唐草図鑑

花の図像学:花唐草

チューリップ

Topkapı Palaceの花々 トプカプ宮殿(第二ヤード)

第二ヤード(トプカプ宮殿)

荒俣宏「花の王国」第1巻(平凡社1990刊)

チューリップ  学名:Tulipa

チューリップ
学名:Tulipa

属名トゥリパは、トルコ語あるいはペルシア語のターバンを表す言葉に由来。
花の形が頭巾に似ていることから。
(英名):tulip
属名の英語化したもの
和名:ちゅーりっぷ(鬱金香)
鬱金香本来は ウコンあるいはサフランをさす言葉、
中国語名との混乱が起こったものか。
ぼたんゆり
ボタンのような花をつけるユリに似た花の意か。
中国名:郁金香 (由来不詳)  郁は美しいの意。
原産地 不詳(中央アジアか)※ ※Wikipedia(2011-04-25現在)には「原産地はトルコのアナトリア地方とされ、トルコ国内の宮殿(トプカプ宮殿等)やモスク(ブルーモスク等)に貼られたタイルに描かれている。」とある

『フローラの神殿』:‘TEMPLE of FLORA’
植物図譜の至宝

植物図譜の至宝『フローラの神殿』:‘TEMPLE of FLORA’
R・J・ソーントン画 Robert John Thornton (1768-1837)
Carl von Linne(1707-1778)植物分類学解説図集


植物の分類法に画期的なシステムを導入したのは、
スウェーデンの博物学者リンネであった。
植物の生殖器官―花に着目し、その形態を基準に、
雄しべと雌しべの形と数で分類してゆくその方法は
「セクシャル・システム」と呼ばれ、
18世紀の後半にはヨーロッパ中に広く知れわたった。
イギリスでその思想に共鳴したソーントンは、リンネ分類学を図解した
大著の出版を計画し、そこで生まれたのが史上最美といわれる植物図鑑
荒俣宏さんの図像収集の件 荒俣宏の本

植物としてのチューリップ


Tulip agenensis. By Zachi Evenor and MathKnight, via Wikimedia Commons

荒俣宏「花の王国」第1巻 p70-71 に載る6種 )
Tulipa SD
清楚な原種のひとつ。
最も小さい原種のひとつ。(図2つ)
Tulipa gesneriana ガーデンチューリップ
ふるくはモンスターと呼ばれている、'フレイミング・パロット'に近い種

’ダーウィン’系に属する花なら、白色が入るものはウイルス病※の疑いがある。(図3つ)
トルコから来た園芸種
チューリップ’ケイス・ネリネ’に似る
Tulipa oculusolisトゥリパ・オクルスソリス
東南アジア原産といわれ、きわめて美しいチューリップの一種(図1つ)

チューリップバブルTulipomania

Tulipomania、チューリップ狂時代

チューリップ・バブル(Tulip mania または  Tulipomania、チューリップ狂時代)

20171107
[植物から見たヨーロッパの歴史]の関連で驚いたのは、チューリップ・パブルについての見直しの話

チューリップ・バブル - Wikipedia(20180208閲覧)


現代におけるチューリップ・バブルの議論は、スコットランドのジャーナリストであるチャールズ・マッケイから始まっている。

チャールズ・マッケイ1841年『Extraordinary Popular Delusions and the Madness of Crowds(邦題:狂気とバブル―なぜ人は集団になると愚行に走るのか)』
不可解なバブルに関するマッケイの説明は、1980年代まで、批判されることはなく、また見直されることもほぼなかった。しかし
アン・ゴルガー(Anne Goldgar)は、2007年の論文『Tulipmania』において、この現象は「極めて小さな集団」に限られて生じたことであり、当時のこの現象への説明は「当時の一つか二つのプロパガンダと、それらの膨大な量の盗作に依拠している」と述べている。
「経済における比較的小規模な出来事が、道徳的な寓話として独り歩きするようになった可能性がある。


