中国の唐草文様
『すぐわかる東洋の美術―絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術 』(竹内順一監修 東京美術)その目次読書で、古代中国の美術のおさらいということなのだが、第1章 絵画 第2章 仏像はこちらでみました。ついで第3章・・・・
中国陶磁の源流
先史時代の土器 約8000年前に粘土紐の輪積み法により無文か単純な縄文で 碗・鉢・鼎(煮炊き用の三脚釜)・丸底壺などが作られていたことがわかった
中国では無釉のものは素焼きの土器でも陶器 (pottery)
施釉のものを磁器という。(Porcelain)
彩陶の登場
6000年ほど前 黄河中流 主に縄文をつけた灰色で無釉の灰陶(かいとう)の器を煮炊きや貯蔵用に、
祭祠用や死後の世界の生活用品である明器用に、装飾豊かな彩陶を生み出す
彩陶:土器表面に絵の具で幾何学文様や人面・魚・動物などの具象文様を描いた彩文土器
はじめに黄河中流 河南省の仰韶(ぎょうしょう)村で発見された
→仰韶文化
黄河下流 山東省大汶口文化(紅陶)、
龍山文化 轆轤使用開始(約4000年前)
原始青磁の出現(灰釉陶)
青銅器の影響化のやきもの 殷代中期から鋳造され始めた
やきものは後漢末までは青銅器の影響下にあった
:器形や文様・・
トウテツ文という怪奇な浮彫文様
戦国時代:加彩灰陶(始皇帝陵の兵馬俑もそれ)
鮮やかな鉛釉陶器:戦国時代に始まり、前漢時代に開花 のちの唐三彩の母体に
緑釉壺 後漢江南地方のやきもの(越州窯)の台頭
魏の薄葬礼で、華北で隆盛を誇った鉛釉陶衰退、代わって浙江省(越)の青磁が台頭「古越磁」(南北朝時代までのもの)
「古越磁」の新しい造形
:神亭壺(しんていこ)、盤口瓶(ばんこうへい)、天鶏壺(てんけいこ)
越州青磁 頂点は西晋時代 その後造形力低下
華北では北魏が統一後仏教復活 仏教美術が開花;厚葬の風習復活
北魏分裂後、北周はやきもの不毛地帯に これに対し 北斉は青磁の生産が始まり、蓮弁文・唐草文を器表に張り付ける装飾法が流行した(p79)
Celadon Soul Vase. Exhibition "Treasures of China",
Canadian Museum of Civilization, 2007.
Western Jin Dynasty (A.D. 265 - 326)
白磁の出現
6世紀北斉時代に出現 初期は青みを帯び青磁からの過渡的なものであった
初期は明器や祭器が多い: 四耳壺(しじこ)・円壺・万年壺(胴が丸々・龍耳壺・鳳首壺・長頸壺、博山炉
中唐~優美堅牢な日常容器を大量生産8世紀末から広く海外輸出
河北の白磁に対し、一時衰退していた越州窯青磁も息を吹き返し、高い完成度の青磁を晩唐~五代にかけてつくりだした:蟠龍壺・長頸瓶・蛇の目高台の碗・四足壺・五輪花皿
青磁八角長頸瓶 唐(9世紀)法門寺博物館蔵 1987年出土https://inoues.net/china/xianc.html、https://www.asahi.com/shopping/yakimono/ono/TKY200607230229.html中唐の文人陸羽『茶経』茶碗の最高峰:越州青磁
晩唐の詩人徐夤(じょいん)が「秘色」とたたえた
晩唐~五代:湖南省 長沙窯で下絵付け磁器の技法開発、後世の陶磁発展の母体
唐代貴族に愛されたやきもの
絢爛たる副葬品 洛陽や西安郊外の貴族層の墓から多く出土
唐三彩の出現は7世紀初め
(人形)武人俑・騎馬俑・舞楽俑・
(動物)駱駝・家屋、(生活器)壺・瓶・水注・盤・碗・燭台・香炉
頂点 8世紀前半 河南省鞏県窯(きょうけんよう)で優品が最も多い
8世紀後半、安史の乱(755~763 安禄山)後衰退
唐三彩の波及と遼三彩
盛唐期の三彩陶が遣唐使によって運ばれ奈良三彩開始 人物用や動物などの純然たる明器は見当たらない
モンゴル系遊牧民の契丹族の遼(中国東北部916~1125)
11世紀後半に遼三彩が開花
蓮弁・唐草・魚などの型押(かたおし)文様による稜花形(りょうかがた)皿・盤が明器として珍重された
気品あふれる定窯の白磁
北宋台の窯業 多様性:河北; 定窯の白磁,耀州窯の青磁、鈞窯の澱青釉、磁州窯の掻落し
江南;越州窯青磁、景徳鎮窯の青白磁(p84)
A flaring bowl with notched rim. A lotus spray fills the inside walls of the bowl in seeming organic harmony with its shape.
