中国の唐草文様
甲骨文字を見ていると、特に、申、雷であるが、もうちょっとで「あの文様」ではないか、と思ったりする・・・。ラーメン丼ぶりの縁の定番の文様ですね・・。
以下に甲骨文字を参照してから、見てみます・・・
1974年生まれの専門家、落合淳思さんの
『甲骨文字小辞典』
(筑摩選書2011年2月刊)より
(下に白川静さんの「常用字解」)
「云=雲の初文」「直線が天くを表し、曲線が雲が巻いている様を表す」
「雲の流れる下に龍の捲いている尾が少し現れている形」
夔龍文(キリュウモン)の形が私にもこの形に見えるのですが・・※夔纹
「申は稲妻の象形」「甲骨文字では単体では原義で用いられず、十二支のみで使用」
これを横にしてみると
・・・やっぱりなんだか「似ているようだ」(笑)・・っと、憶測管見開始です
白川静によれば、「神」はもと「申」
「稲妻の象形である申に輝きを表す指事記号や点を加え、電光を表している」「隷書以降に申の部分が変形した」(付きでない、曲がる)
文様的にはこの記号や点の追加は、回転エネルギーの追加であったと・・・(ただしオリエントの卍の文様に関するもの※立田洋司さん卍文)
これが卍文的、旋回文様的であることは、すでにみてきたよう思いますが・・・金文2は回転イメージとしても、。
金文1は、なにか鳳凰のイメージが?・・
楷書で見ると更に四角いので回転性は減少、水田に雨が降っているような、雷は稲の妻で、稲を成長させるという解釈は、大槻文彦さんの『大言海』にあった・・
「稲妻」「稲交接イナツルビ」
落合敦思さんは雷を、形声文字とする・・白川静はまず形成の字とし、そして、音も残していると・・と
この小事典には、「神」の項目はない。旧説の誤りも提示するということで、加藤常賢(1894-1978)・藤堂明保(1915-1985)ばかりでなく、白川静(1910-2006)の説にもいくつかの疑義が出されているが、コンパクトにおさらいができる・・。
中国で文字が発生したのは今のところ、紀元前2000年前後とされ、甲骨文字が作られたのは紀元前13世紀であるので、「文字が出現してから、すでに長い時間がたっていた」のだというのは驚いた。
甲骨文字というものは、普通「最古の文字」とうたわれているので。「現存最古」が正確な野のだ・・
なおまた、文字の発生以前に紀元前5000年ごろにはじまる仰詔文化で「陶文」というものが彩陶に刻まれていたという事は、こちらでおさらいしましたが、「甲骨文字の象形にもよく似た形があり、継承関係が想定できる」というのが面白い。(陶文は文字でなく、記号とされる・・広義では諸説あるようですが)
関係のある文様を 「世界の文様(3)中国の文様」(小学館 1991刊 今井敦・救仁郷秀明著)より引用再掲します
中国における青銅器の歴史
殷(商)中期から西周前期まで
殷(商)の青銅器は獣面紋(饕餮(トウテツ)文)と呼ばれる模様と雷紋と呼ばれる模様が主に鋳造されている。
模様や形は、殷(商)末期と西周初期は、ほぼ共通しているが、西周期は鳳凰紋が多くなる。
青銅器の龍文(トウテツ、キリュウ)の間のあいている空間を充填していた文様(雷文)が、今のラーメン文(ラーメン丼ぶりの)縁の「定位置」に落ち着くのには、どのような径路をたどったのであろうか。
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Category:Bronze_vessels_of_the_Zhou_Dynasty
青銅器の龍文(動物面。饕餮文)の間のあいている空間を充填していた文様・・この鼎には上部の縁にもたまたま、その文様が饕餮文様を取り巻くついでにあるといったイメージであろうか。
A Chinese bronze "gui" ritual vessel on a pedestal
used as a container for grain.
From the Western Zhou Dynasty,
dated c. 1000 BC.
From the Freer and Sackler Galleries of Washington D.C.
西周(紀元前1100年頃 - 紀元前771)のもの。ここでは雷文の細かい充填がみられない。もともと雷文は充填用の文様だったのか、縁にも見られない。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_ritual_bronzes)この文物を収蔵するフリーアー&サックラー儀博物館の古代中国の青銅器のページをみると、
Vase gui pour les céréales. IXe siècle – début du VIIIe siècle av. JC,
Dynastie des Zhou de l’ouest (vers 1050 – 771 av. JC).
Bronze H : 30 cm L : 50 cm. M.C.8809 Musée Cernuschi, Paris
紀元前9-8世紀の初め。
収蔵のチェルヌースキ博物館
の紹介に、西周王朝末期には長方形の基盤が不可欠であったということと、
波をうつ幅広のリボンという純粋に装飾的な、幾何学文様の要素は、その起源の動物をかすかに思わせる。殷王朝の文様の相続としての、動物マスクを含む三角形を形作っている。龍の化身の残影である、といった説明があった。
ここで、殷の鼎にもう一度戻る。殷墟出土文物で 最大の青銅遺物、 司母戊鼎の(「后母戊鼎」
Houmuwu Ding, also known as Simuwu Ding (wine vessel) is the heaviest piece of bronze work found in China so far. It was made in the late Shang Dynasty at Anyang (c. 1300 – 1046 BC).
the National Museum of China.王室祭祀用的青铜方鼎 中國國家博物館蔵
后母戊鼎或司母戊鼎,又称后母戊大方鼎,是中国商朝后期(约公元前16世纪至公元前11世纪)
中国のサイトhttps://www.ha.xinhuanet.com/fuwu/https://jp.xinhuanet.com/2011-03/11/
角の文様を拡大してみると左右に縦に一列に文様が入っている・・中の渦は四角でなく丸いようだ
向きは整っていないし、中の渦の巻いている数もまちまち
A bronze Chinese ritual food container (gui)
with two bird-head-shaped handles,
from the early Western Zhou Dynasty, dated 10th century BC.
中央部に縦に描かれている
Taotie - a mask of an imaginary animal with eyes, horns, snout and jaw.
Motif common in Shang and early Zhou dynasties.
縁の定位置に横に描かれている
縁はロゼッタ文でその間を埋められているが、蓋の方にはその上(下)に現在普通のものが見られる
A Chinese bronze tripod vessel
from the Spring and Autumn Period (722-481 BC),
located at the Hainan Provincial Museum.
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2013年 2月29日(土) 更新
LastModified:2022年