「チューリップ・ブック イスラームからオランダへ、人々を魅了した花の文化史
国重 正昭/ヤマンラール水野美奈子/W・ブラント/小林 頼子著
八坂書房 2002年02月刊
内容紹介 チューリップの故郷トルコ・イランとオランダを中心に 美術 や文芸に描かれた姿をたどりながら、人々を熱狂に駆り立て破滅させた不思議な花の魅力を探る。目に愉しく、資料性も高い、チューリップ本。

目次
チューリップ品種の歴史
(コラム)日本人が初めて目にしたチューリップ by 国重 正昭

チューリップ狂時代 by:ウィルフリッド・ブラント/ 南日 育子(訳 )

イスラーム世界のチューリップ  byヤマンラール水野美奈子

天上の甘露を享ける花  十七世紀オランダに咲いたチューリップの肖像 ;by小林 頼子

ワールモントとハールフートの対話  フローラの興隆と衰退をめぐって;by 小林 頼子・ 中島 恵/訳

上記の本所収

「天上の甘露を享ける花 ‐ 十七世紀オランダに咲いたチューリップの肖像」
小林 頼子/著

第一章「シャロンのバラ」
第二章 東から西へ(
第三章 チューリッポマニア
  チューリップ・バブルを検証する 
  経済学者ガーバー 「17世紀のチューリップ狂騒時における高級品種、希少品種の値の下落は特別に異常なものではなかった」 :記録を駆使して結論・・パブルだったか否かは別として、社会の倫理観を危うくしかねない由々しき状況(米粒にも満たぬ球根が短銃労働者の年収の3~4年分で売り買い)がチューリップの周りにあったことは事実

※ピーター・ガーバー(Peter Garber 1947‐)

第四章チューリップの肖像
→絵画に咲くチューリップtulip2.html
第五章むすび

城一夫「西洋装飾文様事典」朝倉書店1993 )

20171107
さらに『西洋装飾文様事典』から追記

オランダの国花として知られるチューリップも、元来は西アジアから中国にかけて広い地域に古くから自生していたと考えられている。
したがって、数はあまり多くないが、当時の織物や彫刻レリーフなどに、チューリップらしい花を見出すことができる。

紀元前400~前300年ごろ、黒海沿岸のノイン・ウラ(*モンゴル
  から出土したコブラン織にもチューリップらしい花が織りだされている。

中国では1世紀の漢時代の織物にも、チューリップの花模様がすでに姿を現している。

600年ごろのターク・イ・ブスタン(※ Taqi-Bustan ) の遺跡には、ササン朝ペルシアのホスロ2世()を記念してつくられた「勝利の女神」レリーフに、チューリップ型の花がアーチ状に並べられており、中央アジア一帯には、すでにチューリップが、あまねく知られていたことがわかる。

https://digi-tabi.parallel.jp/w.iran_5.htm
https://www.geocities.jp/ikokunotabinikki/iran0204/

16世紀のオスマン・トルコでは、皇帝の後宮でチューリップの祝祭が行われたというが、「チューリップの祭」と題するトルコの絵が残っているばかりでなく、ハーレムのタイルや陶器、細密画、サルタンの衣装や陣笠に至るまで、数多くのチューリップ模様を見ることができる。特に16世紀トルコのイズニク窯から生み出される美しい絵皿や壺や陶板なおdには、カーネーション、糸杉などとともに、流麗なチュー リップ模様が、美しく描かれていて、枚挙にいとまがない。

16世紀にチューリップは、トルコからはじめてヨーロッパにもたらされた。特にオランダのチューリップ栽培熱は、17世紀オランダを「狂乱のるつぼ」と化したほどであった。当時のチューリップの姿は、ヤン・ブリューゲルをはじめとして数多くの「花の作家」により、その美しい姿を見ることができる。

