのゆえにこそルネサンスにおける異教神話の〈復活〉が主張されたのである。
  ところが,20 世紀に入ってワールブルク研究所周辺の研究者たちによって,古代の神々や英雄が中世の天文学,占星術,神話学の無数の写本の中で姿を変えて生き残っていたことが論証され,神話美術の研究に新局面を開いた
  ルネサンス期になって急速に増加する,古代の神話や英雄伝説に題材をとった美術においては,神々や英雄は古代にもっていた外見をいちおう取り戻してはいるが,本質的には先にあげた三つの神話解釈の粋内にある作例が多い。

たとえばフェラーラのスキファノイア宮殿のフレスコ (コッサ画,1470 ころ) にはギリシアの神々が黄道十二宮や一年の各月との関連において描かれているし (自然的伝統),マンテーニャはイザベラ・デステのための作品《徳の勝利》 (1502) において,ビーナス (ウェヌス) を打ち負かすミネルウァの姿を借りて悪徳に対する知恵の勝利という中世のプシュコマキア psychomachia の伝統をひく主題を描いている (道徳的伝統)。

さらに 1500 年代のイタリアで制作された本格的な神話画であるボッティチェリの一連の作品 (《春》《ビーナスの誕生》《パラスとケンタウロス》など) における人文主義的な寓意も,当時のフィレンツェの新プラトン主義思想を反映していると同時に,神話に教化的な意味を担わせている点では〈道徳的伝統〉の系列に属するともいえよう。

以上長い引用でしたが、パノフスキーの『イコノロジー研究』6章のうちの、5章『フィレンツェと北イタリアにおける新プラトン主義運動」、6章「新プラトン主義運動とミケランジェロ」あたりまでの話ですね・・・・→アーウィン・パノフスキーを読む
古代ギリシア芸術(4様式)

以上、ギリシア/ローマ神話の美術研究のアウトラインの復習・・1990年代以降の展開については、Wikipediaも頑張っています!?
https://en.wikipedia.org/wiki/Greek_mythologyのイメージも参照したい

Euboean amphora, c.550 BCE, depicting the fight between Cadmus and a dragon
"Kadmos dragon Louvre E707" by Unknown -
User:Bibi Saint-Pol, own work, 2007-05-09. Licensed under Public Domain via Wikimedia Commons.

神話学のアウトラインギリシア神話の美術研究に続く・・

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