聖樹聖獣文様
黙示録の美術を見てきましたが、このページでは、『聖書の生んだ名画 』保坂 清著 玉川大学出版部 (1992/12/1刊)を見ていきます。
前章の14に次いで、この章の18項目を以下に見ます‥
「人間の誕生」そのものがすでにして聖なるもの。キリストの誕生を「事件」にすることを好まない画家、光と静寂。魂を溶かすような安らかな雰囲気。(p72-73)
この静謐な板絵は魅力的であった・・
ウィーン国立図書館蔵の
770年頃のマタイ像ということでだいぶ探したがこれかどうかわからない。wikipediaのキャプションでは9世紀とある。
→越宏一さんの『ヨーロッパ中世美術講義』でいくつか 図像を見ていたが、この保坂さんの本には図版が出ていないので不明。
→ 2015k/tyusei_koshi_2.html,
tyusei_koshi_5.html
この写本が書かれた時代における「福音書記者」の意味
マタイ(イエスの12人弟子の一人)は、取税人でそれは差別された職業(金貸し、売春婦など)の一つ。
1世紀後半のアンティオキア教会は異邦人を多く抱えていた。この時代そのものが、ユダヤ教とキリスト教との混合或いは混乱に頭を抱えていた。マタイもユダヤ教徒とキリスト教徒の融和を図るために起用された一人。
通常「共観福音書」と呼ばれる三つのうち「マルコによる福音書」は一番古く、マタイの時代に、すでに存在していた。 それでマタイは「マルコによる福音書」を基本にして、自分なりにイエスの言行録をまとめたのだと考えられる。このことの意味は二つあり、一つはイエスの言行に関する多角的な表現の試みであり、その中にも、ユダヤ教的(旧約聖書的)主題とキリスト教的主題との調和を求めるのに苦心している点。マタイがしばしば編集者の祖と言われるアレゴリカルな理由もそこにある。
476年西ローマ帝国が滅亡、ガリアの地にフランク王国が成立。この地に興った美術がカロリング超美術で、それはj基本的にロマネスクであり、一部にビザンティン美術の影響を残しなたら、明るく、平面的な表現に大衆への深い傾倒を見ることができる。その典型例が「マタイ像」。(p79)
図版はわからないが。しかし、この箇所を読んで非常に勉強になった・
・
https://biz.trans-suite.jp/
こちらもよくわからないが、この中にあるものだろうか。
Fra Angelico - Scenes from the Life of Christ
尋問での言葉:カヤパ「あなたは神の子であるか」
キリスト:そうである。
「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」
サンマルコ修道院の修道僧たちの個室であるが,窓がある部屋は上級の僧のものあったという。
それにしても、この狭い階段を上っていって、
あのフラエンジェリコの絵を見ると、みんな
恋人に会ったように目を輝かせ
声を挙げていました。
カナ:イエスが最初に奇蹟を行なった場所(水を葡萄酒に変えた)というが、・・この絵の雰囲気では、いったい、水を葡萄酒に変える意味があるのか、不明だ。
この6月に見に行く予定だったが、コロナ禍で行ける日が来るのかわからなくなった。
「贖いのために自分の命を捧げねばならない時が迫っていることを予感していた」(p84)
イエスの危機を救うために、ひそか税を支払ったり、皇帝の肖像のあるデナリ貨幣を水洗いしたりしている使徒の姿(p92)
ペトロがイエスを救うことは無理だし、ユダも裏切るという仕事をしなければならなかった、というのが、私にあっての聖書の物語。
権力の側に加担する普通の人を憐れむ(p94)
印象派画家に共通してみられる優しさ、柔らかさは、「聖書の心」と相通じている(p93)
この絵はこちらで詳しく見られます。 https://www.musey.net/4247
ピエタ(敬虔、憐憫)、大文字のピエタは十字架刑にかけられたイエスの死体を膝に乗せ、嘆き悲しむ聖母マリアの像を指す。
イエスの死亡時間は午後3時ごろという。「ピエタの画像を西欧世界の多くの家庭が持っていることの重い意味」という解説があったが(p96)、これは私には本当によくわからない、危険な箇所。
聖書の記述するいわゆる「黙示録」は、「ヨハネの黙示録」のほかに、通常考えられる以上の広がりを持って聖書にちりばめられている。(p99)
(例)「キリストの再臨」
ベアトゥス写本はかなり西域的部教絵画の影響を感じる、上下のバランスもよく、美しく音楽的<(p102)
http://library.rikkyo.ac.jp/
→黙示録の美術
この本、だんだん解説されている作品画像を探すのが困難になってきた(-_-;)詳しい情報が記されていないし、イメージも載っていないので。
どの写本のことであるか?
→これは違うだろう: ゴデスカルクの福音書【カロリング朝美術】wp/2015-02-27-183238/
もう少しじっくり見ないとわからない・・(続く)
■Category:Carolingian_manuscripts
不明
拡大したものをみると細部が美しい絵であった・・
「ウィンチェスター詩篇」
The Winchester Psalterの最後の頁.