ヨーロッパでは、チューリップが模様として登場するのは、18世紀になってからである。


Tulip with variegated colors in Dupont Circle in Washington DC.
By Ben Schumin , via Wikimedia Commons
斑入りのチューリップ(Wikimediaより)

17-18世紀
チューリップ時代

荒俣宏「花の王国」より
1543年にトルコ駐在オーストリア大使が、
ウィーンに持ち帰ったのが
記録上の最も古いチューリップである。
1561年に博物学者C・ゲスナーは、
(※コンラート・ゲスナー Conrad Gesner)
球根をドイツのアウグスブルクへ移植し、
著書に初記載した。
このため原種にはゲスナリアという種小名が残っている。
(※ゲスネリアナ種 Tulipa gesneriana )
その後オランダに移植されると、またたくまに流行し、
変種作りが盛んになった。
ウイルス病にかかったものが珍奇種として賞賛されたり、※
一個の球根がビール工場と交換されたりした。
特に1630年代の熱狂が「チューリップ狂時代」として名高く、
デュマが「黒いチューリップ」でそのありさまを描いている。
流行はトルコに逆輸入され、
18世紀前半のトルコ文化の爛熟期がチューリップ時代
呼ばれるほどに象徴化された。
花言葉は色によって異なり、
赤は 愛の告白、
雑色は 美しい目。

チューリップ・バブル - Wikipedia
膨大な品種が系統だてられてチューリップが認識されるようになるのは、
植物学者カロル ス・クルシウスの研究による。
... クルシウスが発見した特性のなかに、
のちにブレー キングとよばれる突然変異がある

小林頼子「花のギャラリー―描かれた花の意味」の解説


野生種のチューリップは、中国西部から南ヨーロッパを結ぶ
北緯40度一帯に自生する比較的地味な花。

トルコ人が園芸種に育て上げた。
神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント一世の駐トルコ大使ビュスベックが
ウィーンに持ち帰り紹介。

ウィーンからネーデルランドにチューリップを将来したのは、
ビュスベックの友人でウィーン宮廷付属植物園園長を勤めていた
クルシウスだという。 

珍しい異国の植物のコレクション(芸術品の蒐集と並ぶ)
ステイタス・シンボルとしてのチューリップ
園芸家は競って新しい園芸種作りに励んだ。
花が美しいばかりでなく交配が容易で結果が予測不可能であるため、
博打的な面白さがあった。
チューリップは代を重ねるうちに、斑模様や縞模様の異様に美しい花を咲かせる。
ウィルスによる不健康な滅びの美しさだった

1634-37頃
チューリッポマニア(チューリップ狂騒事件)

※史上最高値 ゼンベル・アウグストス Semper Augustus
一個の球根の値段…13000ギルダー
(レンブラントの「受難」の連作の代金は1点600ギルダーだった頃)

17世紀のオランダ絵画のチューリップ


レンブラントチューリップ

ソーベット |品種群| 一重遅咲きRenbrandt Group (略称:R)
白色に赤の縦じま模様
ウィルスに罹って花弁にさまざまな絞り斑が入ってしまった品種群で
赤、ピンクの色に現れる。
昔、静物画に描かれたもので一部が保存され、市販はされていない。
市販されているのは遺伝的な斑入り品種のみ

※mosaic virus:モザイク病ウイルス Wikipedia
レンブラント系 (Rembrandt)
ダーウィン系に羽状の斑が入ったもの。
レンブラントを代表する画家たちが描いた、
ブロークンチューリップにちなむ。
似たものにビザール、バイブルームがある。

病気ではないもの
レンブラントチューリップ


画家レンブラントRembrandt van Rijn(1606~1669) は、
赤白ツートンカラーのミックスをしばしば
モチーフにしました。これは「レンブラントチューリップ」と呼ばれる。

ブロークンチューリップ(Wikipediaより)
ウイルス病に罹ったチューリップのことで、現在では品種として認められていない。チューリップ・バブルの原因になったチューリップである。白地に赤のラインが入るセンペル・アウグストゥスなどがあった。


