中国の唐草文様
『すぐわかる東洋の美術―絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術 』(竹内順一監修 東京美術)は、確かに、すぐわかる、すぐれもののまとめ!!で、ここで、その目次読書で、古代中国の美術のおさらいです・・
東洋とは・・オリエントとは、東洋、東方でもあるが、未知なるがゆえに「あこがれ」や[冒険」の意味も含み、オリエンテーションは「方向づけ」、オリエンテーリングは宝探しゲームともいう・・・
西洋人にはオリエントはトルコやペルシア(中近東)・・アジアは「極東(東の果て)」であった
東洋美術の見どころは「仏教美術」と「巨大造形」
自然と共生する写実主義の美術・・風景画は西洋では17世紀から、中国ではすでに7世紀には定着していたこと
東洋ほど工芸が発達した国はない・・ 多種多様な工芸の発展
東洋美術を知れば日本美術の原点がわかるという惹句・・・『よくわかる日本美術』の方を先に読んだわけだが・・
大いに嬉しい、基本的復習・確認ともなるまとめとなる本である・・
中国絵画最古の遺品は戦国時代の楚の墳墓から出土した
紀元前4~3世紀の帛画(絹に描いた絵):黒の輪郭線の龍・鳳凰・女性像
最もすばらしい遺品 1972年、湖南省長沙市
紀元前2世紀の馬王堆漢墓から出土したT字形の帛画
烏やヒキガエルのいる日月や龍、鳳凰はじめ多くの動物や怪鳥
Rubbing detail of chariots and horses in Stone Chamber 1 of the "Wu Family Shrines" in Shandong Province, China, dated to the 2nd century AD
画像石 磨いた石に彫刻して、薄いレリーフ状にして絵を表したもの 墓室装飾として重要
武氏祠 山東省嘉祥県 後漢時代の武氏の石祠堂 2世紀
華北と江南、二つの文化圏
文人画・山水画の祖 顧愷之(こがいし)(wikipedia)
東晋 4~5世紀
画の六法(by 5世紀の画家 謝赫)
1.気韻生動
2.骨法用筆
3.応物象形
4.随類賦彩
5.経営位置
6.伝模移写
中国・ウィグル自治区 :
キジル石窟 初期にガンダーラの影響、強烈な隈取り
クムトゥラ石窟
キジル様式 中国の影響も顕著
ベゼクリク石窟 唐代絵画の影響 請願図に特色
トユク石窟 トルファン地区で最古の石窟
アフガニスタン:
バーミヤン石窟 インド・グプタ用世紀の影響がみられる
中国 甘粛省 :
炳霊寺(へいれいじ)石窟 中国最古(西秦)の石窟壁画が残る
敦煌莫高窟 中国で最多・最高の石窟壁画が残る
唐の国際文化の開花:シルクロードを支配下におさめ、ササン朝ペルシアやグプタ朝インドなど西方の文物を取り入れた
長安の宮廷画家
中国史上最高の画家とされる呉道元:白描画
李思訓・李昭道父子:金碧青緑山水画
王維:山水画
韓幹:馬の画
密教絵画の伝来 天台宗の僧円珍が将来した「五部心観」:鉄線描
則天武后(在位690~705)の政治と陵墓壁画
章懐太子李賢(654~684自殺 高宗と武后の子)墓(706年)に見られる唐の流行
検索しながら目次読書であるが、wikipediaの「中国の絵画」の項(閲覧20160413)は、非常に量が多い。よって「すぐわかる」とは言い難いが、この後、丁寧に見るのは良いかもしれない。本は、世界美術大全集 東洋編 第4巻:隋・唐辺までだろうか・・
無仏像時代の仏教彫刻:ブッダを示す記号(象徴表現)・・仏足跡(仏足石)、菩提樹(悟りを得たブッダの象徴)、傘蓋(さんがい:古代インドの貴人の外出具)、仏塔・台座・法輪・三宝標
西方文化との融合から生れた造形美
内部の造形技術を受け継いだ仏像
ガンダーラと並び、仏像発祥の地として名高い。ガンダーラ仏は外部の影響により(1世紀末頃)誕生し、マトゥラー仏は(二世紀初頭ごろ)内部の伝統により誕生した(p46)
中国への仏教の初伝は 後漢の明帝(在位57~75) :「明帝霊夢説」より早い
中国の仏像制作の始まりは4世紀金銅仏 紀年のある最古は338年
如来坐像*Masterpieces 伝河北省石家荘出土 像高39.7cmサンフランシスコ・アジア美術館蔵
中国の初期仏像制作
後漢~三国~西晋:魂瓶(こんびん)、壺、銅鏡などに浮彫装飾的に表される
東晋・五胡十六国:ガンダーラ仏を模倣して小金銅仏が作られる
南北朝の造像の特色
北朝:
北方異民族の王朝による漢文化の模倣、国家仏教的な性格を反映した大石窟の開鑿
南朝:漢民族の伝統を受け継いだ貴族的な文化、
石窟は少なく現存作例は出土品が中心
仏坐像 像高118cm 南斉 (483)四川省茂県出土 四川博物院 年代の確かな裳懸座(南朝発祥?)の最古の作例
