聖樹聖獣文様
コンパクトで分かりやすい、東京美術の「すぐわかる東洋の美術―絵画・仏像・やきもの&アジアの暮らしと美術」(竹内順一) 第2章が「仏像」
前5世紀から前1世紀
仏教美術の起源:仏陀崇拝から生まれた仏教美術
初期仏教美術:仏塔を囲む欄楯(らんじゅん)の仏伝図などに、仏陀が象徴表現を用いて表される
仏陀が人間の姿をとらなかった時代:無仏像時代
ブッダを示す記号(象徴表現)には、
その足あとである仏足跡(仏足石)や、
悟りを得たブッダを象徴する菩提樹
古代インドの貴人の外出具である傘蓋(さんがい)
仏塔・台座・法輪(ほうりん)・三宝標(さんぽうひょう‥仏法僧の三方を示す)など多くの種類がある
象徴表現による仏殿図の一例。円形区画内に、本来仏陀が座っている台座と花綵をかけた菩提樹があって、これを四人の人物が礼拝する(竹内順一監修p43)
* 「東京国立博物館特別展コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」 ・・仏足石 聖樹崇拝 法輪崇拝
* http://content.swu.ac.
仏陀不表現のルール
*http://www.mithila-museum.com/indiajapan14_15/exhibit_buddhist.htm
*インド最初期の仏教美術 バールフット(シュンガ朝)
http://1st.geocities.jp/kawai5155/i-barhut.html
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO84531420Y5A310C1000000みうらさんが「フォーリン(法輪)ラブ」と呼ぶ紀元前2世紀の浮彫だ。「ひざまずいている人の足元に落雁(らくがん)がある!」 ‥よくわからない話だが(笑)
By Unknown - Leiden University Library, KITLV, image 87926 Homepage media-kitlv.nl KITLV, CC BY-SA 4.0
→「ネパール/インドの聖なる植物」を読む:インドボダイジュ;仏教だけでなくヒンドゥー教でも聖なる木であること
毎日出版文化賞を受賞した古い本「仏像 心とかたち」(望月信成・佐和隆研・梅原猛著NHKブックス1965)に
仏教は 初め
偶像崇拝ではなかったが、「釈迦(80歳入滅)の遺骨を埋葬して礼拝した・・この墳墓から仏教芸術は発生した」と、あり
釈迦の遺骨崇拝が、塔を生み、塔の周りの絵を生み、やがてガンダーラにおいて、ギリシア彫刻との結びつきによって、仏像を生んだ、という。
釈迦牟尼の遺骨を特に舎利と呼んだ。これを埋めて土を円球状に盛り上げた墳墓=率塔婆(そとばStupa)
略して塔、地方によりパーゴラと呼ぶ
各時代各所で人知の及ぶ限り荘厳を尽くした(p23)
半球状の塔を囲んで石の玉垣や門を作って、石で囲み、その装飾の彫刻から仏教芸術は発生する
仏教を守護する諸神をはじめ、釈尊の前生の伝説(本生譚)、釈迦の行状、および蓮華や唐草などの装飾文様を丸彫りや浮彫として作り出している。
しかし釈迦牟尼の姿は一切表わさず、その代わりに法輪、台座、仏足石、菩提樹などが表わされ、象徴的なものだけを示している
アレキサンダー大王が紀元前324年に西インドに進軍し、この地方にギリシア系の芸術家を送って、文化工作をして以来、インド・ギリシア芸術がインダス川を中心とした地方に発生した。その中心がガンダーラ(Gandhara)
ここに初めて釈迦牟尼の姿があらわされるようになった
仏教が偶像崇拝芸術になったのはガンダーラ彫刻の影響であると思われる。したがってこれに刺激されて釈迦牟尼の親しく歩かれ説法をした地方、すなわちガンジス河を中心とした中インド地方でも、偶像を造るようになった。この地方の芸術はギリシア様式の影響を被らず、純インド式が発達した、その代表様式をマトゥラ(Mathura)美術と呼ぶ。ここに仏陀の姿を初めて造り出した。(P25)
