モンテ・カッシーノ(Monte Cassino)は、イタリア共和国ラツィオ州フロジノーネ県カッシーノ市郊外に位置する標高519mの岩山。ヌルシアNursiaのベネディクトゥスが同地に初めてベネディクト会の修道院を築いたこと(529年ごろ)で有名。同修道院は古代から中世を通じてヨーロッパの学芸の中心という重責を担っていたが、戦乱の中でたびたび破壊された
(Wikipedia20141004)
ヌルシアのベネディクトゥス(羅:Benedictus de Nursia, 480年頃 - 547年)は、中世のキリスト教の修道院長で、西方教会における修道制度の創設者と呼ばれ、ベネディクトスの著した会則は西ヨーロッパに広く普及し、やがて「西欧修道士の父」と称されるようになった。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会および正教会で聖人。ベネディクトやベンディクトとも表記され、イタリア語ではベネデット(Benedetto)と呼ばれる。正教会ではノルシヤの克肖者聖ベネディクトと称される。
(Wikipedia20141004 20210728)
→(コトバンク)
View from Monte Cassino on a cold day of December. The valley surrounded by mountains is extremely cold in winter. The mountain in the picture is Mount Sammucro.
モンテ・カッシーノ
の修道院からの風景(アベニン山脈)
修道士はこのような風景を眺めつつ生活していたのですね。・・・寺院は大変大きく、紋章もある・・
Bundesarchiv Bild 183-J24083, Monte Cassino, Basilika, Zerstörungen
壮麗な伽藍・・
《PAX》というのは、〔カトリックのミサで行われる〕平和の挨拶。
ベネディクトゥスはアポロ神殿を破壊して修道院を築いたというが、修道院は戦略上の要地にあったので、たびたび破壊され、
第二次世界大戦でも破壊されている・・
この紋章の装飾?掲示?というのは、イタリアの古い大学ボローニャ大学で見たイメージに似て・・。下の像はオリエントのイメージ風に感じる・・
「祈り、働け」このページは、尾形希和子さんの「教会の怪物たち━ロマネスクの図像学」を読む 頁からの飛び地であったが、以下補足。
著名な修道院
世界的に有名な修道院としては、
カトリック教会のモンテ・カッシーノ(ベネディクト会)、
正教会のアトス山、
メテオラなど。(wikipedia)
塔の頂で修行する人々は正教会では登塔者(とうとうしゃ)と呼ばれるが、これらの人々の中では登塔者聖シメオン (390-459) が代表的存在
※柱頭行者2020k/stylites.html
「中世の修道院は王権の保護のもとに原野や森林を切り拓いた。修道会の資産は世俗の地主と違い遺産配分などで分散されることもないため、広大な土地を治める地主となっていった。」(wikipedia)
※『都市から見るヨーロッパの歴史』(放送大学テキスト)
キリスト教が都市の形成にどのような役割を果たしたかという観点だが、下の引用の通り。
ベネディクト修道院は、修道士の典礼祈祷による魂の救済を求めたカロリング王権をはじめとする俗人領主から多大な土地の寄進を受け、7世紀以降ロワール・ライン川間の北西ヨーロッパを中心に古典荘園とよばれる大規模な土地経営を行うようになった。(p39)
コトバンク《古典荘園》・・8~9世紀の北フランス,西ドイツに進展しつつあった集村化現象に基づき,同地域に成立した荘園組織で王領地,大修道院領 (サン・ジェルマン,ザンクト・ガレンなど) に典型がみられ,10世紀末から 11世紀に崩壊した。こうした大修道院は、自身の所領内での生産物の余剰を地域の市場で取引することで地域の商品流通の促進に貢献するとともに、修道院自体が防備された定住地(プルグス)の核として機能することになった。
「ゲルマニアの教師」ラバヌス・マウルスRabanus Maurusの
De rerum naturis—
百科全書
別表記:デ・ウニエルソー(De universo)(宇宙について)
所蔵:モンテカッシーノ修道院
ヴァティカン図書館
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