聖樹聖獣文様
小学館世界美術大全集(1997)4
ギリシア・クラシックとヘレニズム(水田徹編、1995年10月)
第5章:「ギリシア伝統の東方伝播とローマ美術への継承」
*田辺勝美(1941生):ぺシャーワル大学、ガンダーラ wikipedia
この本の 興味深い、ガンダーラのギリシア式仏像(ヘルメス、ヘラクレス‥)の話を読み、その後 法隆寺の四天王(飛鳥時代)と、 鞍馬寺の毘沙門(平安時代)などを見ていましたが、You Tubeに「ギリシアから日本へきた神々」講義by田辺勝美先生があったので、以下に・・(20160306)
獅子の巻き毛状文様
ガンダーラ2~3世紀→中国5世紀→日本狛犬、獅子舞
南西アジア
アフガニスタン前3~4世紀 帝王狩獅子文銅皿(虎)
イラン前7~6世紀 銀製ライオン装飾杯(最後の文字は木偏でなく土偏)
イラク 前7世紀 ライオン浮彫
風神の源流
俵屋宗達の風神雷神図屏風
三十三間堂13世紀 風神像
中国6世紀 敦煌石窟の風神画
ガンダーラ3~4世紀 の風神
カニシュカ1世金貨(裏)風神
ギリシアアテネ 風の塔
イタリア16世紀 ボッティチェリ 「ヴィーナスの誕生」西風ゼビュロス神
毘沙門天・多聞天の源流
高砂市 時光寺
唐10世紀
パキスタン クシャン朝3~4世紀四天王立像浮彫 ファロー神(豊穣の神頭に翼がある)
フヴィシュカ王の金貨 クシャン朝
前3世紀 古代ローマ銀貨のヘルメス神
前5世紀 ギリシャ アルキメデスの画家の壺絵 ディオニュソス神
X字脚腰掛の起源
ガンダーラ3世紀「太子の修学」浮彫
クジュラ・ガドルフの金貨
アウグストゥス帝金貨
金剛力士(仁王)の源流
法隆寺
神戸市 太山寺
ガンダーラ 2~3世紀金剛を持つ お釈迦様のボディガード)
獅子をかぶっている
ギリシアのヘラクレス
非常にわくわくするお話である
これとは別に、お寺さんのサイトに言及があり・・http://daishinji.net/essay/origin_buddha_image.shtml
歴史文化ライブラリー 81
吉川弘文館1999年12月刊
内容:
七福神の一人として著名な毘沙門天像は、シルクロードの東西文化交流によって生まれた-。従来の定説を超越し、わが国の古代文化の源流の一つがギリシア・ローマ文化までさかのぼることを実証する。わが国の古代文化がギリシア・ローマ文化にも遡ることを実証した東西文化交流史。
Back to ガンダーラのギリシア式仏像
(世界美術大全集西洋篇第4巻の第5章を読む)にもどる
ちなみに 世界美術大全集 東洋編15 中央アジア (小学館1999)を責任編集しておられるが、この後そちらを見ます。
世界美術大全集 東洋編15・中央アジア (小学館 1999)
責任編集:田辺 勝美の、テーマ特集に、北 進一さんによる下記論考がありましたので、チェック・・
引用図252はガンダーラの「四天王奉鉢図」(ここで、パキスタン国立博物館蔵とあるが現平山郁夫コレクション)で、毘沙門天像がクシャン俗の服装をした理由として、「北にいるクシャン族の王や「帝王の栄光」を象徴するファッロー神と北方守護神の毘沙門天が結び付いた可能性が指摘されている。(p311)
世界美術大全集の西洋篇のvol.4-p334の図275
*関連ページ日本財団北進一さんの「兜跋毘沙門天の居ます風景」(1996)、
*昆沙門天の独立「長袖の上着にイラン風のマントを纏いズボンと脚絆をつけ沓を履いた毘沙門天像のように、通有のインド貴人の姿をした他の四天王と異なる服装のものがある。この服装は、当時ガンダーラを支配したイラン系クシャン族の王侯の服装で、しかも頭飾には一対の鳥の翼を付けている」
四天王奉鉢図の毘沙門天:武装しておらず、インドの財宝神クベーラのイメージを基調としているのに対し・・
出家踰城(しゅっけゆじょう) 図の毘沙門天は鎧と武器で武装し、東アジアで一般的な軍人としてのイメージが確立している: その意味では毘沙門天は出家踰城図において誕生した
3~4世紀 パキスタンガンダーラ出土 片岩高さ61cm カラチ、パキスタン国立博物館
Life of Budda:Great Departure .
