まずはWikipediaでおさらいです。ちなみにWikipediaからの引用法は、「この版へのリンク」というのがよいらしいのだが・・とりあえずは閲覧日を入れます
「紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。 この地には、古パルテノンと呼ばれるアテーナーの神殿が建築中であった。それは紀元前480年のペルシア戦争で破壊された。」
(Wikipedia 2014年8月10日閲覧)
神殿の基盤の長さ69.5m、幅30.9m(黄金比は都市伝説とのこと)
(Wikipedia 2015年10月19日閲覧)
「パルテノン」の名称はギリシア語の「παρθενών」(処女宮)から。アテーナー・パルテノス(処女のアテーナー)(en.Wikipedia)への信仰
野獣・狩り・植物の女神アルテミスを指して使われる「parthénos」(ギリシア語: παρθένος)が、戦略と戦術・手芸そして実践理性を司るアテーナーに冠せられている理由は不明瞭
パルテノン神殿が持つ最も特徴的な装飾は、胞室の外壁を取り囲むイオニア式のフリーズである。これら浅い浮かし彫りのフリーズは、入れられた日付によると紀元前442年から紀元前438年に据えられた。
(Wikipedia 20150810閲覧)
「古代ギリシア最大の政治家の一人ペリクレスが、
古代ギリシア最大の芸術家であった彫刻家フェイデイアスを総監督にして建てた、
古代ギリシア文明を代表する最高最大の建築・彫刻芸術 」(by 青山昌文「芸術史と芸術理論('10)」p32)
大理石に刻まれた不朽の名作、古代ギリシア・パルテノン神殿のフリーズ浮彫りの観察と考察。石板にある378体の人物像と232頭の動物像の全像についての観察結果をまとめ、そこから得た知見を論考する
「神々や英雄を含め350人以上の人物、馬200頭以上、牛14頭、羊4頭の形象が造形化された一大作品」について、
北面フリーズに、青年が4人、牛や羊が4頭というように、「4」の数値が多く現れ、
南面フリーズに、馬車が10台、牛が10頭というように、「10」の数値が多く現れていることに着目
南面フリーズにおいてはクレイステネスの政治改革によって定められたアッティカの新たな10部族制が、
北面フリーズは旧来の4部族制あるいは4フラトリア(兄弟団)制が、それぞれの行列の基本構造として採用されていた」と推論
北周りの彫刻の行列と、南回りの彫刻の行列が、東面の中央で合流しているということに、「新旧アテネの歴史の統合という壮大な政治意図」を読み取っている
(by 青山昌文「芸術史と芸術理論('10)」p34)
西洋の古代美術史上最大規模を誇る古代ギリシアパルテノン神殿の全長160メートルに及ぶ浮彫彫刻の全容を細大漏らさず観察・記述・図版化・・・
序章 パルテノン神殿の概要とその発見および記録略史 第一部 観察編 第1章 東フリーズ ・ペプロス奉献図(石板東Ⅰ〜Ⅸ) 第2章 北フリーズ ・犠牲獣行列図(石板北Ⅰ〜Ⅳ) ・徒歩行列図(石板北Ⅴ〜Ⅹ) ・戦車隊図(石板北ⅩⅠ〜ⅩⅩⅧ) ・騎馬隊図(石版北ⅩⅩⅨ〜ⅩLⅦ) 第3章 西フリーズ ・騎馬隊図(石板西Ⅰ〜ⅩⅥ) 第4章 南フリーズ ・騎馬隊図(石板南Ⅰ〜ⅩⅩⅣ) ・戦車隊図(石板南ⅩⅩⅤ〜ⅩⅩⅩⅤ) ・徒歩行列図(石板南ⅩⅩⅩⅤ〜ⅩL) ・犠牲獣行列図(石板南ⅩLⅠ〜ⅩLⅦ) パルテノン北フリーズ・南フリーズ色分け図版 第二部 考察編 第1章 パルテノン南・北フリーズの徒歩老人行列の員数 第2章 パルテノン南フリーズ犠牲獣行列の配列と員数 第3章 パルテノン・フリーズ戦車隊・騎馬隊図における「特異な重切表現」 第4章 パルテノンへの道 第5章 パルテノン神殿の破風彫刻とメトープ浮彫 第6章 パルテノン南メトープ、ケンタウロマキー図の原形と現状 第7章 パルテノン西フリーズの構図と構成 第8章 パルテノン南・北フリーズの構図と構成 第9章 パルテノン東フリーズの構図と構成 第10章 パルテノン・フリーズとアテナ・パルテノスhttps://157.1.42.1/author/DA01278534
もう一冊の定評のある「ギリシア美術」の本からだが・・
岩波世界の美術『ギリシア美術』
ナイジェル・スパイビー著(p224-232)
ペルシア人に対するさらなる神話的な隠喩。ペルシア人とケンタウロスとの関係は彼らを動物の水準に貶めためた。ペルシア人とアマゾン族の関係はもう一つ別の種類の公認の劣勢関係、すなわち彼らを女性として扱うことによってその名誉を棄損していることに反映している。(p225)
敵対する象徴物を選び出す際の国粋主義的な基盤は、前6世紀の「哲学の父」ミレトスのタレスに記される言葉に如実に表現されている。(p232)
「自分は3つの点で幸運であった。
動物でなく人間に生まれたこと、
女でなく男に生まれたこと、
異邦人でなくギリシア人として生まれたこと」
(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』Ⅰ,33)
動物、女性、異民族、すべてがケンタウロス族、アマゾン族、ペルシア人へと結びついていったのである。
Symbolism of Amazonomachy について、Wikipedia(en.)では、出典ナイジェル・スパイビーより早いDuBois, Page (1982).Centaurs and Amazons: Women and the Pre-History of the Great Chain of Being (Women & Culture) として挙げていた。(20151019閲覧)
In the 5th century, the Achaemenid Empire of Persia began a series of invasions against Ancient Greece. Because of this, some scholars believe that on most 5th-century Greek art, the Persians were shown allegorically, through the figure of centaurs and Amazons.
