"Attica 06-13 Athens 36 View from Lycabettus" by A.Savin. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.
上はWikimediaからの写真。アッティカ地方の中心アテネ(古代のアテーナイ)‥リカヴィトスの丘から見たアクロポリスとエーゲ海
アッティカというと、澤柳大五郎さんの訳書「或るアッティカの少女の墓 」が思い浮かぶのですが・・ ちょっと親切な旅行案内なども見つつ・・
新潮世界美術辞典:アッティカ
Attika: アッティケ―(Attike)
ともいう。
北はボイオーティアに接し、西はメガリスを挟んでコリントス地峡によってっペロポネソスに接する半島。アテ―ナイを中心にエレウシース、マラトーン、ブラウローン、スーニオンなどの土地を含む。
幾何学様式陶器を創始して以来、前5世紀に至るまでギリシア陶器製作の中心地であり、建築、彫刻においても常に主導的位置を占め、パルテノーン時代にドーリス、イオーニア両様式の渾融した古典様式を完成した。
文学、哲学においても三大悲劇詩人や三代哲人を生み、終始ギリシア文化の中心であった。
Wikipedi:アテナイ
アテナイ(希: Ἀθῆναι, Athēnai, アテーナイ)は、ギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ペイライエウスを有していた。
アッティカは、ギリシャのアテネ周辺を指す地域名。歴史的なアッティカ(アッティケー)は、アテナイ(現:アテネ)を中心とし、エーゲ海に突き出した三角形状の半島(アッティカ半島)一帯を指す地域名称である。
世界美術大辞典(小学館):アッティカ陶器
アッティカ地方を中心に生産された古代ギリシアの陶器。高い完成度を示し、ギリシア美術の最も特色ある一部門を形成する。
「黒像式」と「赤像式」の二種の技法があり、前者は素地の上に描く対象を黒ワニスで塗りつぶし、その細部を掻き落としの技法で表すもの。
後者は前530年頃現れ、蔵の部分を素地のまま残して、周囲を黒ワニスで塗りつぶす技法である。
プロト・アッティカ様式(Proto-Attic style):前7世紀
ギリシア文明の黎明期である前10~前8世紀に幾何学文様式がギリシア世界を風靡するが、この様式を代表する最初の傑作群を提供してくれたのが、アッティカの陶工たちであった。
前7世紀に現れるプロト・アッティカ様式の陶器hは、幾何学文様式を継承しながら、新しい形態を創造し、人間や動物を奔放なまでに豊かな表現力で描いている。 同じころアッティカ陶器と並んでコリントス陶器も発展するが、その繁栄期間はより短く、前6世紀中ごろにはほとんと衰退した。以後アッティカ陶器が優勢となり、コリントス陶器の洗練された装飾と細部の入念な仕上げを取り入れて、多くの海外市場を独占する。
アッティカ陶器の第一期 :
前600~前530年
力強いプロト・アッティカ様式の時代を過ぎると、アルカイック期の黒像式の技法はますます進展し、小型のアンフォラにおいても大型のヒュドリアにおいても細密画風の精緻な様式へ向かう傾向が見られる・
アッティカの陶工や陶画家たちは注文の増加に伴い自作の価値を自覚し始め、その結果作品に署名する者も現れるようになる。
アキレウスと共にトロイア遠征に参加した神話上の英雄パトロクロスのための葬礼競技の場面を豊かな表現で描いたソフィロス(Sophilos)はアッティカ最初の署名画家の一人である。
この時代を代表する傑作「フランソワの壺」〔フィレンツェ考古博物館〕は、前6世紀前半に、陶工エルゴティモスと陶画家クレイティアスによって制作された。→詳しくはこちら
アッティカ陶器の第二期 :
前530~前480年
赤像式の技法が開始され
以後この技法が厳格様式期:前480~前450年と
中期古典期:前450~前400年を通じてアッティカ陶器の主流となる。
第二期の陶画家の中で。エウフロニオス、エウテュミデス、エピクテトスらは、人物を正面観や四分の三正面観の姿勢でとらえながら、短縮法の試みを見せた。→作品はこちら
三次元的な空間表現という新しい探究は、アッティカ陶器のきわめて独創的な側面を形作るものである。
前6~前5世紀の画家たちは、その作品が全て失われてしまっている同時代の画家から影響を受け、相変わらず神話を表現し続けながらも、現実の日常的場面をしばしば題材にとりいれた。また、薄く溶いたワニスを用いて、従来の二色主義を脱した明暗法の試みも行った。
後期古典期のアッティカ陶器: 前400~前320年頃
この時代に壁画や板絵などの絵画が、様々の新しい表現の可能性を追求し豊かな結果を生んだことを考え合わせると、すでに克服され時代遅れとなった課題を繰り返しただけのように思われる。
とはいえ、前4世紀末頃に生産が停止されるまで、陶画家たちは彫刻家プラクシテレスの優美さや、同じく彫刻家リュシッポスの力強さを陶器画の領域に移植しようと努めた。
"New Acropolis Museum 5" by Tomisti - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Commons.
新アクロポリス美術館http://www.theacropolismuseum.gr/⇒古代ギリシア都市コリントスのページ⇒コリントスの陶器、幾何学様式の陶器⇒アッティカの陶器・・(黒像式)、(赤像式)
Κίονας Αθηνάς - Ακαδημία Αθηνών 1223" by C messier - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 4.0 via Wikimedia Commons.
ギリシアの陶器の歴史を陶画家を中心に見てきましたが、ついで、ペルシア戦争を陶画で見てから、「陶画で見るギリシアの神と英雄神話」といった方に向かいたい。
西洋建築史⇒「建築-美と空間」⇒パルテノンのフリーズの解釈、 ⇒フリーズのギガントマキアーと蛇
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