National Museum of Pakistan,Karachi
図252 (世界美術大全集東洋編 vol.15-p313)
部分拡大図
(毘沙門天像には)右手で先導するしぐさをしているものがある 頭部の一対の鳥翼装飾と同様、死者の霊魂を天空へ導く職能を有したギリシア・ローマのサエノ神(賽の神,境界神)であるヘルメス・メルクリウス神から受けついた特徴か?
東博「仏教美術の源流」展(2015)「馬の蹄の音で周りに気付かれないために、ヤクシャ神が蹄をもつ」
これは そうなんだ~。そして、毘沙門天ははだしだ。
*関連ページ日本財団 北進一さんの「兜跋毘沙門天の居ます風景」(1996)、
*「四天王の中で毘沙門天が重要視され単独で表されたケース」
ホータンなどから発見されたわずかな絵画作品のみがある
4つの要素
1.インドの北のヒンドゥークシュ山脈を守る北方守護神である
2.昔の聖王が作った石像で、国王の神格化と結び付いている
3.山頂(境界)のサエノ神の役割
4.毘沙門天と観音菩薩の霊験が結びついている
もっとも初期:万仏址(四川省成都市)出土
うずくまる邪鬼の背に乗った台座
インド直伝の台座形式
インドでは、神が立ったり座ったりする座は、その神の働きを助けたり、出自や属性を反映したりする:
バールフトの像はクベーラが、彼の乗るヤクシャの統領であることを暗示する。同様にこの万仏寺の像は邪鬼(ヤクシャの一形態)が毘沙門天の乗り物的役割を担っているのであろう
両側に 狛犬的獅子がいる。それはその隣の二天がたずなを持っている?毘沙門天がはだしで 右とすると、左はブーツで巻物を持つ広目天であろうか・・仏の下の6人は何をしているのか?蓮華座を引っ張っているようにもみえるのだが。
図255 行道天王図 唐(9世紀)
甘粛省敦煌莫高窟出土 絹本着色
大英博物館蔵
雲に乗って多数の眷属を連れて水面を遊行する
四川地域では多くの石窟に中唐期(764~840)以降独尊の毘沙門天像が頻出し、その大半は
地天(堅牢地天けんろうじてん)に支えられて形態の、いわゆる兜跋毘沙門天像(日本での呼称)中国では使われない)
中国最初期の例 四川省龍興寺址の像 (『世界美術大全集』東洋編第4巻「隋・唐」図130)
ホータン (和田Ditanchang)ラワク寺院(5~6世紀)
A.Stein撮影。高さ21.5cm
図256 新将形立像と地天女像 周辺に地天に支えられた菩薩らしき像もある
トバツ系台座のルーツ:ガンダーラ仏伝「菩提座の準備」
それに続く「降魔成道」浮き彫りの地天:釈迦が悟りを開かんとした時、魔王が釈迦に功徳を積んだことの証を迫った、釈迦が右手で地を指しこの大地が証明するであろうと述べた時、地天が半身を表し証人になったという諸経典の記述
ガンダーラの地点が世界の中心としての金剛座の大地を象徴し、そこに座す釈迦に大地の支配権を与え、世界の中心であることを暗示
毘沙門天像においても、大地の支配権をその神に付与しているという説
龍興寺や東寺の兜跋毘沙門天像の花や葉から地天女がわき出る表現のルーツ
地を指さす印の意味もここで分かったが、地天がアカンサスの葉から顔を出すというのでそこにもおどろく
ヴィシュヴァルーパ・ヴィシュヌ像
図258 5~9世紀 石造 高さ67cm
ネパール、カトマンドゥ、チャング・ナラヤン寺
Changu Narayan Temple,Kathmandu,Nepal
兜跋毘沙門天の特殊な台座には、ヒンドゥー経のヴィシュヌ像との関係も示唆される。(制作年代の推定に幅があるので?)