もう一つ、この「ギリシア美術 (岩波 世界の美術) 」には,なんとペルセポリスのフリーズが出てくる(図145)
"Wall of stairs panorama in Persepolis" by Ivan Mlinaric - Flickr: Persepolis panorama
. Licensed under CC 表示 2.0 via Wikimedia Commons.
「敗北した」はずのクセルクセエスが巨大な応接広間アパダナを、彼の玉座に向かって貢物を捧持する封臣の多様な行列を幾重にも重ねて装飾していた。(紀元前460年頃)
それに対するアテナイからの応答が、ペリクレスのアクロポリスの壮観な形で実現された。(前440年頃)
建築家ムネシクレス:プロピュライア(門)
フェイディアス「アテナ・パルテノン」像・・
このナイジェル・スパイビー著『ギリシア美術』の表紙で、図154で取り上げているのは、
ギリシアの月の女神セレネの馬の頭部
セレネの馬前435年頃大理石倫敦 大英博物館蔵
Head of a horse of Selene from the east pediment of the Parthenon
パルテノン神殿東破風彫刻
月神セレネの馬
(長さ:83.3cm)ルーム18
https://www.britishmuseum.org/explore/highlights/..にもいわく
「最も有名で最も愛された」
This is perhaps the most famous and best loved of all the sculptures of the Parthenon.
← ギリシアの芸術(建築・彫刻)に戻る
⇒こちらにフリーズのギガントマキアーと蛇についてと
ギリシアのセントール・セントールマキアについて、
そして、アマゾン族は壺絵で見たい・・・
おまけ:お楽しみサイト紹介
「テオポリス」(ギリシア神話好きのための神様データベース・・・ https://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/
1990年の刊だが、『ギリシャ・パルテノンの栄光 (NHK大英博物館) 』で、たくさんの図版と論考解説が見られます・・
"Elgin Marbles British Museum". Licensed under CC BY-SA 2.0 via Wikimedia Commons.
The Elgin Marbles on display in the Duveen Gallery of
the British Museum
(「BOOK」データベースより)
惹句:
「白い」文明は、じつは鮮やかに彩られた文明だった
ヨーロッパ文化の源流とされてきた古代ギリシャ文明。しかし近年、彫像など遺物の色彩復元や発掘調査により、その成立の初期段階からエジプトやオリエント文明の影響を色濃く受けてきたことがわかった。19~20世紀のヨーロッパで極彩色の古代ギリシャが「白い」文明に作り替えられた背景にも迫りながら、ギリシャ文明成立の過程を追う。
大英博物館のバックヤードから分かる最新研究・新説を公開。「バックヤードに眠る99%の収蔵品。その調査から明らかになったのは、鮮やかに彩られた彫刻と歪められた歴史だった。“白い”文明の真実。極彩色のギリシャの彫像がリビアで発掘されたこと」
NHKスペシャルシリーズ書籍化第2弾(p145) 考古学の父ヴィンケルマン:ギリシアの理想化、その象徴が「白」、華美な装飾のあふれるバロック時代ゆえに、純化された。国民が一つとなる拠り所として、古代ギリシャの精神を利用しようとした。市民社会や美的な白い純粋な世界が強調されていった。
1938年デュビーン(デュヴィーン )卿の浮彫彫刻洗浄事件
こちらのブログに放映写真あり
著名な画商ジョゼフ・デュヴィーン (en:Joseph Duveen, 1st Baron Duveen)
In recent years Duveen's reputation has suffered considerably. Restorers working under his guidance damaged Old Master panel paintings by scraping off old varnish and giving the paintings a glossy finish. He was also personally responsible for the damaging restoration work done to the Elgin Marbles. A number of the paintings he sold have turned out to be fakes; it is questionable whether he knew this when they were sold.
His success is famously attributed to noticing that "Europe has a great deal of art, and America has a great deal of money."
洗浄したのは1938年で、翌年70歳で死亡している
『NHKスペシャル知られざる大英博物館』ついでの話・・「知られざる大英博物館」シリーズなのだが、第1集のエジプトの方でなく、『 NHKスペシャル「知られざる大英博物館」 古代エジプトの数学問題集を解いてみる 』(三浦伸夫著)の方の・・
大英博物館所蔵「リンド・パピルス」からの問題を中心に、数える・食べる・暮らす・測るの4ジャンルで出題。
長さの単位=尺について・・エジプトの単位
「キュービット」の話は少々こちらで・・