ジェーン・E・ハリソン(1850-1928)の、『ギリシアの神々(神話学入門)』(ちくま学芸文庫1994 船木裕訳);原著「Mythology」 (1924)刊)であるが、この本をざっとよんで驚いたことがいくつかあるが、ポセイドンという神はいなかったという話などは、非常に納得なのであった・・馬は波だとこじつけられてもポセイドンが馬に乗っているのが納得できなかったのだ‥
最近見てきた下記の図鑑だが、これについて神名が、ローマ神話寄りなのに、違和感を感じ始めたということはすでに書いた。その件を再掲しておく
『「聖書」と「神話」の象徴図鑑』
【神話の登場人物】の項:
ユピテル/ゼウス
サトゥルヌス/クロノス
ネプトゥヌス/ポセイドン
アポロ/アポロン
バッカス/ディオニュソス
マルス/アレス ケンタウロス サテュロス
プロメテウス ペルセウス ヘラクレス オデュッセウス/ウリクセス
オルフェウス ナルキッソス
ユノ/ヘラ
ウエヌス/アフロディテ 三美神
ミネルヴァ/アテナ
ディアナ/アルテミス アウローラ/エオス パンドラ
クピド/エロス プシュケー
ニンフ(ニュンフェ) ガラテイア
ダナエ イオ
ヘレネ/ヘレナ ピュグマリオン
(序文から)
数十年前まではギリシアの神々をローマ風の名前で呼ぶのが普通でした、こうした悪習は幸せなことに廃れました (p21)
人間は後期の段階の至って初めてその崇拝するものに対して完全な人格を付与する
人格は動物や人間の姿かたちを与えることから始まる
神の擬人観(anthropomorophism 「神人同型説」)以前に、アニミズム(animism 「精霊信仰」)の段階があり、そこでは神々というのは至る所どこにも潜んでいるはっきりしない諸々の威力である
人がそれら(の時、所、形など)を限定し、それら明確な形態を与え、それらと固定した関係に入った時に、それらは本当の神々となる
諸々の「力」からさまざまの「人格」になった時、その時に初めてそれらは神話[体系]を持ちうる
ローマの神話「体系」として知られているもの、つまりオヴィディウスの書き残した神話『変身物語』はギリシア神話を、ローマ風の環境に移し替え、変形したものにすぎない(p26)
ローマ人は信仰心篤く、見えざる者に対する恩恵を深く感じていたが、後期になってギリシアの影響を受けるまでは、iconist[聖像崇拝者] 「イメージのつくり手」、神話作者ではありませんでした
「神々は」とヘロドトスが述べています。「ホメロスとヘシオドスによってつくりあげられた。」
ギリシア人は作る者たち、形に現す者たち、芸術家の民族だった。
序文の他に、以下の9章と結びで成るが、
訳注の「本書に出てくる主要なギリシアの神々の素描」が簡明有用。
ヘルメス、ポセイドン、ゴルゴン、デメテル、ヘラ、アテナ、アプロディテ、アルテミス、アポロン、ディオニュソス、ゼウス の11神。
私たちの宗教はギリシアに根差していない。起源はオリエントからきた
宗教は「祭式」(人間がその宗教に対して行うこと)と「神話」(人間が考え想像すること)という二つの要素を含んでいる
宗教的な衝動は生命の保存と増進とに向けられている:敵対的なものを取り除く、好ましいものを招来する
原初的な宗教活動は、飢えと不毛の放逐、食物と豊饒の招来の儀式、「生きる意志」
宗教の別の側面或いは別の様相、局面が「神話」
人間は「イメージを作る存在」それは人間の特権
ギリシア人は iconist[聖像崇拝者] 「イメージのつくり手」神話作者として絶大な才能を持っていた
ギリシアの神話は、これまでの世界で最も才能ある民族によって形作られたさまざまのイメージを保存している
オリュンポスの比較的小粒な神
『オデュッセイア』 若い快活な使者の神
『ギリシア案内記』のパウサニアス(紀元前2世紀) 胸像を戴いた剥き出しの角柱 ヘルム(Herm) だった
図1(p33)は上のWikipediaのアンフォラに似ている
どのようにしてホメロスのヘルメスは、四角い境界石から「作られる」ようにたったのか(p36)
ヘルメスは単に死者を記念するためにつくられた石柱(ヘルムであった
死霊がこれからも自分を保護するようにという願望のすべてを、その石の柱という形に具体化する、すなわち[投影}する
蛇は死者のシンボル[象徴]
羊飼いの間では、その像は両肩で雄羊を運ぶようになり、そのChriophorus[クリオフォロス]すなわち「羊を追うもの」の姿から、キリスト教は自らの「善良なる羊飼い」を取り出した
昔の境界の神、確固たる石柱は、かって下界の死霊たちとの伝達の仲立ちだったから、今や天界の神々の使者となるのは自然なことであった
ポセイドンの姿は何か特別な点で「自然現象と結びついている」
「知的であれ道徳的であれ、より高次な神性の欠如が際立っている」(W・E・Gladstone 1809-1893『ホメーロスとその時代』)
ポセイドンという神は決していなかった、いやいた筈がない。神のイメージはあったが神そのものは存在しなかった(p44)
海はわたしたちには交易の公道、豊かな利益と生計の手段だが、ギリシア人には「収穫をもたらさぬ」もの それでも魚類を算出した
ポセイドンは海の化身ではなく、漁民たちの希望と欲望の投影であることはポセイドンの手にした戟から明らか
