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美術様式論


リーグル美術様式論―装飾史の基本問題」
長広敏雄訳 岩崎美術社、1970新版)

植物文様の始原と唐草文様の発展


p139 ギリシアの土地で、明確な植物文様をうんだ最古の美術は
いわゆるミケーネ美術である。

meこの著書の核心の一つ。
ミケーネ美術の担い手および養育者について、 「民族学的出発点を根底におくことを避けねばならない」という、その理由から始まっている。ミケネ美術の遺品は異質で、後代のギリシア式ともはっきりした関連をしめさないと。
このあたり、再開やり直しで一部重複しています。・・ ミケネ様式:図46~連続波状唐草の発見:図52

グッドイヤーはエジプト起源説。
この章(p139~p173)に出てくる人名は グッドイーヤ が10回(p140、p141、p142、p149、p150、p153、p158、p162、p165、p171)
フルトベングラーが3回(p141、p154、p160)、 シュリーマンも3回(p145、p155、p169)
あとは各1回、 ミルヒヘーフェル(Milchhofer)p140
プッフシュタイン(Puchstein)p151
ベーラウ(J.Bohlau)p152 195
ケスノラ(Cesnora)p153
フリーダース・ペトリーp153
オーネファルシュ・リヒテル(Ohnefalsch Richter)p17
・・・半可通なので、『美術史家の辞書』 フルトベングラーのページに。


なおまた、この章の引用図は、45図~65図のうち、第45・46・49・50・52図の5図はフルトベングラ―の著から、シュリーマンの著作から14図引用している。
シュリーマン『ミケーネ』(第47・48・51・54・58・59・60・61・62・63・64・65図)、シュリーマン『オルコメノス』 (55図)、シュリーマン『チリンス』から(57図)

Shliemann Mykena (1878)

※天理参考館 特別展・企画展 天理大学創立90周年記念特別展 「ギリシア考古学の父 シュリーマン ―初公開!ティリンス遺跡原画の全貌―」、シュリーマンによるティリンス遺跡から出土した遺物のスケッチ天理図書館が所蔵するシュリーマンの発掘報告書『ティリンス』


54図  266 Golden Ornament Sepulchre III Actual size

me2012-05-30 ミケーネ
・・http://en.wikipedia.org/wiki/Mycenaean_Greece・・ 間を置いてしまいましたが、(この書での表記は「ミケネ」)
ミケネ美術の植物文様で、「エジプト原型に関係させにくく、しかも写実的な性質を示しているもの」という第58図(Shliemann)から再開します。
p158で気になる文は


イカはグッドイーヤがミケネ美術の創意になる唯一の文様とまで言った。

ミケネの創意はがそうであって、その頭部および触角の様式化はエジプト式とミケネ式の共通の所産である。

(58図のような)この種の植物文様はイカや蝶の文様と同じく、その後の美術発展史の経過ではギリシア国土で消滅


陶器年代区分(考古学)についてはこちらへ

第55図 オルコメノスの石刻屋根
Orchomenos [ミケネ装飾美術上の結論を与えたといってよい遺品]
飾り縁の内面との厳重な区別 の傾向

時代的にいっても、オルコメノス屋根はアッシリアの同類の遺品に先行している。


シェリーマンの本の表紙にもある(第55図)
Orchomenos: Bericht Ueber Meine Ausgrabungen im Boeotischen Orchomenos

55図と56図と57図の比較が焦点。
(充填用ロータスを伴った渦紋)
エジプト原型(56図)と似ている点と違いで、渦紋に密着する両側の萼の平行斜線に注目


図56 エジプト式彩描装飾

ミエネ文化遺産の上に、その独自の美術制作の跡をしめしたのは、植物モチーフそのものではなく、むしろその処理法
第49図のような揺らぐ主幹から枝分かれする細い葦の葉が目をとらえた


陶器年代区分(考古学)についてはこちらへ


第58図 打製黄金板(ミケネ式)
「エジプト原型に関係させにくく、しかも、写実的な性質を示している」

「美術様式論」P158-159

図は正面形を示すが、エジプトのパルメットには関係がない
ア館とす・パルメットがこれと類似の攻勢をもつことは、後に分かるが、これとそれとの相互巻毛ウィおとり持つ中間形式が全く欠けている。
この種の植物文様はイカや蝶の文様と同じく、その後の美術発展史の経過ではギリシア国土では消滅してしまい、いちじるしうく東方化した文様に地位をゆずったようである。



