Angel of Grief, a 1894 sculpture by William Wetmore Story
which serves as the grave stone of the artist and his wife
at the Protestant Cemetery, Rome.
photo by Einar Einarsson Kvaran aka Carptrash
17:52, 7 August 2006
2017年5月27日
photo byM キーツの墓参り@ローマ ピラミデ プロテスタント墓地
「 前六・ 五世紀を中心にアテネ関係の墓碑銘を分析して 、 富裕者階層の姿勢の変化や、戦没者国葬と戦没者私人墓が併存する状況の現われ方を推察した。」
「前 500 年頃から 前 430 年頃までの約 70 年間、人物表現を伴う墓標の 作例が、アッティカからほとんど出土していない。」
小
アジア沿岸やエーゲ海といったイオニア文化圏では、アッティカと入れ替わりに浮彫り墓碑の制
作が始まっている。これらの地域の作例の中には、アルカイック時代のアッティカ墓碑の形式を
そのまま踏襲したものもあるが、幅の広い碑形や多様な図像、とりわけ召使を同伴する故人像な
ど、アッティカにはなかった新たな特徴も多く認められる。
そして前 430 年頃にアッティカで墓碑制作が再び活発になると、それらイオニ
アの墓碑にみられた特徴がアッティカの墓碑にも見出されるようになった。
墓碑芸術の繁栄は前 4 世紀後半まで続いたが、アッ ティカの知事ファレーロンのデメトリオス(在位前 317‐307 年)による薄葬令によって、アッ ティカの浮彫り墓碑はその歴史を閉じることになった
①「アリスティオン墓碑」(アテネ、考古博、大理石、高さ 240cm)前 6 世紀末
②「リュシアス墓碑」(アテネ、考古博、大理石、高さ 195cm)
前 6 世紀末
墓主父
花嫁図像・・現世で成し遂げられなかった結婚をせめて
あの世で経験させようという思い
女性性図像は大きく 2 種類に分けられる。一つがこの着飾ったタイプ(結婚式でしか用いられないルトロフォルス)であり、もう一つが糸巻き棒を
もつタイプ(女性の仕事)
(by田中 咲子)
④「アリステュッラ墓碑」(アテネ、考古博 )
着座女性とその向かいに立つ女性(召使い、家族)という構図は、前 5 世紀末のヘゲソの
墓碑をはじめとして、この時期のアッティカ墓碑に頻繁に見られる
しかし、この墓碑では、すわるのが母親で、建ているのが若くして死んだ娘という研究また、母親の墓碑として再利用したという説あり。
(墓碑図像に生者が加わった問題)
死者の身代わりの石として残す柱像に代わり、石という物体の存在感が薄れ、表面の図像の支持体になった。
⑤ムネサゴラ、ニコカレス墓碑」(アテネ、考古博 、大理石、高さ 119cm)
クラシック時代のアッティカ墓碑には、常に既製品説がついてまわる。銘がなければ誰の墓碑にもなりうるという、ギリシアの浮彫り墓碑の根本的特徴
(図版は澤柳大五郎『アッティカの墓碑』(1989)からとのこと)⑥「アムファレテ墓碑」(アテネ、ケラメイコス博物館、大理石、高さ 120cm)
墓碑が制作された前 5 世紀末のギリシア美術では年齢に伴う身体的特徴をとらえることを しなかったため、アムファレテも若い女性のように表されている。そのため銘文がなければ完全 に間違った図像解釈をしていたところだろう。銘文によれば、この墓碑はアムファレテとその孫 のものである。
[アッティカの墓碑 ]
沢柳 大五郎 著 目次: 圖版 序説 ギリシア人と墓 古典期以前の墓 墓誌銘 アッティカ墓碑の中絶 墓碑再興 複數人物墓碑 白地レキュトス 死者と生者 無聞の墓主 内心の表現 古代の證言 各説 1 アリステュラ墓碑 2 ムネサゴラ、ニコカレス墓碑 3 アイギナの青年墓碑 4 レキュトス持つ女人の墓碑 5 ミュリネ墓標 大理石レキュトス 6 三人物墓碑斷片 (アテネ716) 7 タイニア持つ女人の墓碑 8 ヘゲソの墓碑 9 アムファレテ墓碑 10 ミカ、ディオン墓碑 11 テアノ、クテシレオス墓碑 12 デクシレオス墓碑 13 少女墓標 大理石レキュトス 14 女人墓碑《メランコリア》 15 ムネサレテ墓碑 16 傳《デモテレス墓碑》 17 アメイノクレイア墓碑 18 フュロノエ墓碑 19 少女と兩親の墓碑 20 《プロクレイデス》墓碑 21 《挨拶の墓碑》 22 《イリッソスの墓碑》 23 《ラムヌスの墓碑》 24 アリストナウテス墓碑 後語 |
或るアッティカの少女の墓 (1978年) エルンスト ブシォール (著), 沢柳 大五郎 (訳) 岩波書店 (1978/03) https://saiki.cocolog-nifty.com/shoka/2007/06/post_e9a0.html |
おんみらはアッティカの墓標に刻まれた人間の姿態のつつしみに
驚嘆したことはなかったか。そこでは愛と別離とは、
わたしたちのばあいとは別の素材で出来ているように、
かるやかに夫妻(めお)二人の肩の上に載せられているではないか。想起したまえ、あの二人の手を。
いずれの体躯も力にみちたものでありながら、いかにその手は強圧のけはいなくそっとたがいの上におかれているかを。
自己を制御していたこのひとびとは、この姿態によって知っていたのだ、これがわれら人間のなしうる限度であることを。
そのようにそっと触れあうそのことがわれら人間のさだめであることを。もっと強烈に
神々はわれわれに力を加える。しかしそれは神々のわざなのだ。
(『ドウィノの悲歌』第一の悲歌 byリルケ 訳 辻邦生)
ヘゲソの鼻 (1996 遺稿・エッセイ集)
[ギリシアの墓碑に普遍的な人間の心性を透視した碩学のモニュメント]
沢柳 大五郎(1911-1995) 主要著作
昭和18年ヰンケルマン『希臘藝術摸倣論』〔訳著〕座右賓刊行會
昭和31年フルトヴェングレル、ウルリヒス『ギリシア・ロマの彫刻』〔翻訳〕岩波書店
昭和50年『風花帖』みすず書房。
昭和53年ブシォール『或るアッティカの少女の墓』〔訳著〕岩波書店
昭和57年『ギリシア美術襍稿』美術出版社
昭和59年『パルテノン彫刻の流轉』グラフ社
平成1年『アッティカの墓碑』グラフ社。
平成8年『アクロポリス』里文出版