台座の成立は、文献などによりホータンに求めるのが妥当。
「大唐西域記」塔聖域気にはホータンの毘沙門天信仰が明確に語られている。ホータン国王と毘沙門天が同一視されている
スタインは
ホータンのダンダン・ウィリク寺址で
外套様鎧を着し邪気を踏み負かす武人像(7世紀)を発見
この像は財布を握っている点から、四天王中の多聞天像、すなわちクベーラ(インドの財布を持った財宝神)と理解できる(
図261 兜跋毘沙門天と吉祥天像 唐(8~9世紀)
甘粛省敦煌 莫高窟 第154窟
ホータンで信仰された毘沙門天像は盛唐期以降中国にもたらされ流行する 「宋高僧伝」:742年に安西白(クチャ)が夷狄に包囲されたとき、城北楼上に毘沙門天が顕現し神兵や神鼠によって敵を撃退した
毘沙門天と観音との結びつき
敦煌では主に中唐期の作例に地天が単独で表され
四川地域の石窟の兜跋毘沙門天像には地天と二鬼が備わっているので、二鬼が添えられたのは西安か四川河地域の可能性が強い
作例 図262 重慶市大足北山石窟 5号龕 龕高295cm 唐 (9世紀末)
石窟の最前線に造像されている
図263 四川省楽山市夾江千仏崖石窟134号龕 龕高さ192cm
服制において唐代の兜跋毘沙門天像に通有な西域風の外套様鎧を身につけ、
宝冠両側からペルシア起源のディアデム(冠帯)を継承した帛布(はくふ)をはためかせ、両肩から三日月形の火焔光背を上らせている
結論(p317)
インドの財宝神クベーラを淵源(えんげん)とする毘沙門天が、
ガンダーラの仏伝浮彫りにおいて四天王の中から独立して武装化し
ヒンドゥークシュ山脈周辺で独尊像や軍神として発展
ホータンにおいて地天女に支えられた兜跋毘沙門天像が成立、
敦煌で行道天王像のようなヴァリエーションが流行しして、
四川の兜跋毘沙門像において中国化の様相が強まった
このような過程で、ギリシア・とーマの境界神であるヘルメス・メルクリウス神やクシャン朝の「帝王の意向」を神格化したファッロー神、ガンダーラの仏伝浮彫りの地天、さらにはインドやネパールのヴィシュヌ神のイメージが混入し、兜跋毘沙門天の職能として、サエノ神、軍神、土地神等が付与された可能性がある
中央アジアの複合文化を象徴する産物である
ここに至って、毘沙門天に関して、ギリシア・ローマだけでない「複合文化」を見るに至ったというわけだ。
最後は、この後日本で、七福神になるという謎がのこる・・・
恵比寿(戎)、大黒天、弁財天(弁才天)、毘沙門天(多聞天)、布袋、寿老人、福禄寿
上は
かって存在した
安養寺
(wikipedia)のお坊様による素材サイト)の七福神であるが、天女などの素材には心が惹かれたものである。このお寺は
毘沙門天本尊がまつられている。
毘沙門天本山七福神霊場紹介をみると、これは立像ではないようだ。明王風の半跏
*七福神めぐりガイド? →それはともかく、
日本における毘沙門天(七福神の一メンバー)?
謎である・・続く
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