第59図 木箱の彫飾(ミケネ式)

飾り縁形式で最も簡単な渦紋
「美術様式論」P159

エジプト美術で渦紋は植物文様の形成上ぜひ考慮に入れなければならない意義をもっていた。
(そのため)渦紋が幾何学的であり、それだけでは植物文様の考察から省くことができるにも関わらす、ミケネ美術における渦紋の検討を強いられる

エジプトの例(第25図)で目を中心とする一つのロゼット装飾があったように、一つの中心的な面の周りに連続的渦紋が渦巻く。
基本要素は幾何学的で帯状
地間充填は偶然的、原始的、三角形

フルトヴェングレル並びにレシュケ共著Myken.Thongef.Ⅰの一陶壺・・二つの向かいあった渦線 それらのコンケーヴとコンヴェックス(凹凸風集散)によって心臓(ハート)形の連続系列を形づくる、地間充填なし
同Myken.VasenⅫ.58 地間充填あり


NAMA Mycenaean gold funeray breastplate
アテネの国立考古学博物館
第60図がWikimediaにあったので出します

第60図 打ち出し黄金製胸当(ミケネ式)

「美術様式論」P161

同様の図形はエジプト装飾法(第26図)にも見た。違いは地間充填の方法
エジプトの雨滴地間充填(第20図)と結びつく―卵形モチーフを用いる
これに対しエジプト壁画は典型的なロータス花文様をもって充填する
地間充填にロータスを用いた渦紋は特にエジプト的形式と結論されたが、ミケネ美術にも実例がある(第55図、57図)
両者の相関関係は疑う余地がない

シュリーマン「ミケネ」第140図 同様の渦紋だが地間充填がない。要するにミケネ人は地間充填の法則を絶対と考えていなかった


「ミケネ人」は地間充填の法則を必ずしも絶対的と見ていなかったという結論になる


「美術様式論」P162

多方面に人気のある唯物的・技術的な必要性から、特に針金が渦巻型からの渦巻き成立説を考えるのではない。むしろ一定の下地の上に刺繍縫いをした織物系が考えられてよい。
糸の線は今日でもバルカン住民の衣服の渦紋の刺繍、前千年紀ににヘレニズムの支配下あった小アジア、シリア地方の民族衣装の主な装飾であった
(・・が)渦紋の起源が紐用刺繍の技術に帰着することを意味しない。紐用刺繍は渦紋に対し、それが都合よく作られる便宜を助長したとはいえ、


渦紋の起源は、 針金渦巻き型からの渦紋成立説、紐用刺繍の技術による渦紋成立説を考えるのでなく、人間の自由な芸術意欲に帰着させることができる。



第61図 打ち出し文黄金板(ミケネ式)

「美術様式論」P162

帯線文様デザイン

帯線のカーヴが、互いに明瞭に並びあっている
規則正しさとそのリズミカルな波動
個々帯線が眼形を取り巻いている(エジプト美術に発見されない)



ミケネ美術はエジプトでは用いられていなかった一つの、渦紋に似た文様を用いていた
エジプト美術と同じくミケネ美術でも渦紋のデザインの構成要素は帯線(バンド)である。


ミケーネではこの帯線はデザイン渦紋に応用されるのみならず、他の複合図形(にも応用されている。

「美術様式論」P163



第62図 墓石上の陽刻帯線文

「美術様式論」P163

互い違いにくねった帯線デザインは極めて単純
だがエジプト広幅平面装飾の 、堅苦しいジグザグ文笹縁と芸術的な隔たりがある
ごく単純な帯状デザインである、波状帯がミケネ陶壺に見出されるが、これもジグザグでない
だから、 渦文とは帯線文様の特別な一種にすぎないのだと信じる
帯線文様は曲線によって構成された幾何学的文様であって、幾何学文様の最高次の段階を示す
マオリ人が独立的に渦文装飾を発展させ、しかも芸術発展系列の上に幾何学様式の最高の完成を遂げ、弧線の装飾的応用を成し遂げたのであれば、
「ミケネ人」は古代エジプト文化世界との接触以前に、この渦紋装飾を使用し、形成しており、のちにエジプトの同様の文様と接触することによって刺激を与えられ、充実したかたちをとり、彼ら固有の美術精神に結びついてそれに相応した発展を遂げたといえよう。