「馬上のポセイドン」 「馬たちの神」 (『イリアス』)
「馬を馴らす者」「船を救うもの」(『ホメロス讃歌』)
馬の面の方が海の面より優越しているのは、
ポセイドンは古い貴族的秩序の神だから
図2(馬の神ポセイドン)
図3 牛の神ポセイドン
紀元前5世紀、アンフォラ(壺)、ウェルツブルク美術館蔵
この3図は 「雄牛に乗るディオニュソス」でも見たアンフォラ (※に挙げた(図185)の、たぶん別の面に描かれたもの』と思う
ある神が動物の上に立ったり、乗ったり、その頭を着けている場合その動物がその神の原型をなす動物であると、現在では認められている(p54)
神をその崇拝者の観点から、猟師の神、馬の神、花咲く木枝の神、牛飼い、雄牛の神としてポセイドンを述べると、明確なものになる。私たちアングロサクソン族は漁労民族、馬飼い民、海の覇者であるから、ポセイドンは自身の姿を投影したものといってよい。(p58)
クレタ島のミノス(Minos)王が、最初の[海の覇者](タラッソクラト)であった。ミノス王の神は[牛のミノス」すなわちミノタウロスであった。ポセイドンは本来かつ本質においてミノタウロスそのものであった。ポセイドンはミノタウロスを標準点としてその周りに結晶してゆくものであった。
ミノタウロスは雄牛の頭と蹄を持った人間のかたち・・牛頭の人間としてのミノタウロスの祭儀の形は、間違いなくエジプトの神聖文字にまでたどることができるのではないか(アーサー・エヴァンズ)
ミノタウロスは
[雄牛の仮面] をつけたミノス王に他ならない(p61)
エフェソスの地で、ポセイドンの祭りに葡萄酒を注いだ若者たち、アアテナイオス(後3世紀)の語るところではタウロイ(tauroi)、つまり雄牛たちとよばれた(p63)
アポロドロス(前2世紀)によれば、ミノス王はその王国をわが物いしたいと願った時ポセイドンに祈った。するとポセイドンは海の底から巨大な雄牛を使わしてくれた。かくてミノスは王国を手に入れた。(p64)
プラトンの『クリティアス』によれば、アトランティスはポセイドンが所有していた。そこで描かれているポセイドンの雄牛祭儀ば、ミノアのクレタ島の雄牛祭儀と極めて似通っている。
Fresco of bull-leaping from Knossos (an acrobat on a bull with two female acrobats on either side).
クレタの神聖なる雄牛は、ミノタウロスとは別の名前を持っていた。タロス[Talos] とも呼ばれた。タロスは日に三度島を歩いて巡回してクレタを守った青銅の男で、アポロドロスによれば。ミノス王がパシパエ(太陽神ヘリオスの娘)と結婚したとき、ヘパイストスから結婚祝いとしてこの青銅の男を受け取ったという(p66)
[海の支配者]ポセイドンは、すなわち[海の覇者]ミノスであり、彼はギリシアにおける先史時代の文化を表している。
ホメロスにあっては、ポセイドンはゼウスと対等の立場を主張している。ポセイドンはゼウスの優越に甘んじることを強いられますが。常に不平満々でしばしば公然たる反抗に及ぶ。(p67)
神を持たぬ民族であるキュクロプス人[一眼巨人]は、彼の子供たちなのである。
『オデュッセイア』では、これらのキュクロプスたちはゼウスのことを何とも思っていません。
神々を恐れ避けよとおれに言うとは、おい、お前は間抜けか遠くから来た者だな。キュクロプスタチハナ、アイギスの神ゼウスだろうが、その他の幸多い神々だろうが、へとも思いはしないのだ。おれたちの方がずっと強いのだからな。(『オデュセイア』 九歌。高津春繁訳)
ポセイドンのゼウスへの半端=グラッドストーンGladsone氏が、『Juventus Mundi』(世界の若さ)の中で、ポセイドンがある意味で異国人であると推測するに至った理由
ポセイドンは、ギリシア本土では、実際はほとんどいつでも、敗残の神である。
ヘラとアルゴスの地を争い、ヘリオスとコリントスの地を争い、アポロンとデルポイを争い、レとろデロス島を争い、ことごとく敗れた。
アテナイでは、アテナと争い和解したが、彼女のオリーヴの樹にかなわなかった。
これらの伝承からはっきりしていることは、ミノア文明はギリシア本土からやってきてしばらくそこを支配したが、結局はゼウス崇拝者たちの純粋にギリシア的な文化に圧倒されて、一部分は追い出されてしまったということである。p70)
ミノス文明遺跡はエジプトの第十八王朝の書記と同時代で、紀元前1500年ごろのミュケナイの[megaron}]巨石遺跡のフレスコに見られる馬はリュビア産純血種の輸入馬
希臘(ギリシア) |
墓の彫刻、カリアティド(女性像柱)とテラモン(男性像柱)、パルテノン神殿(行列)、古代ギリシア芸術(4様式) エリクトニウス(半人半蛇のアテネの王) ヒエロニムス(獅子・砂時計) 『ギリシアの神々(神話学入門)』ちくま学芸文庫(ジェーン・E・ハリソン) クロノス(時の翁) 角のある神々ゼウス イアソン(雄羊の皮) オデュッセウスの怪物(スキュラ キルケ―) キュクロープス エリダノス(雄牛の角)(川―時間)
聖樹聖獣文様(蛇 獅子 鷲 鹿・・・・) (※古いサイト)ガイア 『女神 -生ける自然の母- 』を読む |