これまで見てきた「美術史家」は
ドイツの「先駆的美術史家」ヴィンケルマンと
やはりドイツのヴァールブルク そしてウィーンのアロイス・リーグルがメイン。
その後こちらのサイト https://arssketch.web.fc2.com/をお手本にして、 Wikipediaの美術史家のカテゴリーから イタリア10人、ドイツ10人、フランス10人、イギリス人10人をざっと見てみたが、残り、アメリカ人10名・中国人3名、オランダ人2名、ハンガリー2名、ノルウェー2名、スイス人1名、チェコ1名、タイ人1名で、62名となるが、
ヴェルフリン、 アルノルト・ハウザー、 ドヴォルシャック、ノルベルグ=シュルツ 、サイファー などを(20180223閲覧)
ハインリヒ・ヴェルフリン(Heinrich Wölfflin, 1864- 1945) 『ルネサンスとバロック イタリアにおけるバロック様式の成立と本質に関する研究』(上松佑二訳、中央公論美術出版、1993年) 『美術史の基礎概念』(海津忠雄訳、慶應義塾大学出版会、2000年) 『アルブレヒト・デューラーの芸術』(永井繁樹・青山愛香訳、中央公論美術出版、2008年) |
スイスの美術史家。作品の意味内容よりも造形的特色に注目する様式史的美術史学を代表し、二作品のスライドを並べて比較する美術史の授業法は彼の発案とされる。
主著『美術史の基礎概念』(1915年)では、ルネサンス美術とバロック美術の特色を、「線的」対「絵画的」など五組の対概念に集約し、更に前者から後者への様式変化を、「見ること」自体の自律的変化に帰する説を提唱した。18世紀以来ルネサンスの堕落とみなされていたバロックの再評価も彼の功績である。(高橋裕子『西洋美術の言葉案内』p134)
アルノルト・ハウザー(Arnold Hauser, 1892- 1978)ユダヤ系 ゲーザ・ハプスブルク=ロートリンゲン(Géza Habsburg-Lothringen、1940 -)
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ジャコブ=バート・ド・ラ・ファイユ(Jacob-Baart de la Faille、1886- 1959) ヤン・フルスケル(Jan Hulsker, 1907 - 2002)ゴッホ美術館創設 |
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イェンス・ティース(Jens Thiis, 1870 - 1942) クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ (Christian Norberg-Schulz 1926 - 2000) |
スパトラディット・ディッサクン(1923- 2003)
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ヘンリイ・パイク・ブイ(Henry Pike Bowie, 1848 - 1920)日本美術 アーネスト・フェノロサErnest Francisco Fenollosa、1853- 1908 バーナード・ベレンソン(Bernard G. Berenson, 1865 - 1959)ルネサンス絵画 ラングドン・ウォーナー(Langdon Warner、1881 - 1955)東洋美術
ワイリー・サイファー(Feltus Wylie Sypher, 1905 - 1987)
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バーナード・ベレンソン(Bernard G. Berenson, 1865 - 1959) |
米国の美術史家・鑑定家。1899年以降はイタリアで活動、当時は未整理だったイタリア・ルネサンスの絵画や素描のアトリビューションを精力的に行って、その後のルネサンス研究の土台を築いた。「触覚値」の提唱者としても知られる。「イ・タッティ」(「触覚」と「機知」を意味するtattoの複数形)と名付けられたフィレンツェ近郊の自邸は、豊富な文献と写真資料を供えた研究センターとして各国の美術史家や画商を迎え、没後は母校ハーバード大学に寄贈された。(高橋裕子『西洋美術の言葉案内』p149)
張彦遠(815年頃- (877頃) 古原宏伸『画論』明徳出版社<中国古典新書>、昭和48年 黄賓虹(こう ひんこう、1865‐1955)近代山水画家 賀萬里(が ばんり、1962- )水墨画家
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以上で世界の美術史家ピックアップ了
(20180223現在)
このあと、日本版Wikipediaの「美術史」の項を要約し、邦訳文献を見ます→こちらへ
イタリア人 ・ ドイツ人 ・ フランス人・ イギリス人・ ハインリヒ・ヴェルフリン+アメリカ人・中国人他
ドイツのヴィンケルマンとヴァールブルク そしてウィーンのアロイス・リーグル
邦訳文献&日本人