Date 11th century
伏せやき:口縁(こうえん)がゆがまないように口を下にする
口縁には釉(くすり)をかけないため、ざらつく→覆輪:金銀銅などでおおう
涙痕:釉流れのみどころも特徴
北方青磁と鈞窯
澱青釉:反射光で青白く、透過光で淡褐色を見せるオパール現象で神秘的美しさ
磁州窯の絵画的な陶器
素地(きじ)に白化粧(白泥をかけて白いやきものに)したのち、絵文様を描き落としで表す
北宋後期には白化粧の上に黒泥をかけ上層を掻落とし、文様が美しいコントラストを示す陶器がつくられた
北宋前期 | 北宋後期 | |
定窯
白磁 |
蓮弁文・唐草文の浮き彫り クリーム色 涙痕 覆輪 |
印花装飾 (型押しで量産化) |
耀州窯 臨女窯 青磁 |
片切掘り文様 オリーブグリーン |
印花装飾 |
鈞窯
澱青釉 |
澱青釉→紅斑文 (月白釉) 紫紅釉 |
|
磁州窯
掻落し法 |
白地掻落し法 | 白地 黒掻落し法→鉄絵 |
越州窯
青磁 |
青緑色 | オリーブグリーン |
景徳鎮窯
影青 |
青みを帯びた白磁 (影青インチン) |
銀器のような シャープな造形 |
景徳鎮窯の白磁
高貴な銀器のような白磁を求める時代の趨勢
特徴的なものに、梅瓶(メイビン)・瓢型瓶:鳳頸瓶 基本は日用生活器
南宋官窯の特徴:古銅器を模した器形に貫入(釉の表面にあらわれた細かいひび)が全面に入った独特な青磁 日本にも鎌倉から室町にかけてもたらされ珍重された
龍泉窯の砧青磁 :粉青(ふんせい):白身のある青釉をかけた、いわゆる 砧青磁 日本に優品が多数伝来している
鎹の補修で有名な「馬蝗絆」(ばこうはん)も砧青磁の逸品
建窯・吉州窯の天目茶碗 :
室町時代に茶の湯の世界でもてはやされた
建窯の天目には、
曜変(ようへん)・油滴(ゆてき)・禾目(のぎめ)がある
曜変天目は黒釉地に浮かび上がる青紫色の光彩(斑文)が特徴
建窯・吉州窯の天目
1.低い高台
2.漏斗状に開いた腰部
3.すっぽん口の口縁
大阪市立東洋陶磁美術館 展示品
国宝
油滴天目茶碗(南宋、建窯)12-13世紀
飛青磁花生(元、龍泉窯)13-14世紀 https://art.xtone.jp/museum/archives/osaka_toyoji__.html
画期的な青花磁器の発明
青花:白磁の白素地に酸化コバルト顔料で直接絵付をし、その上から透明釉を掛け、還元炎焼成したもの
器形:鍔縁大盤・酒海壺形式の広口大壺・獣耳広口壺・梅瓶など・・
意匠:蓮池水禽(れんちすいきん)・魚藻・草虫・蔬果・松竹梅・龍水・故事物語等の伝統的図様や当時の民画
イスラム世界から運ばれた顔料が魅力的な青花の大作に変貌して、東西を行き交った
トルコのトプカプ宮殿に多数収集され、エジプトのフスタート遺跡からも大量に出土
龍泉窯の天龍寺青磁
景徳鎮窯同様技術革新を続け、14世紀初期に新境地を開く
肉厚で濃黄緑色の重厚な作品が多い
