フェニキア様式
装飾発展史での二つの意義
海上商人フェニキア人
地中海世界どこにでも通用しうる装飾文様の媒介人
「美術様式論」P127
がんらい、対象(写実)的な文様が、単なる純粋装飾文様となった
・縁の部分と中の部分の区別
・被装飾体の構造や技術から生ずる基準による装飾文様の応用と整頓
・・がフェニキア人の手によって著しく発展
フェニキアの小細工物・・
同心円と、その個々の円形に垂直の区分をもった金属製鉄
この民族の美術的特徴・・かた苦しくない派手さと硬い幾何学的円周との間に中庸を保った装飾
「美術様式論」P128
個々文様の形成に微力をつくした
「微力」・・なんですね・・
「この民族の特徴」・・・いますこしここで具体例をあげられるといいのだが・・(※下で検索)
フェニキア式
パルメット樹
樹状に伸びる総合的な文様
数個の花冠が垂直に重なり合い、嵌めこまれている
冠頭部は叢生する茎の束・・(ジーベルはこのモチーフを
花束と名付ける)
もう一つは第40図のように
二つの花形を垂直に上へ上へと一つ置きに重ねた形式
「美術様式論」P128
第40図
エジプト(・フェニキア)式
パルメット樹
ブリッスの著書からの借用 |
← 一つの花には下向きの渦巻型がある(=渦巻型萼をもつロータス花)
もう一つは中間に棍棒状のものを挿入した、上向きの渦巻型
最上部は放射線状の茎の叢生
第41図 パルメット樹を示す キプロス柱頭
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第42図 狭義のフェニキア式パルメット
上向き渦巻き型萼 |
最下部に下向きに巻いた渦巻型萼
その上に逆にまいた渦巻型萼が二重に
その中央に束となった茎
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第41図の意匠の根本は
ラルナカ発見の銀製鉢に見られるような、金属製鉢のパルメット樹のもとにある
繰り返し交互に並べられた群像の境界として用いられる 紋章風装飾意匠
主たる装飾上の目的に用いていた |
図は「ブリッスの著書からの借用」とあるが、ブリッスとはwho?
・・・
エジプト式様式化の花文様と
フェニキア式・アッシリア式花文様との間の発生関係
アッシリア式パルメットは
エジプト式ロータス・パルメットと、フェニキア式花束(ブケー)(別名パルメット樹)との結合型
上向きの渦巻型萼に簡単なパルメット扇形を付加している。
アッシリア式パルメットは、上向きの渦巻型萼をもっているにもかかわらず、エジプト式ロータス・パルメットのように単独の植物文様である
それに反し
エジプト式・フェニキア式文様絵上巻き渦巻き型萼をもつものは、樹状の複合文様
アッシリア式パルメットが両種のエジプト式パルメットと内的に関連がある事は疑えない
しかしそれらの中間(仲介)形式としてフェニキア式パルメットを置く(Furtwangler)ことはどうだろうか
アッシリア式パルメットの単純扇形をロータス茎や花の群生に装飾的な植物として作り上げる
エジプト・フェニキア式パルメット樹の冠頭部はアッシリア式パルメット
ジーベルのいわゆる「古式フェニキア花束」は、エジプト起源
メソポタミア人が大子のエジプト文化に影響を受けたことは、フェニキア人の場合よりもずっと古い
前12世紀のカルデア王、メロダッハ・イディン・アクヒは、
後期アッシリア装飾の典型的な「聖なる樹」及びロゼットをつけている
フェニキア工芸の盛期は前1000年
フェニキア式パルメットは、エジプトの原型が美的な装飾的発展を遂げたものを見るべき
「美術様式論」P128
結語
フェニキア人は
エジプト人がその対象的意味によって神聖視していた諸文様を、自由、かつこだわるところなく処理した
エジプト文様は、フェニキア人の手によって、初めて純粋装飾的な文様となった
元も重要なのは、
地文様と縁文様との厳重な区別・・(どの程度にフェニキア人自身の手柄であるかは決定できないが)
「美術様式論」P134
フェニキアの検索
Wikipedia(Phoenicia 現在のほぼレバノン)
※http://www.asahi-net.or.jp/~ZM8H-TKD/crt/crt02.htm
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