2012-07-20 ディピュロン・・ といってもわからないのですが、スペルはDipylon: (wikipedia.it.)
http://en.wikipedia.org/wiki/Dipylon,_Carlsberg
等を見ると、「ダブルゲート 二重門」という意味で、 古代アテネの西の城門で
、独特のスタイルの陶器が発見されている、とある。
(
The name which simply means "double gate" in Greek, refers to a gateway in the north-west of ancient Athens.)
その陶器の「独特の」スタイルの話です・・
日本語のページ
ケラメイコス(ケラミコス)遺跡にあるディピュロンと呼ばれる門の近くで発見された葬送アンフォラ。 http://www.mesogeia.net////dipylonamphora.html
※ギリシア案内記 by Yoji Horikoshi氏
http://www2.ocn.ne.jp/~greekart/misc/trip/8-12.html
ディピュロン・アンフォラはケラメイコスのディピュロン門近くから発掘された高さ1.5mを超える巨大な陶器で、墓標として用いられたと考えられている。ギリシア陶器にようやく人物像が登場し始める幾何学様式の後期に作られたこのアンフォラにはプロテシスの場面が描かれ、この時代の陶器を代表する遺物である。
Prothesis Dipylon Painter Louvre A517.jpg
More details
Prothesis scene: exposure of the dead and mourning. Detail. Late Geometric. From the Dipylon Cemetary in Athens.
ナイジェル・スパイヴィ『ギリシア美術』図39にもある
後期幾何学様式のアンフォラ: wikimedia
葬礼儀式の晩年 アテナイ、デピュロン墓地出土
前750年 高さ155㎝
アテナイ 国立考古美術館
https://www.utexas.edu/courses/introtogreece/lect8/img15.html
ナイジェル・スパイヴィによれば、この格子文様は葬礼のブランケットだという
→幾何学様式のページ
以上,下調べですが、だいぶ意味合いが違う、ディピュロン様式の位置づけ。以下本題ですが、・・
リーグル『美術様式論』
p173 では、「ミケーネ装飾法の発展は、一幾何学様式の侵入、すなわちディピュロン様式の侵入によって、強い妨害を受けた」と始まるのである。
「美術様式論」p173
ディピュロン様式は単なる幾何学的様式ではない。また純粋な幾何学的様式のデザインともいえない。それは原始様式の素朴さが欠けている。
それは文様配分において洗練された物を持っていて、帯状のシムプルな区分を支配する。 これはミケネ美術がとっくに超えていた図式である。
だが、いろいろな幅の帯、そこに見られる「技術的」考慮、人像場面の挿入、すべてこれらは、北方様式、最古キプロス様式、アメリカ様式、ポリネシア様式などの純幾何学的様式に見慣れている美術を、はるかにしのいだ優れた装飾美術を示している。
従って、ディピュロン様式は、簡単な形では取り扱うことができない。
「美術様式論」p174
それは単に、ミケネ美術の主体であった円形を、各形に移したのではない。
ディピュロンでは、曲線が直線に並び、円形が矩形に並び、ロセット風の多弁形が放射形ロゼットに並んでいる。
ディピュロンが素朴な、単に飾りのみを求めた美術段階の係わりから脱出できないゆえんは、帯状デザイン並びにHorror vacui(空間の恐怖)である。
コンツェ『ギリシア美術始原の歴史』(1870)での指摘:Zur Geschichte der Anfange der griechischen Kunst,in den Sitzungsberichyen der kk.Akad. der Wissensch phil.hist.Classe,LXⅣ.2.Heft,1870.
:ディピュロンの特徴=植物文様の欠如
「美術様式論」p175
グッドイーヤは、連続的ジグザグ文様にも萎んだロータス花文様の系列を見ようとし、北方、史前様式と同じくエジプト起源に帰している。
植物文様の実りある発展は幾何学的なものへの反動とは結びつきえない。だが「ミケネ美術」の発展を中断したこと、およびその後に来るものの解明をするために、ディピュロン様式を提起しなければならない
今日までの遺跡の発見によれば、この様式はのちにギリシア文化と美術の支配下たるべきすべての地方に広がっている。
ミケネの伝統が比較的忠実に守られている後のギリシアのある地点(たとえばメロス島)においてさえ、ディピュロンの影響が強く認められる。
「美術様式論」p176
スチュニッチカStudniczkaの最も適切な意見:
侵入したギリシア民族の幾何学的様式は厳格な訓練の原理であって、この原理により、ミケネから始まるオリエントの無数の形の宝庫から借用したすべてが、純ギリシアの所産に改鋳された(鋳なおされた)
民族学上の「ミケネ問題」、ミケネ文化とディピュロン文化の担い手の相互の関係を解明することをここでは意図しない。しかし、ミケネ装飾美術上の植物文様の考察の結果、特別なギリシア的特性の存在が明らかになった。
ミケネ様式に代わって幾何学様式の侵入したことが、ただ退歩を、ただ退歩のみを意味することについて、もしなおも証明が必要とならば、それはギリシア人をして語らしめよう。
「美術様式論」p177
今や、我々の課題は次の諸項を明らかにすることである。
いかにしてギリシア美術ではディピュロン様式と並んで、あるいはそれに引き続いて植物文様が再び栄えるにいたったか。
いかにしてオリエントの成果を図式的に繰り返したか。
いかにして偉大なミケネの成果に、すなわち、自由な植物唐草に結びついて、唐草並びに花文様が形式美の意味において形成されたか。
いかにしてその文様が広幅平面を覆いうる能力を得たか。
ついには人像および動物像までもデザインにひきいれて従属せしめたか。
2012-09-07 陶器年代という用語を見ていました.
2015-10-23 追記: 幾何学様式 コリントス陶器 アッティカ陶器
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