元時代の青花の大盤や鉢には、見込みに同心円を描き、その内側中央に主文様、外側に連続文をめぐらすパターンが多い、
中央に牡丹文、外周に宝草華唐草文を配したこの大盤は、文様と白地との調和がとれ、鮮麗な藍色に発色している。色の濃淡によって、コバルト一色だけを用いたとは思えぬ出来栄えを見せる元青花の大判の優作。(p89の解説)
景徳鎮の官民両窯が競い合い、青花(染付)と五彩(色絵)を基本にして多彩な技法を駆使し、空前の繁栄を見せた
景徳鎮官窯 | 景徳鎮民窯 | |
前期
1368~1435 |
白磁(甜白) 紅釉 藍釉 青花 釉裏紅 |
青花 |
30年間の空白 |
↓ | ↓ |
中期
1465~1521 |
青花(甜白磁) 五彩(豆彩) 黄地緑彩 黄地紅彩 |
青花(雲堂手) 五彩(古赤絵) |
↓ | ↓ | |
後期
1522~1644 |
五彩(万暦赤絵) 黄地緑彩 黄地紅彩 青花 |
青花(古染付 芙蓉手 祥端) 五彩(呉須赤絵 金襴手)法花 |
元から明時代にかけて、蓮池魚藻の図柄が好まれたようだ。藻や裾の蓮弁帯を青花で表すほかは五彩が圧倒的に多く、特に魚体のオレンジ色が目を引く。これは黄色の上に赤を重ね焼きした、いわゆる黄地紅彩。底裏中央に、「大明嘉靖年製」の染付銘がある(p91の解説)
清朝初期の民窯:
明末清初の動乱期にも景徳鎮民窯は活動していた。日本に南京赤絵・南京染付の製品が舶載されていた
青花では、余白を十分に取る文様構成で洗練さを加え、
五彩では、窓絵(器表の一部を窓のように仕切ってその中に絵を描いた)や、主文様の周囲を亀甲文・丸文・七宝繋ぎなどで隙間なく埋め尽くす集合、また一服の会が風に表現する手法など、独特の構図により緻密で整然とした美をつくりだした。(p92)
官窯の再建:1681年緻密な技巧と高い品格を持つ端麗な磁器を生み出す
粉彩と古月軒という技法:官窯で目立つ技法
粉彩の一種、古月軒(琺瑯彩 名称の由来ははっきりしない)=清朝陶磁が到達した最高峰、花鳥山水に詩句を添え落款を押す、絵付磁器
雍正官窯でよみがえった素三彩の一種イエローホーソンは梅樹文以外の地を黄色で塗りつぶしたもの
日本の茶道で、「唐物茶碗と高麗茶碗は、茶の湯の推移につれて大きな役割を果たした」と、この『すぐわかる東洋の美術― 』のコラムにもある。(p104)
室町時代、中国渡来の砧青磁の花生(はないけ)・香炉・蓋物(ふたもの)などや、天目と呼ぶ黒釉の喫茶碗が、書院の茶にふさわしい茶道具としてもてはやされた
ところが、およそ80年後は、利休の侘び茶が深まり、朝鮮王朝(李朝)で焼かれた高麗茶碗が和物茶碗とともに主役に
高麗茶碗は端正な天目と異なり、奇形の変化と肌合いの微妙な様相が個性的な美しさを感じさせ侘び茶の茶碗に見立てた茶碗の美息の深さに驚かされる(仁木正格)
やきものの世界も面白いのかもしれないが、σ(^_^) 私めとしては、ここまでとして、古代に、古代の文様青銅器の文様(龍文)に戻りたいと思う
そのまえに、この本の第4章を