以上はまぁ良いとして、「エジプト人がミケネ美術から渦紋をつたえたという仮説だけは、決定的に否定されよう」 ということの根拠が、 うたがいもなく「ミケネ」時代には、エジプト人はより高い文化民族であったから、ということであると、それ以前 のタイムスパン、古代エジプト以前の「古ヨーロッパ」なるものを考えに入れると、「決定的」という語は、ちょっと保留となる・・・
→・っと思ったのはこの時はマリア・ギンブタスにやられていたせいか?


第63図 鍍金した銀製コップ(ミケネ式)

「美術様式論」P164

ミケネ美術における特殊な渦紋使用法・・のちのギリシアの唐草装飾とも著しい類似を示している
二つの並合的渦文からなる図形
下方へ、この二つの渦紋の各各へ中心を同じくして描かれ、次第に小さくなる平行斜線が施される
両側の斜線を全体として観察するならば、その上にある渦巻き型を萼と見たてた(下向きの)パルメットが生ずる
(パルメット風文様)




第64図、第65図 打ち出し黄金板(ミケネ式)

「美術様式論」P166

「 第64図、65図は円熟期ギリシア美術の成果の先駆けである」
(永続的な成果)
装飾法のうちに生気ある植物唐草を導入したことは、一つの進歩を示す
驚くほど前進的で完全な作品
ミケネ文化の最盛期は前16世紀から12世紀の間にある ミケネ文化が事実上ラメセス朝と同時代であるならば、ミケネ人は確かにエジプト人の諸成果を超えている

第64図 下半分の中央に、二つの併合的渦文からなる図形がある。平行斜線。パルメット風文様

並行斜線の同じデザイン手法は、ニュージーランドの渦文地間にも見られる。(28図)
のちのパルメット唐草では自由な唐草描線が平面的にシムメトリックに施され、渦文へ巻き込み、その渦文の頭にパルメット扇形をつけている。
64・65図は、この発展系列の先駆である。


「美術様式論」P167

ミケネ文様とギリシア盛期文様との違い
後者のパルメットは扇形がそれの模範であるエジプト、アジア風と似てまっすぐに萼から棒立ちになっており
前者では扇形が半円形に文字通り扇を開いたようである


「美術様式論」P168

ミケネ装飾の多くの特性つまり帯線デザイン、渦文デザイン、いかおよび長の文様は、のちのギリシア美術には欠けているが、 一つの永続的な成果である。

「美術様式論」P170

ミケネの器形は、のちのギリシア形式との関連を示し、エジプト陶壺の形式に対立する
芸術が民俗学的興味の領域から出て、美術市場の価値の領域に入るのは、それが人間の行為と悲哀を描写するようになったときにはじまる。

人物描写の領域で、エジプトの特徴が(上半身は正面向き、頭部および脚部は側面向き)まったく変えているわけではない。
このような様式化でも、ミケネ人像の特徴である「蜂腰」(婦人の)を生んでおり、これはディピュロン様式にいたって類型となった

「美術様式論」P171

チリンス出土「道化師」について
グッドイーヤはエジプトの陶壺とヴァヒオ杯 の牡牛狩りが似ているというが、(マスタバ墳墓と音並行形式を提示)、ヴァヒオ杯は自由な風俗画風場面。

「美術様式論」P172

グッドイーヤはミケネ美術の諸特徴を、いわゆるギリシア・キプロス美術の存立に負うたとする。。
ギリシア・キプロス美術での植物文様は、眉間美術の場合よりもはるかに密接にエジプト原型に負うている。だから、それはちっとも実りある進展を示し得なかった。
キプロス的特徴は、時々の装飾目的に応じたロータス花のバラバラの使用法である。
波状唐草についての画期的創造がキプロスにおいて完成したなどとは、少しの証拠がもないことだ。

植物文様発展史において、、ギリシア・キプロス美術は独立的地位を占めウ者だはない。

B ギリシア美術における植物文様
NEXT:2 ディピュロン様式

リーグル美術様式論 目次


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