ここ(「仏像 心とかたち」)では、そういう説明であった→「ガンダーラのギリシア美術」を見た最後のほうに、「仏像の始まり」の補足・・
原始仏教は仏陀の姿を作らず、
紀元前2世紀前後ごろからインダス河付近に釈迦仏の姿が作りだされ、
やがて全インド伝播しさらに中国に伝わった
そして今から1400年以前に日本に伝わった
仏舎利塔のなごり:
三重塔・五重塔の上層:相輪・九輪や宝珠の下部に四角い台の上に半球形の覆鉢 (舎利を中に安置)
薬師寺:仏足石(日本現存最古)
遣唐使黄文本実が中国の普光寺にあった仏足石を移して帰りそれによって作られた
原始仏教の基本教説は、四諦。「彼の教えははなはだ倫理的であると同時に知的であった。もっとも古い伝承「スッタニパータ」には 『一切の生き物に対して、暴力を加えることなく、一切の生き物のいずれも悩ますことなく、また子女を欲するなかれ。況(いわ)んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め』このような実践的知恵の教えである釈迦の教えが、果たして宗教といわれるものであったかどうかは疑問である。(p36梅原猛)
大乗仏教は、仏像の成立によって深い影響をこうむった。
釈迦の存在を超歴史的超人格化し、それを人間と違った如来、仏とするばかりか、釈迦の持っている様々な性格をも、実体化して仏として薬師、大日、阿弥陀等の多くの仏をうんでいった。ここに仏教は初めて宗教となったのであろう。(p37)
さまざまな人間的悩みを持った釈迦の生涯から、生と死と慈悲だけが抽象されるときそこに人間観の重大な変更が行われる。
出城釈迦、苦行釈迦、降魔釈迦、成道釈迦などは、ほとんど日本では作られない。
仏教が、日本では、無常観としてのみ受け取られたといわれるが、釈迦像そのものの選択がすでに、そのことを明らかに物語っている。
手の形、指の形で、人間存在の在り方を示すのは、はなはだ興味深いインド人の人間に関する知恵であるが、釈迦の像を、施無畏、与願の印の形に作った大乗仏教:施無畏は不安の除去、与願は願いをかなえること=
生の否定より肯定、苦行による悟りより、慈悲による救い
・・・
ギリシア彫刻の微笑と仏像の微笑を比べる
ヨーロッパを流れる二つの精神的支柱は、ギリシア文化とキリスト教である
デモステネスの像:論的を撃破しようとする:鋭い論法と激しい情熱、巧妙なレトリック
釈迦の説法:諄々として、心の内面に語りかけ人の生き方を変えようとする
仏の口元の漂う部微笑は西からやってくる
ギリシア彫刻の口元に浮かぶ微笑は、生存の歓喜の表現であった(p43)
同時に他人に対する勝利の微笑なのであろう
ホメロスを読むと、一つの哄笑が響いてくる。それは降伏した敵を前にして、優越の高笑いを笑う
釈迦には勝負は問題ではない。
竜樹の「大智度論」を読むと、仏の笑いは一つは苦難に会う時の笑いである。この苦難克服の笑いが、諦めの笑いに転化し、他人への慈悲の笑い(微笑)になる、東洋の知恵の最も深い現れであろう。(p45)
一見定まった印の下に、いかに多様な様式の仏が作られたか。一見不自由な形の中に、どんな自由な芸術石をしのばせることができるのか
キリストの一生と釈迦の一生を図像で比べると
自然に死んだ釈迦VS殺されたキリスト
仏教:死、悲しみ、諦め、微笑(慈悲の文化)VS
キリスト教:死、絶望、怒り、復讐、審判(正義の文化)
→*インド美術 (岩波世界の美術)サーンチー第一塔、アマラーヴァティー大塔(浮彫彫刻による物語表現:初期仏教美術の展開)
このあたりの仏教美術おさらい、インド美術
ガンダーラ仏(世界美術全集4の5章)ギリシアから
シルクロードと葡萄唐草
薬師寺の葡萄唐草、仏足跡
薬師寺の忍冬唐草文ニッポンへ
四天王像インドから
仏像の光背ペルシアから