Semper Augustus, the most famous bulb, which sold for a record price.
センペル・アウグストゥス もっとも高価だったチューリップ
Great Tulip Book: Semper Augustus, 17th century


me 以上、荒俣宏さんの「花の王国」をメインにチューリップの植物文化の歴史背景を見ました。ついで、チューリップ文に入りたい。
ペルシアのTaq-e Bostan(7世紀前半)摩崖浮き彫りのチューリップ文様について(田辺勝美氏)はこちら
2012k/sassan.html

追記
2015年に見たところ、地中海学会の月報の「地中海世界と植物 24」 (by 太田 敬子)が公開されていた

オスマン朝領域やイランではラーレ(ペルシア語起源)と呼ばれ,現代トルコ語でもラーレ lale と言われる。

植物学者クルシウスが1593年にライデン大学に招聘され,そこでこの花の栽培と研究を進めた結果,17世紀になると植物愛好家たちの間でチューリップ人気が高まり,珍しい品種の値段が高騰した。それがヨーロッパ各地に広がり,投機家も参入するチューリップ・バブルとなる。


1718年にアフメト3世がネヴシェヒルリ・イブラヒム・パシャを大宰相に任命してから30年にスルターンが退位するまで,いわゆる「チューリップ時代(ラーレ・デヴリ)」が花開く。
アフメト3世とイブラヒム・パシャは積極的に文芸や芸術を保護し,華美な文化が興隆した。細密画家レヴニーが活躍したのもこの時代である。→*tulip2.html#levni


Laleli Mosque
Tulip_Mosque_(Istanbul)

「ラーレリ」は「チューリップ」という意味

イスタンブルの「ラーレリ・モスク」
18世紀のバロック様式のモスクhttps://en.wikipedia.org/wiki/Laleli_Mosque

İstanbul 5593.jpg
"İstanbul 5593" by User:Darwinek - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.

me 「チューリップモスク」とはどこがチューリップなのか?・・とにかく説教壇の図はチューリップの花瓶のようである。それは、クレタのユリのようでもある・・

Ljalja-Tjulpan
リャイリャ・チューリップ・モスク@ロシア

チューリップに関係する人物

クルシウス (1526-1609)
ゲスナー (1516-65)
レンブラント(1606~1669)

カロルス・クルシウス
(Carlolus Clusius, 1526年~1609年)
著名な草本学者で,中近東などから多くの植物をヨーロッパに導入した.
チューリップの導入は有名.
https://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/l
名前が種小名に残る
T.clusiana var.chrysantha

https://www.afftis.or.jp/hana/tulipa/tulipa11.htm
社団法人農林水産技術情報協会のページ)

ライデン大学植物園 Hortus Botanicus Leiden
クルシウスはライデン大学初の植物学教授であり、
現在庭園「クルシウスタイン」が再現されている由。


コンラート・ゲスナー (1516-65)
「近代のプリーニウス」('a modern Pliny')とも称しうるスイス人の博物学者
「書誌学の父」
『博物誌』(Historia Animalium)
博物学的な収集と分類の精神に基づいた、 グーテンベルク以後最初の体系的な解説つきの書誌

WEB
https://en.wikipedia.org/wiki/Tulip_period
◇トルコ研究家
澁澤幸子さんのホームページ:チューリップ・グッズのコレクション

絵画に咲くチューリップ

me花のギャラリー―描かれた花の意味」で紹介のあるチューリップの絵
⇒植物文化 絵画に咲くチューリップtulip2.html  
オランダ花卉画、トルコの細密画家レヴニー、
モリスのチューリップデザイン、リバティープリントのチューリップ

オリエントの文様⇒orient/ornaments-orient2.html (編集)石田 恵子, 松本 健 , 道明 三保子, 宮下 佐江子29 トプカプ宮殿の壁装飾
花唐草
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