大英博物館蔵 (en.wikipedia)
12世紀後半
死のアギト(大きな怪獣の口)
詩篇の写本で重要なのはユトレヒト詩篇本(820‐839)で、カロリング朝の傑作といわれるが、一般に13世紀以降から、聖書の写本は大きく、かつ豪華なものが広まっていく。(p130)
ユトレヒト詩篇本→ 2015k/Utrecht_Psalter.html
ヨハネ:ユダヤ教の滅亡からキリスト教の勃興の中間期に生きた旧約最後の預言者(紀元数十年ごろイエルに洗礼を与えた=ユダヤ教をかざした反ローマ帝国活動家
その人物がローマ皇帝ユリアヌス(331‐363)によって懇ろに埋葬されるという普通なら信じられない光景(p112)
皇帝の部下によって非業の最期を遂げた預言者を再埋葬する
「洗礼者ヨハネの断首」は正義の士が奸計を用いて殺害される姿の象徴
イエスの処刑1週間後、触ろうとしているのはマグダラのマリア。現代風な「男女の別れ」のように描かれている。(p136)「イエスの体に傷跡がないことを目撃させる。」著者は正直言って「私に触ってはいけない」という「言葉の本当の意味はわかりません、難問という。文語では「我に触るな」でした‥
16世紀ティツィアーノこちらのブログに、「上方にはクワの木の上からこの場面を見物する通行税徴収人の姿が見えます。」とあるが、桑でしたか?棕櫚には見えませんが。
著者は裏面に書かれたことの意味を、「イエスの受難」を描くことは必ずしも公然とは出来かねた「時代のムード」の話をしている。(p119)
下は兄弟弟子であったジオットによる。
この6月、スクロベ―二聖堂に行こうと思っていた・・ドゥッチョの方はよく知らなかった・・シエナに行きた.いとおもった・・当面バーチャルで?
下記の旅案内を見ると、フィレンツェからバス1時間半で行けるようだ。
◆shop-italia.jp
◆tripnote.jp/italy/siena
ミレー20歳の時の作品だという。普通の子でない証拠は、のちに十字架刑になった時の傷跡が描かれている点のみ。「画面全体の優しい静けさ、右側の子が水盤のようなものを恐る恐る運んでくる姿とイエスの無邪気さ。」「1850年、ロイヤル・アカデミー展に出品したときはごうごうたる非難を浴びたといわれる」(p124)
「終末論」(エスカトロジー)はこの世の終わり、または終わりの時に「残れる人々」に与えられる国についての教えを意味する。(p125)
旧約では、「契約の民」が約束の未來を得るのは、神に与えられた戒律を守ることを前提としており、「終末」は神の意志に反した時、その主権の回復の時として位置づけられている。
新約では、イスラエルの堕落が決定できなもののなるに及んで、審判の時が近いことを宣明する預言者イエスの言行に視点が集中されていく。
12世紀ごろから(の定型は)、中央にキリスト、左にマリア、右に洗礼者ヨハネが配置され、これに多くの天使たちや死者たちが描かれる。(p126)
初めて作品化されたのは、オータンの聖ラザール寺院の扉口のタンパン。
→オータン2019年6月14日 に書いたが、
神原正明さんによれば、「最後の審判」がタンパンに登場するのは、モワサックのタンパンが最初であるという。?
最後の審判(さいごのしんぱん、Last Judgement)とは、ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観であり、世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰である。(wikipedia)
キリスト教美術において、審判者イエス・キリストを中心に死者のよみがえり、義人と罪人の選別、天国および地獄などを上下左右に配したいわゆる最後の審判図は、9世紀ないし10世紀以降に登場する。もちろんそれ以前にも、たとえば羊と山羊(やぎ)を選別するキリストといった象徴的な審判図はあったが、「福音書(ふくいんしょ)」(マタイ、24~25章)および「ヨハネ黙示録」を典拠とする壮大な審判図は、ビザンティン美術において写本挿絵や教会壁画が示すように、9世紀から10世紀にかけて準備され、11世紀に定型化したものとみなされている。西ヨーロッパの中世美術では、10~11世紀の明らかにビザンティン美術の影響下に制作されたものはさておき、12世紀以降のロマネスクおよびゴシック美術のティムパヌム(破風(はふ)の三角壁)彫刻にしばしば最後の審判図が認められるようになる。
ジョットやフラ・アンジェリコをはじめとするイタリア・ルネサンス期の画家たち、メムリンクやションガウアーなどの北方ルネサンスの画家たちも多くの作品を残しているが、この時期の最大の傑作は、ミケランジェロが1541年にバチカンのシスティナ礼拝堂に描いた最後の審判図であろう。[名取四郎]
『O・クルマン著、前田護郎訳『キリストと時』(1954・岩波書店)』
コトバンク 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
神原さんの挿絵にもあるように、そちらは、下の部分は長老たちの列で、裁かれる死者ではない。だから、正確にはモワサックの方は「最後の審判」の構図の定型ではないと思う。(→モワサック2019年月9日)
中世キリスト教美術では,〈最後の審判〉図の中に審判者キリスト,大天使ミカエル,善人と悪人の群れとともに天国と地獄の図を表現することが行われ,ロマネスクとゴシックの教会堂西正面のタンパン浮彫にその例を見る。 コトバンク
定型というのは上のようなものだと思う。
神原さんによれば、
ロマネスク末期からゴシックにかけて、フランスを中心に「最後の審判」は大きなカテドラルの正面入り口とタンパンを飾るモチーフとなったという。いろいろな聖堂・イメージが挙げられていた。一読していたが、後ほどもう一度丁寧に読みたいと思う。
オータンサンラザール聖堂のタンパン photo byM 20290614
オータンの、デッサンの「獰猛なまでの不正確さ」と比類なき精神性は、この審判が純粋に東方的であったことを忘れさせる。それレ彫刻された「怒りの日」であり、復活であり、選ばれた者の恍惚であり、地獄に落ちるものの悪夢であり、大胆さにおいてシニョレッリのそれを超えている。(Meer1938)
F. Van de Meer. 1938 Maiestas Domini. Théophanies de l'Apocalypse dans l'art chrétien,Paris以下更に続く‥
『聖書が生んだ名画』
→Ⅲ 聖書から見たルネサンス
→Ⅳ 聖書と近代絵画・そして現代
←Ⅰ 聖書以前と聖書以後 20200816
←Ⅱ キリスト教の誕生と美術の広がり 20200818