着衣形式:褒衣博帯(ほういはくたい)式(紳帯しんたい式)当時の漢人貴族の服装をまねたもの
4世紀後半、北魏王国成立
曇曜(北魏の宗教長官)の計画(460年)雲岡石窟の始まり
「曇曜五窟」(第16~20窟まで)
露坐大仏 像高1370cm
張りのある面貌、薄手の衣に堂々とした身体表現(西方的様式)
特徴 面長の面貌痩せた身体表現薄手の衣
CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=25025
龍門石窟賓陽中洞―龍門石窟の精華 宣武帝が自らのために造らせたもの(517年ごろ完成) 天井と床面いっぱいに華麗な蓮華の彫刻
本尊のアルカイック・スマイル
北魏の分裂(534年)から隋の統一(589年)へ
北周の武帝仏教弾圧(廃仏)、隋の文帝(楊堅)復興 平明温和な仏像の制作
初唐様式の開花 溌剌たる生気 前代の様式にさらに円熟味 豊かな肉付きと円満な相好、写実的な造形と柔らかな衣文表現
盧遮那仏坐像 像高1714cm 唐(675年) 龍門石窟奉先寺洞(第19窟)河南省洛陽市
龍門石窟奉先寺洞は龍門随一の大洞で675年完成 本尊盧遮那仏
(龍門石窟:大小1300窟以上)
皇帝を仏教政界の中心たる盧遮那大仏になぞらえる一大モニュメント
618~710 初唐、
710~763 盛唐
写実表現の完成・熟成→理想的な人体表現
763~840 中唐、
840~907 晩唐
様式の形式化、造像数の減少→仏像彫刻の衰退期
敦煌莫高窟第45窟 仏龕諸像 塑像 龕高192cm 唐(8世紀前半)*香港文化博物館
唐王朝は東アジア世界の頂点:遣唐使により日本へ移植された芸術様式の成果が天平彫刻
日本に伝えられた中国仏(請来しょうらい仏)
白檀製の観音像(檀像) 九面観音(法隆寺) 盛唐期
三国伝来の釈迦像
釈迦如来立像 木造像高160cm北宋(985年) 張延光・張延襲作
国宝 清涼寺
五代の戦乱と宋王朝の統一 五代十国の混乱は宋王朝の統一によって終息し、各地に栄えていた地方文化は宋文化として統合された
個人的・趣味的な性格 個人の内面を見つめる禅宗が主流に→礼拝対象をあまり重視しない
唐~宋代の造像の変化
唐:宮廷文化・国家仏教 理想的人体美の追求 大規模造像
五代・宋:士大夫(したいふ)文化・禅宗の流行 写実的肉体の再現 羅漢・観音像の盛行
なまめかしい宋代の仏像 体の線に微妙な抑揚を失い、肉付きも平板単調に、面貌の表現が生身の人間に近付く、総じて世俗的な雰囲気に
日本の鎌倉時代の木彫り像:宋様式の模倣 人体の忠実な再現を狙った極端な写実、にぎやかな衣文の表現 快慶
観音菩薩倚像 木造 像高241.3cm 北宋(11~12世紀)
ネルソン・アトキンズ美術館*
女性的な妖艶さを持つ観音像:
尊像に対する要求の明らかな変質を示す
仏像から崇高さ奪い、急速に俗化
この「水月観音像」 wikipedia閲覧20160414)は、ネットを検索すると、「クール」だというが、初め、この本の改訂版の表紙にあるのを見て、あまり好きになれなかった。
陶磁器は同じで(景徳鎮のもの)なのに、観音像は変更になっている・・そこに時代を感じる・・耽美的かどうかはわからないが、個人主義・趣味的な・・。露悪的とまではいえないかもしれないが、崇高なものを疑う・・
高麗仏画の遺品 絹本著色楊柳観音像
京都 泉屋博古館(せんおくはっこかん)、国の重要文化財 泉屋博古館本は至治三年(=元朝の元号・1323年)、徐九方画の銘(*住友コレクション)
「楊柳(ようりゅう)観音:右手に柳の枝を持つ、 絵画では座右の水瓶に柳の枝をさすこともある」(wikipedia 閲覧20160414)
岩にもたれてくつろいだ姿勢をとる観音像。 中国で大流行したのに、日本では鎌倉周辺にしか見られない。おそらく保守的な京都では菩薩にふさわしくないとして受け容れられなかったのだろう。(鎌倉東慶寺HPより)
弥勒菩薩半跏像 銅造 像高93.5cm 三国(7世紀前半)
韓国国立中央博物館(旧徳寿宮(トクスクン)蔵、韓国国宝83号)
1965年発見 新羅領内慶尚北道奉化郡北枝里
古代朝鮮の最高傑作
「宝冠弥勒」(国宝彫刻の部第一号)
広隆寺(日本 京都)木造 弥勒半跏像
像高123.3cm(足元からの高さ、台座からは約147cm)
特徴ある三山冠、面長の顔立ち、半月型の眉、切れ長の目、
体躯の肉付けや坐法、裳の形式に至るまで、韓国の国宝に酷似wikipedia 閲覧20160414
朝鮮三国時代 南北朝様式の影響: 面長の面層 痩せた身体 厚手の衣
統一新羅時代 盛唐様式の影響:量感あふれる身体表現、薄く柔らかな衣
第3章 やきものはこちらに続く
(中国)青銅器の文様 遺跡地図