宮沢賢治設計の涙ぐむ眼花壇
草津水生植物園での展示イメージ
私が最も初めに見た賢治の涙ぐむ眼花壇
ヒツジグサ
宮澤賢治にとって蓮はどんな花であったのか?
宮澤賢治は花壇のデザイナーでもあり、日本原産のスイレンを使ってユニークな花壇を作っている。彼は農学者でもあり、
花の名にはきちんと学名を使っていた・・・
ヒツジグサとTearfuleye
宮沢賢治の涙ぐむ眼花壇とヒツジ草(日本原産の睡蓮)ブラキカムの白とオレンジの白目と虹彩
中央の瞳はパンジー
まつげはウラシロヤナギ
そして目頭と目じりに水がめを用意し
睡蓮の仲間:ヒツジ草を浮かべた
何故ヒツジグサなのかというと、
羊の刻(午後2時ごろ)に白い花が咲くのでヒツジ草と呼ばれる
(実際には季節や気温、日照状態に左右される。)
その時 涙がこぼれるように見える
・・・・というわけで
宮沢賢治の工夫に満ちた 花壇
「涙ぐむ眼」の設計図は
1927年ごろの賢治のノート「メモ・フローラ」に記されていた。
byイーハトーヴの植物学―花壇に秘められた宮沢賢治の生涯
伊藤三弥著 洋々社 (2001年)
■眼科医うにゃ子先生のコメント:
よーく観察されてますね。
「目尻と目頭に白いポイントって、医学的にも合ってます。
目頭には、涙丘を含む玄月があり盛り上がります。
目尻にも涙が溜まるとよく反射しますから。」
賢治設計花壇「涙ぐむ眼」
北海道勇払郡穂別町富内の旧富内駅に創られたそうです。
銀河ステーションと「涙ぐむ眼」
これを作った人たち: 北海道穂別町ほべつ銀河鉄道の里づくり委員会 : 平成元年四月設立 男18人/女2人、 まちづくりで表彰されてます。
銀河ステーションと「涙ぐむ眼」
これを作った人たち: 北海道穂別町ほべつ銀河鉄道の里づくり委員会 : 平成元年四月設立 男18人/女2人、 まちづくりで表彰されてます。
群馬県立自然史博物館
https://www.gmnh.pref.gunma.jp/Demeter/D-0003/3-01.html
企画展ポスターにも登場 していた。
(背景はオパールで、図は賢治設計花壇「涙ぐむ眼」)
企画展ポスターにも登場 していた。
(背景はオパールで、図は賢治設計花壇「涙ぐむ眼」)
賢治デザインのこの花壇は、淡路花さじきなどにも作られていました。(ビッグサイズ!)
ヒツジグサのスイレン鉢は直径50センチくらいの想定だったはず、と伊藤三弥さん。
だから、そんなに大きなものを意図していなかったと。
そういうわけで、各地の見本を見ながら、311後の東北にささげる花壇として私も作ってみました。
311後の東北にささげる
賢治のシルエットと東北に捧げる白い花
⇒完成 2011年5月28日(土)
2011年3月11日の後の東北にエールを送る展示
この涙ぐむ目は子馬の目だというコンセプトで、隣に子馬の牧場を作り、
東北のイメージ「ふるさとの水車」を置いています。
賢治の宗教
1896年(明治29年)8月27日生- 1933年(昭和8年)9月21日没(37歳)宮沢賢治は、濃密な仏教信仰の中で育ったが、21921年(大正10年)、25歳で父祖伝来の浄土真宗ではなく、純正日蓮主義に改宗し、法華宗系在家仏教団体「蓮華会(国柱会)」に所属した。
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